So-net無料ブログ作成

九歳のフリーライティング [Thoughts]

一年生から五年生の二学期までアメリカに住んでいて、その間平日は現地の公立学校に通い、土曜日だけ日本語学校に通った。日本語学校では日本の教科書を使い、日本から派遣された先生が授業をした(かなり大変な仕事だと思うし、今でも感謝している)。

週に一回だから授業内容を完全に網羅するわけにはいかず、理科の実験なんかは省かれてたけど、かなりきちんとした「日本風」の授業だった。そのおかげで帰国して日本の学校に編入したときのカルチャーショックはかなり少なくてすんだ。

そして国語の授業にはもちろん「作文」もあった。



作文が大の苦手だったのは、「頭に浮かんだことをそのまま書けばいい」と言われて本当に頭に浮かんだことをそのまま書くと、きっと書き直しになるとわかっていたからだ。



「海」(再現)

バスがトンネルをぬけると海が見えてきました。
みんながかんせいをあげました。

(いいね)

ぼくだけかんせいをあげませんでした。
ぼくはいつもそうです。

(あれ)

ぼくは海が好きです。
海が見えてくるのを楽しみにしていました。
いちばん好きなのはさいしょに海が見えるときです。

(よしよし)

みんながかんせいをあげているのを見て
ぼくもかんせいをあげなければいけないと思いました。
ぼくもみんなのようにかんせいをあげたいです。

(あれあれ)

かんせいをあげる人は
海がとても好きなんだなあと思いました。
ぼくはあまり海が好きではありません。

(あれあれあれ)

みんなでうたをうたうこともぼくは好きではありません。
ぼくはうたを聞くことが好きです。

(??)

海は広いなあと思いました。
ぼくは海が好きです。

おわり

(!)



そしてやっぱり書き直しになった。
なるさもちろん。

でも、「順番が」とか「ねじれてる」とか「あれとこれは別の話」とか言われても、そのときはとても困った。思考はまさに一連のものとしてこの順番で進んだのだから。



今なら容易にわかるけど、これはフリーライティングみたいなものなのだ。

一連の思考の中に、いくつかのコアとなるアイデアが現れている。それをひとつひとつ選り分けた上で、どれかにしぼる必要があるのだろう。

当時のぼくにはどうしたらそんなことができるのか想像もつかなかった。「やり方」があるのだということさえ。

その「やり方」の例をはじめて具体的な形で見せてくれたのは、おそらくデボラさんだ。デボラさんについては以前「知的生産と能率の風景」という記事で書いたことがある。



それはそれとして、今考えるとこの作文は、自分という人間が夏休みに海にバス旅行に行ったときの体験と気持ちを実に総合的かつ多面的に表現できている、気がしなくもない。

そして海は好きなのか好きじゃないのか。

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0