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日焼けと素敵な野球場 [Diary]

こどもの日のDeNA—中日戦で、屋根のない横浜スタジアムのライトスタンドで浴びた西陽のせいで、予想通り一週間経っても左の首筋と両手首がひりひり。途中から「みかん氷」のボール紙でガードしてなかったら、もっとひどいことになったんじゃないかと思うけど。

それでもやっぱり、野球は太陽やお月様の下で風に吹かれながらみるものだと思う。白球が舞い上がるのは青空や夜空じゃなくちゃ。フライを見失うのは屋根の白さのせいじゃなくて太陽のせいじゃなくちゃ。

そしてこの日とても気分よく帰れたのは、同僚たちと(めずらしく)プライベートで会ったのが楽しかったらでもあるし、ベイスターズが(めずらしく)大勝したからでもあるけど、やっぱりそこが浜スタだったから。

個人的・素敵な球場の条件。一つ目はもちろん「屋根がない」こと。そして二つ目は「都市のど真ん中にある」こと。横浜スタジアムはJR・市営地下鉄の関内駅、みなとみらい線の日本大通駅からいずれも徒歩数分。しかも横浜市庁舎のすぐ隣。バックスクリーンの背景にはランドマークタワーが見える。大の男たちが白球を追いかけるグラウンドからスタンドを隔てた外は日常そのもののオフィス街、というのがたまらない。

簡単そうに見えるこの二つの条件を満たしてる球場は、実はそんなにたくさんはない。特に浜スタ以降に作られた球場は、ドームか都市とは言いがたい場所にあるものばっかりで、ひょっとして浜スタは「最後の素敵な球場」になってしまうのかと思っていたけど、その後朽ち果てそうだった宮城球場がKスタ宮城として復活し、広島にはマツダスタジアムが誕生し、流れが変わってきたのはうれしい。

特にマツダスタジアムは、本当は素敵な球場の三つ目の条件にあげたい「天然芝」も兼ね備えていて、今いちばん行ってみたい球場のひとつ。



大学生の頃、川崎でバイトした帰りに、よく川崎球場の前を通りかかった。当時川崎を本拠地にしてたロッテ(その頃はオリオンズ)の試合はいつもガラガラだったけど、それでもスタンドの向こうから聞こえてくる応援の太鼓の音や歓声、夕空に点灯する照明灯が醸し出す、独特な高揚感が好きだった。

環境・設備とも最悪な球場だったけど、試合の途中からでも入ってみようという気にさせられたのは、間違いなくドーム球場では絶対に味わえないあの感覚があったから。

野球そのものとは直接の関係ないそんなファクターが、意外に永年の野球好きを育てたりすることもある。

オールタイムもっとも好きな野球選手・落合はもう中日に移籍していなかったけど、ブーマーの弾丸ライナーのホームランも、南海(ホークス)との大乱闘も、高沢の盗塁もここで見た。



ちなみにこのエントリを書きながら、10年以上前に共同で仕事してた人のサイトに同じようなコラム(みたいなもの)を書いたのを思い出した。探してみたら今でもちゃんと残ってた。

流行。 [Diary]

GW中に自分の中で流行ったもの。
(流行った順)

吊り橋

火山
ワシントンメトロ
インターアーバン
GM Newlook
Newton MessagePad
野球場
神主打法
変化球
バリライト
フェアライトCMI
天国
商店街
昭和天皇

フリーターとノマドと集合的傲慢さ [Thoughts]

8年前、今の職場で働くようになったとき、自己紹介をすれば当然それまでの職歴を聞かれるんだけど(考えてみればそれもどうかと思うけど)、そのとき印象深かったのは「何年かフリーで自宅で仕事してました」と言ったときの反応。

「あー・・・」
みたいなちょっと反応に困るような。
続けて「立ち入ったことを聞いてすいません」的な反応だったり、「拾ってもらってよかったね」 的な反応だったり。

そうか、会社にずっと勤めてる人に「フリー」というと、そういう否定的なニュアンスで受けとられるのね、というのは発見だった。自分にはまったくそういう意識がなかったから(そしてある人からは「フリーターだったんだって?」と言われた——笑)。



ところが不思議なことに、最近では同じ話をすると目を輝かせて「え、ノマド??」みたいな反応をされることが多くなった。

そこには以前とは逆に、必要以上に妙にポジティブな響きがある。「そういう実力だけで勝負できるのっていいよなー」とか。「私もいつかそうなりたいんですよね」とか。

そうか、みんな「実力」に自信があるんだな。

でも「会社の中での実力」と「会社の外での実力」はかなり質の違うものだ。そして会社員でないということは、あるいは極小企業に属するということは「実力があっても金が入ってくるとは限らない」ということだ。

ノマドにしても起業にしても、実力がある(と思ってる)人ほど、そのあたりを甘く考えてるように思えるのは、なんだか危険。

背景にはメディアで(いいところだけ)語られるイメージというのももちろんあるけど、たぶんそれだけじゃない。

まだうまく表現できないんだけど、その変化の背後に今までになかったような「集合的な傲慢さ」みたいなものが感じられることが、なんだかすごく嫌なんだ。

少なくとも8年前にはあまり感じなかった感覚なんだけど、自分だけなのかな?

レオ・バボータ「習慣化に失敗する方法」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログZen Habitsより「How to Fail at Habits」の日本語訳を「習慣化に失敗する方法」として公開しました。
習慣化の方法を身につける以前の私は手詰まり状態だった。私は様々な習慣を身につけようとしていた——ランニング、健康的な食生活、早朝の散歩、借金の返済、先送りを止めること——そして失敗し続けていた。

実際のところ、失敗に関しては私は実に上手だった。

今からみれば、私のやり方は全て間違っていたことがわかる。私は失敗するべくして失敗していた。そして繰り返し失敗しながら何も学ばずにいるうちに、上手に失敗する方法を学んでしまっていた。失敗そのものが習慣化してしまっていたのだ。

何かを素早く身につけるために積極的に失敗することは大いに奨励したいと思う。だが、経験から学ばない限り、失敗はあまり役に立つとは言えない。そこで、私の苦い経験を少しでも役立ててもらえるよう、私が失敗の数々から学んできたことをみなさんとシェアしよう。
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レオ効果 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータの翻訳を大量にやってはいるけど、個人的にレオが書いてることを全て正しいと思っているわけではないし、中には賛同しかねる(あるいはとても無理だと思う)ことだってある。

レオの書いてることはレオだからできることであり、普通の人が現実に行うのは無理だ言う人の気持ちもよくわかる(よくそう言われるとレオ本人が書いてるし、ぼくも「フォーカス」を読んだ何人かから言われたことがある)。

それでも、レオには個人的に強く共感するし、彼の主張がぼくにとって現実的に大きな効果とインパクトをもたらしたことは間違いない。気がつけば、これまでに読んだどんな本よりも現実的な影響(そして恩恵)を受けてるかもしれない。それはおそらく、今を生きてる多くの人にとっても同様だと思うし、だからもっとたくさんの人に読んでほしいと思う。

ということで、レオをこれだけ紹介してる責任(?)もあるので、ちょっと具体的な「効果」の話を。



正直言って、今の生活の中で自由になる時間はとても少ない。平日は23時前に家に着けばマシな方だし、朝は7時前に家を出ることも多い。平日の睡眠時間は平均して4時間あるかないか。だから平日に何かすることは時間的にも体力的にもまず無理。

週末に仕事が入ることは多くはないけど、平日にはできない人生の大切な諸活動(笑)——妻と過ごすとか、買い物をするとか、掃除をするとか、実家に顔を出すとか、疲労を回復するとか——をしなければならない。

という環境で、決して長いものではないとはいえ、電子書籍二冊と多数のブログ記事の翻訳ができたということ自体が、「フォーカス」をはじめとする、レオの主張の有効性を証明してる、と思っている。

具体的にレオから(かなり自己流に)取り入れたのは、「いつまでに何かをする」という目標は立てず、やり遂げるなんていうことも考えず、週末になったらその時やりたいことの中から1つを選び、1〜2時間の間集中してそれをやる、ということだけ。

何をするかはあらかじめ決めない。あくまでもそのときやりたいと思うことをする。やりたくなかったら無理にやらない。やりはじめても乗らなければとっとと止めて、別のことをする。

時間帯は朝が理想だけど、それも無理に決めず、朝できなければ昼でも夕方でも夜でもいい。だいたい週末には妻と2人でスタバに出かけてお茶を飲むので、そこにマックを持ち込んで作業することも多い。

決まり事は、休める週末にはそれを習慣的にやる、ということだけ。

もちろんその時間は集中=フォーカスしなきゃ意味がないけど、そこは「やりたいこと」をやってれば自然に集中できる(やりたくないことを無理にやるから気が散る)。

週によっては先週の続きを「やりたくない」こともあるので、必然的にあっちをやったりこっちをやったりするんだけど、それでも毎週確実に何かが前に進む(ここが大事)。

そして、そうしてるうちに、時間はかかったけど「結果的に」電子書籍2冊の翻訳ができあがった。



ささやかではあるけど、個人的にこれはとてもとても大きな出来事だった。

それまでもやりたいことはたくさんあったし、やりたい気持ちもあったけど、気力と体力、そして何よりもモチベーションが続かず、今の環境で本業以外に何かまとまった作業をすることなんて不可能だと思ってたんだから(電子書籍の翻訳は「まとまった作業」と言って差し支えないと思う)。

最大のポイントは、もし「本を一冊訳す」目標を立ててがんばろうとしていたら、とても続かなかっただろうということ。

つまり、何をするかではなく、いかに努力するかでもなく、行為として「継続」することのハードルを下げることによって、言うは易く行うは難い「継続は力」を、結果的に実現させてしまう、と言えるかもしれない。

自己啓発とか生産性とか、その種の物ごとを語るとき無意識に前提にしてしまうあれこれ(時間をどれだけ有効に活用するかとか、どれだけたくさんのタスクを効率的にこなすかとか)を一度取っ払ってみると、レオの主張が実は人間というもののあり方を踏まえた、極めて合理的なものだということがわかってくる。



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弱点 [Diary]

職場が都心の繁華街のど真ん中にあるんで、特に早朝に出社すると昨夜の宴の気配がまだ残っている。

生ゴミも散乱している。不心得者が捨てていったものもあるし、飲食店から合法的・非合法的に出されたものもあるし、それらをカラスが食い散らかしたものもあって、夏なんかはけっこう大変な状況になる(以前に比べればずいぶん良くなったけど)。

そしてもちろん、そんな場所にはカラスだけでなく猫たちがいる。

猫たちは、食べるものを求めてあっちのゴミからこっちのゴミへと移動する。この場所でしか見かけない猫もいるし、近所の公園で顔見知りの猫もいる。

普段なら猫を見かけたらうれしいし、ネコポイントをためたり、ちょっと呼んでみたりするんだけど、特に早朝にこの場所を歩くときは一刻も早く職場についてシゴトを始めなければならない状況だから、それはしない。横目で見ながら足早に通り過ぎるだけ。

そして、たった今猫を見かけた道を、車が猛スピードで走り抜けていく。

とたんに全身が硬直して歩けなくなる。今そこで見かけたばかりの猫がクルマにやられるところを想像して。できることは神様に祈ることだけ。

クルマが見えなくなったあと、おそるおそる振り返る。道路に猫の姿はない。ほっと息をついて急いでその場を立ち去る。

それでもしばらくの間心臓の鼓動がおさまらない。

誰も知らない弱点。

レオ・バボータ「何もない環境の中で自分を発見する」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログmnmlistより「Finding yourself in spareness」の日本語訳を「何もない環境の中で自分を発見する」として公開しました。

私たちはしばしば、モノによって自分のアイデンティティを表現する。

ロゴやスローガンや素敵なキャッチフレーズが印刷された服を着ることで自分を表現する。タトゥもピアスも野球チームのキャップもアクセサリーもスマートフォンもブランドバッグもマノロ・ブラニクの靴もみんな同じだ。こうしたモノは、私たちが何であるかを表現しているのだ。

家では壁に何をかけているかで自分を表現する。観ているテレビ番組、読んでいる本、好きな有名人、フォローしているブログ、フェイスブックで「いいね!」するブランド。これが私たちのアイデンティティなのだ。

では、これらを全て捨て去ってしまったらどうなるだろう。飾り気のない服と何も置かれていない家しかないとしたら……どうやって自分を表現するだろう。何によってアイデンティティを作り出すだろう。そうなったら「ミニマル主義者」がアイデンティティになるのだと言うかもしれないが、そのレッテルからはちょっと離れてみよう。
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シンプルでクリアで刃に変わらない言葉 [Thoughts]

RSScushion.jpg劣悪な状況を改善するにはどうしたらいいか? 今のままの方法でうまくいくと思うか? なぜうまくいかないのか?

そういうことを人に説明する必要が切実にあるけど、ひととおり説明すると、もっと具体的に話してほしいといわれる。

なぜうまくいかないのかを正確に、具体的に言葉にしようとすると、それはまるである特定の個人を批判し、戦犯として糾弾しているように聞こえる。

Aさんがこの役割ではダメだと思う。それではうまくいかない。

それはもちろん「AさんはダメだとTak.が言っていた」という言葉となって流通する(だと思ったんだ)。自分が言いたいのはそんなことじゃない。Aさんがこの役割ではうまくいかないということと、Aさんがダメだということは同じではない。Aさんはダメなんかじゃない。でもそれは無駄な努力だ。

ただの事実を述べただけの言葉が、人々の間を通り抜けるうちに刃に変わる。一度放たれた言葉の刃は取り消すことができない。言葉の刃は相手を、そして自分自身を、文字通りざっくり切り裂く力がある。

それを避けたいなら、人前で沈黙するしかない。無口で何を考えてるかわからない人になるしかない。

でもきっと、そうじゃない言葉があるはずだ。その言葉の感覚を磨くことが大人になるということのひとつの意味なのだ。シンプルでクリアで刃に変わらない言葉。

と、個人的には思ってるよ。

レオ・バボータ「ありのまま受け入れる」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログmnmlistより「Being OK with things as they are」の日本語訳を「ありのまま受け入れる」として公開しました。
人生をより良いものにしようと、私たちは努力する。多くの場合、今の物ごとのあり方に満足していないからだ。そのことはよく知っている。私自身がそうだったのだから。

自分の見た目が気に入らないので、改善しようとする。家が気に入らなかったので、もっといい家を手に入れるために働く。周りの人々も改善してほしいので、変えようと努力する。変わらなければ失望する。

これは終わりのない戦いだ。私たちは、物ごとや自分自身のあり方に満足できないとき、それを変えようとする。しかしその後はどうだろう。私たちはまだ不満足なままだ。なぜなら、問題の根本は周囲の物ごと(あるいは私たちの容姿などなど)ではなく、私たち自身の期待だからだ。私たちは、物ごとが今あるようではないことを期待しているのだ。

これは、私たちが常に何らか意味で不幸だということだ。期待は満たされない。私たちは周囲を変えることで、この問題を解決しようとする。他人を変え、自分自身も変わろうとする。もっとお金を使いたい、消費したい、モノを買いたいという衝動も根は同じだ。この衝動に対抗しようという試みがミニマル主義なわけだが、それは根本の問題、つまり私たちの期待に目を向けてはじめて可能になるのだ。
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新鮮さ屋 [Diary]

ハンバーガーチェーンで個人的に好きなのはバーガーキング(再上陸歓迎)と、ウェンディーズ(再上陸歓迎)なんだけど、両方とも自分の行動圏内にはない(一度撤退する前は横浜中央図書館のそばのウェンディーズによく入ってたんだけどね)。

そしてハンバーガー屋さんというのは(特にチェーンのは)、どんなに好きでもわざわざ食べにでかけていくものじゃないと思ってるから、よほどの機会に恵まれないと食べることができない。

それで、もっと身近にあるお店で好きなのは、フレッシュネスバーガー。

でも、フレッシュネスバーガーおいしいと思うんだけど、ひとつだけどうしても納得しかねるというか、むずむずして居心地が悪いというか、そういう問題点があって。

たとえば外国のどこかに、新鮮な素材を活かした日本料理を売り物にするチェーンがあったとして、その名前が「新鮮さ屋」だったとしたら、なんかむずむずするような違和感があると思う。これが「新鮮屋」だったらどんなに落ち着くだろう、みたいな。そんな感じ。

いやだから、フレッシュネスバーガーは大好きなんですよ。
ポテトもちゃんとじゃがいもの形してるしね。
オレンジティーおいしいしね。
ケチャップとマスタード置いてあるしね。
クラシックバーガーにマスタードをたっぷりとかね。
(お腹すいてます)
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