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プログラマーのエディタのような物書きのエディタ [アウトライナー]

「テキストエディタ」と「文章エディタ」は似ているけれど同じではない、と思う。ここでいう「文章エディタ」というのは、密かな憧れを込めた造語です。

テキストエディタはテキストファイルを編集するためのもの。文章エディタは文章を編集するためのもの。そして「テキストファイル」と「文章」は似て非なるものだ。

本来はワードプロセッサーが「テキストエディタ」に対する「文章エディタ」の役割を果たすはずだったのだと思う。でも現状のワープロソフトが文章エディタになってるかというと。

プログラミングのためのテキストエディタは、コードの編集に特化したかゆいところに手が届く機能をたくさん持っている。

この種のエディタって、それ自体に内蔵した言語で拡張できるようになってることが多い。そして自身がプログラマーであるユーザーが欲しい機能を自分で書いて、良い機能は広まり、取り込まれていく。もしくはそれをベースにさらに改良されていく。

こういう「プログラマーが作ったプログラマーのためのエディタの機能」に相当する「物書きが作った物書きのためのエディタの機能」ってどんなものなんだろうとよく考える。

もっと具体的にいうと、物書きユーザーが自由にプログラミングができたら「文章エディタ」ってどんなものになっていくのだろう。少なくとも今の「ワープロ」の機能ではない気がする(今のワープロの需要はそれはそれであるとは思うけど)。

もちろんエディタのマクロやスクリプトを活用して自分自身で必要な機能を作成している物書きユーザーだっている。

でもプログラマーたちがプログラミング用エディタを磨き上げていくような意味で、物書きユーザーたちが文章エディタを磨き上げるということには残念ながらなっていない、と思う。

なんといっても自分を含む大多数の物書きユーザーはプログラムが書けない。しかもコンピューターでできることを想像することもできないので、要望を開発者に伝えられない。

そして開発者(=プログラマー)の多くは自身が物書きではないので、物書きユーザーが本当は何を求めているのか理解できない。真剣に声を聞こうとしても、そもそも物書きユーザーが要望をきちんと言語化できないという上の問題に戻ってしまう。

※いや訂正。プログラマーであり優れた物書きでもある人はたくさんいる。でもそういう人はプログラミング用のエディタを物書き用に使いこなしてしまうのだ、たぶん。結城浩さんのVimとかまつもとゆきひろさんのEmacsとか。

ぼくにとってはOmniOutlinerとかWorkFlowyとかFargoに代表されるプロセス型アウトライナーが「文章エディタ」(の姿を垣間見せてくれる存在)だけど、その原型を生み出したデイブ・ワイナーさんは優れた物書きでもある。それは物書きの思いを形にできた数少ないケースのひとつだったのだ。



その垣根を越えることは難しいのかなと思っていたけど、シンプルきわまりないWorkFlowyの機能の上に、みんなが次々と思いもよらない使い方を生み出していく様子を目の当たりにして(思考のOS!)、もしかしたらこういうところにヒントがあるのかもしれないとも思った。

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