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アウトライン操作の制約、セットリスト、スライド [アウトライナー]

以前も書いたけど、『Piece shake Love』ではアウトライナーを全面的に使いながら(アウトライナーがなければ絶対にできなかった)、いわゆる「アウトライナーを使う」ことからイメージされるような作業(階層化して分類したり整理したり構造化したり)を一切せず、断片=ブログの記事を「配列する」作業に徹した。

正確に言うと、最初は分類や構造化を試みたけれど、その結果できあがったものがあまりにもつまらなかったので放棄した。

そして記事を「気持ちいい順番」に配列することに集中した。

この記事のエンディングに続けてこの記事が来たら気持ちいいだろう、こんなふうに並べたらびっくりするだろうみたいな。

頭の中でイメージしていたのはコンサートのセットリスト(曲順)を作る作業なんだけど、それとは別にこの「平面上に並べていく」感じが何かに似ていると思っていた。

思い至ったのは、プレゼン用のスライドを作る作業に似ているということだ。



PowerPointやKeynoteには「アウトライン」と呼ばれる機能がある。

最初にそれを見つけたときはすごく嬉しくなっちゃったけど(アウトライナーフリーク的に)、実際にはPowerPointやのKeynoteのアウトライン機能を本格的なアウトライン・プロセッシングに使うことは難しい。アウトライン上で折り畳み・展開できるのが第1階層だけだからだ。

たとえば第1階層から第3階層までを表示する(第3階層以下を隠す)ということができない。第2階層以下は、アウトライン表示上では隠すか表示するかという選択しかない(スライド上では、第1階層がスライドのタイトル、第2階層以下がスライド上の箇条書きとして表示される)。

もともとスライドの「配列」を決めるための機能だからなのだけど、いつもちょっと残念な気がする。

アウトラインとスライド表示の対応関係は今のままでいいから、アウトラインモード上だけでも各階層の折り畳み・入れ替えが自由にできたら(せめてWordのアウトラインモードと同じように動作してくれたら)、プレゼンの内容を「考える」ところから使えるのにな、と思う。

ついでに言えば、アウトライン上でWordの「本文」に該当する領域に書き込んだテキストをスライド表示上では発表者ノートとして表示してくれたりすると完璧(妄想)。



話を戻す。

階層化せずに「配列」だけをするという『Piece shake Love』での作業が、その横に動いていく感じが、スライドづくりに似てるなと思ったのだ。

断片から断片へのつなぎのフレーズは、スライド間のトランジションに似ているし、異なる断片での同じフレーズのリフレインは図表の再掲に似ている。

こういうのを考えるのはけっこう楽しいし、決して嫌いじゃない。

アウトラインの操作としては制約があってもどかしいのだが、結果的にその制約があったからこそ生まれた何かがある、と思う。


関連記事:
思考のアウトラインと語りのアウトライン
アウトラインと目次
『Piece shake Love』について
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)

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成長すると良いでしょう [Diary]

「成長」について考えている。

ビジネスの成長とか経済成長とかアウトラインの成長(!)とかではなく、文字どおり人間として「成長」することについて。

(おそらく)過労とストレスで体調を崩したぼくに対して、Y先生は言った。

「人生には辛いことが多いです。それは当たり前のことですから、そのようなことの影響を受けないよう、より一層成長すると良いでしょう」

日本語が少し不思議な感じなのは、Y先生が台湾の人だからだ。

この歳になって、フツーの人にそんなことを言われてもふふんと思うだけだけど、Y先生は違う。こんな(ある意味陳腐でさえある)言葉を、これほどの説得力と重みを持って口にできる人は、そんなにはいない。

Y先生から見たら、ぼくなんか本当に未熟なのだろう。

だから、素直にその言葉を受け止めた。

それ以来、体調を回復するべく徐行運転しながら、「成長」について考えている。

「成長」するとは、どうなることなのだろう。

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自分の場所にあってひとり [Thoughts]

自分の場所(だと思える場所)があるというのは大事なことだ。

でも、オトナになったら自分の場所に他人を巻き込むべきではないし、他人の場所に巻き込まれるべきでもない、と思う。

あなたもわたしも、それぞれの自分の場所にあってひとりだ。

ひとりだからこそ、(※)でいられる。


=ふたり
=みんな
=なかま
=ともだち
etc.

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桜の森の満開のタクシー [Diary]

去年の今ごろ、父を病院に送り迎えするタクシーの中から、たくさんの桜を見た。

満開の桜について会話ができる。それだけのことにずいぶん救われた。

桜はもちろん公園にある。
それから学校、河川敷。
そして工場。

そう、工場の敷地には、意外なほど多くの桜が植えられているのだ。

実家は京浜工業地帯のど真ん中にある。たくさんの工場がある。そこに桜が咲くことを、この歳になるまでぼくは知らなかった。

「工場には、桜がたくさんある」

タクシーの中で、父がそのことを指摘した。

父からの最後の指摘だ。

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春のアウトライナー散歩 [アウトライナー]

春のいいところは「アウトライナー散歩」ができること。

夏は暑いし冬は寒いし秋はいつまでも蚊がいるから、アウトライナー散歩に最適なのはやっぱり春だ。

アウトライナー散歩といっても、特に難しいことは何もない。考え事をしながらぷらぷらと散歩して、公園のベンチにでも座ってアウトラインを作るだけ。

今日やらなければならないこと。
当面抱えている仕事のこと。
解決しなければならないあの問題のこと。
頭に引っかかっている懸案のこと。

場所の影響ってとても大きくて、陽の光や木の匂いや鳥の声や水の流れる音の中では、思考はいつもとは少し違うルートを流れる。いつもより少しだけポジティブに。あるいは少しだけディープに。

本当はどうしたいのか。
本当は何が欲しいのか。
本当はどっちに行きたいのか。
本当は何が重要なのか。

昔から、散歩しながら思いついたことを小さなノートに書き込んだりしていたけれど、いまは本物のアウトライナーをポケットに持ち歩くことができる。

しかも、コンビニやドトールで、安くてそこそこおいしいコーヒーをテイクアウトできるのだ。

( ˘ .˘ )~♪

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フリーライティングについてのフリーライティング(生)と成果 [Thoughts]

頭を使うな。体を動かせ。心を動かせ。指を動かせ。何をするべきかは体が知っている。だから体を動かせ。なぜなのか考えてはいけない。答えてくれという言葉は人には届かない。答えてほしくても誰も答えてはくれない。本当に答えがほしいときには誰も答えてくれない。そもそもそこには誰もいないはずだ。答えが欲しいときどうすればいいか考えろ。考えれば何か頭には浮かぶ。答えかどうかはわからないけれど。頭に何か浮かべば動くことができる。そこから何かが動き出す。動き出せば何かが変わる。変われば少なくとも今ある状態ではなくなる。それを求めているだろう。今ある状態ではなくなればどうなる。答えを探すことが必要だ。探すとどうなるということではない。探すその行為が重要だ。意図しなくても動いていれば何かが見つかる。今があるのはそうやって見つけてきたからだ。見つけようとして見つかったものがどれだけある。

成果:
見つけようとして見つかったものがどれだけある?

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思考のアウトラインと語りのアウトライン [アウトライナー]

自分も含めて、人はアウトライナーを使う(つまりアウトラインをつくる)ときに、ついつい「構造化」に向かいがちだ。

ここでいう「構造化」は、そんなに厳密な概念ではなくて、階層化しながら考えを整理すること、ぐらいの意味。

アウトライナーは確かに「構造化」を助けてくれる。でも、それが落とし穴になる場合がある。特にアウトライナーを使って作ろうとしているのが、リニアな(初めから終わりまで順番に流れていく線的な)語りである場合。

リニアな語りには「順序」がある。

文章であれば、どうはじまって、どう進んで、どう終わるか。そこには流れがあり、起伏がある。これが必ずしも考えを整理した結果としての「構造」とは一致しない。

だから、内容を自分で理解するために「構造化」することが必要だとしても、その「構造」に沿って語りを作ろうとすると行き詰まる。

プレゼンでしゃべる内容をアウトラインとして整理したのに、スライドに展開しようとしたらうまくいかない、というのもこれと同じ現象(アウトライナー使いの多くが経験してると思う)。プレゼンとはまさにリニアな語りだからだ。

思考の「構造」と語りの「構造」は違う。思考のアウトラインと語りのアウトラインは別にある、と言いかえてもいいかもしれない。それは場合によっては並行して存在し、場合によっては前者から後者へと変化する。

例えていうなら、考えを整理したアウトラインの「構造」を串刺しにして、つまみ出したパーツをリニアに配列したものが語りだ。



そしてこれは、「アウトライン=目次ではない」というあの話とも、たぶん微妙につながっている、気がする。

関連記事:
『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造)

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before [Thoughts]

さみしさがあなたを(  )する前に。
むなしさがあなたを(  )する前に。
うたがいがあなたを(  )する前に。
あきらめがあなたを(  )する前に。
やさしさがあなたを(  )する前に。
あなたがわたしを(  )する前に。



「こんげんてきなのぞみをだいじに」(妻)

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隣の芝生2017 [Diary]

以前の職場の後輩から「転職経験が豊富だから」という理由で転職に関する相談を受けた。

でもぼくは、みんなの想像しているような、いわゆる「転職」をしたことは今まで一度もない(イメージに反して)。残念ながら、具体的にアドバイスできることは何もない。



「やっぱり隣の芝生って青く見えるんですかね?」と彼は言う。



自分の経験からも、職場の上司や同僚と「離職」「転職」について会話を交わすシチュエーションがあれば、必ずと言っていいほど出てくるフレーズが「隣の芝生は青く見える」というものだ。主に、転職を止める/阻止する立場の人によって口にされる。

「隣の芝生」の話だったら、ちょっとできる。



隣の芝生というのは、確かに青く見える。これは比喩ではなく、実際の芝生の話だ。

昔も書いたことがあるけど、子どもの頃住んでいた家の前庭は芝生だった。芝生に水をやるのはぼくの仕事だった。子どもの手に余る太くて固いホースに四苦八苦しながら、ぼくは両隣の家の芝生と自分の家の芝生をいつも見比べていた。

隣の芝生

隣の家の芝生は、いつも不思議なほど青く見える。

でもそれは当たり前の話で、隣の芝生は横から見ているせいで青い部分だけが見えるのに対して、自分の家の芝生は庭は真上から見下ろすために土が見えるのだ。

だから、隣の家から自分の家の芝生を見てみれば、やはり青く見える。



隣の芝生というのは、確かに青く見える。

でも、もしそうしたことがないのなら、実際に隣の家に行って自分の目でそれを確認してみることも、意外に重要なんじゃないかと思う。

常套句のように「隣の芝生は青く見えるものだ」と唱えて済ませていると、いつの間にか足下の芝生が枯れてきていることに気づかないことがある。

浅はかな子どもだったぼくは、水やりをごまかして(芝生の周辺の地面だけ濡らして水をやったふりをして)芝生を枯らしてしまった。

芝生が枯れてきていることにぼくはずいぶん長い間気づかなかった。

隣の芝生は、常にうちの芝生より青く見えていたから。

隣の芝生(2)



足下の芝生が枯れ始めていることに気づかないまま「隣の芝生は青く見える」と言いつづける人を見るのは、なかなかに切ないものだ。

これは、比喩だ。

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考え抜いたシンプルな言葉に関する実用上の真実 [Thoughts]

あなたは大切な人に言葉で大切なことを伝えようと思う。

いろんな言葉をさまざまに組み立ててみるけれど、うまく伝わる気がしない。

結局、最低限の言葉だけが残る。飾りのない現実的でシンプルな言葉。

受け取りようによっては素っ気なく、乾いていて、冷たい。

でも、その考え抜いた結果としてのシンプルな言葉が、もしも誤解を生んだり冷たく受け取られたりするとしたら、どれだけ言葉を重ねてみたところで結果はおそらく同じだろう。

これは実用上の真実だ。

だから、封をしたならもうそのことを気に病む必要はない。

(魂のプラグマティスト)

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