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他人の言葉によって作られている一部分 [Thoughts]

中学生くらいの頃、ある奥様に「Tak.くんはどんな女の子が好きなのかしら?」とか聞かれて「良い言葉を使う人」と答えたら「あら、若いのにロマンチストなのねえ」と笑われた。

それ以上うまく言葉にできなかったので「(. . )」となり、心で「( - -)ψ」と思った。

というか、なんでそんな答えをしたのだか。



たとえばの話。

人と話しているとき、今あなたが口にした言葉にはとてもとても「力」があると言いたい衝動にかられることがある。

ここで「力」というのは、否応なく頭の中で反芻し、咀嚼し、実際につぶやいてしまうという意味で、物理的なものだ。

それは多くの場合特に立派だったり刺激的だったりするわけではなく、単に個人から個人に向けて日常的に瞬間的に便宜的に実用的に口にした言葉、ようするにごく普通の言葉だから、言葉の主は今自分が口にした言葉にそんな「力」があったなんて夢にも思わない。

こちらも何も言わない。

でも、そういう「力」のある言葉というのは確かにある。

その結果として自分の中のある一部分は「他人の言葉」によって作られているという実感がある。

折に触れて誰かが口にした「力」のある言葉を何度も思い浮かべ反芻するうちに、あるものは自分の中に根付き、自分自身の言葉になる。

他人の言葉のリズムやメロディを自分のものとして取り込む中で、もともと自分の中にあった言葉のリズムやメロディも少しだけ変化する。すでに書かれている文章に新しい言葉を組み込むときと同じだ。

そのプロセスの中で、自分自身も少しだけ、しかし確実に変化する。

だから、長い年月のうちには自分の中の相当部分が他人の言葉によって(結果的に)作られていることになる。

「力」にはもちろんポジティブなものもあればネガティブなものもある。だから良い言葉を使う人のそばにいることはとてもとても重要なことだ。ロマンチストであることとはあまり関係がない。



と、30年後の今ならば説明することだろう。



「そういうのをロマンチストというんだ」

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