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Win-Winあるいはオトナ同士の対等で公平な関係 [Thoughts]



このツイートは、倉下さんのメルマガ(Weekly R-style Magazine---WRM)での連載「僕らの生存戦略」に対する感想として書いたもの(この連載は、最近個人的に切実に考えてることと繋がってて、とても興味深く読ませてもらってます。大変に興味深い内容なので興味ある方はぜひ購読お勧め)。

これに対して倉下さんからメルマガ中でこんな回答をいただいた(ありがとうございます)。
その通りですね。『七つの習慣』では、きちんと上記のように書かれています。
win-winは、低次の妥協ではないのです。だから何を自分のwinとするのかが、とても大切なのでしょう。言い換えれば、何に自分はwinを感じるのかを知ろう、ということです。

本当に、その通りだと思う。

で、「7つの習慣」ではWin-Winを次のように定義している。
Win-Winとは、「自分も勝ち、相手も勝つ(それぞれの当事者が欲しい結果を得ること)」

だけど、冒頭のツイートにもあるように、多くの場合Win-Winという言葉は「〈妥協点〉や〈落としどころ〉を探る」という意味で使われている気がする。あるいは相手から譲歩を引き出す交渉術のような意味合いで使われたり。「7つの習慣」の概念でいえばこれはWin-Lose、Lose-WinまたはLose-Loseだ。

もちろん、本来の意味でのWin-Winが実現できないことは多々あるわけだけど、最初から妥協点や落としどころを探ろうとする姿勢と、ぎりぎりまで本当の意味でのWin-Winを追求した結果としての妥協や譲歩とでは、何かが決定的に違う。たぶん。



でも、現実世界でそんなあり方をイメージすることができないという人はけっこう多い。「それって理想論ですよね?」と。



それって理想論ですよね?

利害って対立するものだし、自分が何かを取れば相手は失う。相手が何かを取れば自分は失う。

だからどうすれば自分の取り分が残るかお互いに探り、譲り合う。うまく折り合わないのなら、いかにして自分の取り分を最大化するかを考える。譲ればそれは「貸し」になる。

大人同士の対等で公平な関係ってそういうものでしょう。

そうでない関係は、どちらかが貢ぐか搾取されるか、言葉はいろいろありますけど、いずれにしても不公平でゆがんだものになるんじゃないですか。

ぼくにはそうじゃない例がイメージできません。



そうかな?



自分が気持ちよくなることだけを追求して、相手が気持ちいいかどうか顧みないというのはあんまり素敵じゃないよね。

逆に相手を気持ちよくすることだけに意識がいってしまって自分が楽しめなかったら、元も子もない。ひたすら奉仕し続けるというのも、場合によってはある種の(ねじれた)満足感を得られる場合もあるかもしれないけど、きっと長くはつづかない。

どこかで覚えてきたテクニックを駆使すればいいというものでもない。それは一時的には有効かもしれないけれど、きっと何かが足りないと思うようになる。自分も相手も。

やっぱり、そこに必要とされるのはある種の姿勢、心のあり方だと思う。心から相手に気持ちよくなってほしいと思うこと。そして、そのことを通じてこそ自分も気持ちよくなるということ。

どちらも減らない。どちらも満たされる。

簡単なことじゃないし、実際なかなかうまくはいかないけど。もしそれができたら最高だと思うし、それを目指さなきゃ意味がない。



「……なんか別の話になってませんか?」



オトナ同士の対等で公平な関係。
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