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作文の補助線 [Thoughts]

ちょっと長めの文章を書くとき、ああでもないこうでもないと悩むのではなくて、書こうとすることに直接関係ないことまで含めて、頭に浮かんだことを全部書いてしまってそのうちに勢いで何かいいものが出てくることを期待する、というのが実はいちばん楽だ。

書いたことの大半は消してしまうとしても、消してしまった部分は最後に残った内容の「補助線」のような役割を果たしている。

これは昔、木村泉著「ワープロ作文技術」という本で、書き下ろしのテクニックのひとつとして紹介していた話。

ワープロは、どんなことを打ち込んでも平気である。腹の立つこと、明らかに自分の偏見なのだが、どうしても口に出してみたくてたまらないことなど、そのまま打ってしまってもワープロが爆発することはない。もちろん人に見られては困るが、あとで編集して消しておくことさえ怠らなければ、物議をかもす原因になることはあり得ない。
そこで、当たり触ることをかまわず打ち込んでしまって、そうすることによって文章書きに勢いをつける、という手がある。打つだけ打ってあとで読みなおしてみると、たいていの場合気が納まっていて不当なことは不当に見えてくる。だからそういう暴言のたぐいは消す。実際、消したくなる。あとには筋道の通った、しかし迫力のある文章が残る。
このやり方は、幾何の証明で補助線を引く、というのとよく似ている。

この本、今はユーズドでしか手に入らないけど、名著です。「ワープロ」という響きには時代を感じるけど、内容は今読んでも充分に通用する。

この本が出た1993年当時と違って、パソコンを使うことを疑う人は誰もいないけど、パソコンで文章を書くときの考え方って、実は今でもあんまり理解されていない。

この補助線の話にしても、似たようなことを無意識にはやってるかもしれないけど、意識してやればすごく効果的だし、アウトラインの正しい使い方もそう。

逆に見た目はキーボードを打っていても、頭の中身は手書きのままのケースって、けっこうたくさんある。

「ワードより文字が自由に配置できるから」という理由でエクセルをワープロ代わりに使うなんていうのはその最たるものだし、長くて複雑な報告書をパワポで作ってしまうなんていうのもそう。

そういうことで殺されてしまっているものがどれだけ大きいか。その社会的損失って、計り知れない。


ところで、前回の「仕事の補助線」の話もそうだけど、補助線=「後から消すことを前提に、無駄なことを意識的にする」ことで楽になったりうまくできるようになることって、他にもあるような気がする。
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