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祈り、呪い、パンケーキ [Diary]

事情があって、ある人生の大先輩と話こむ。ファミレスで、四時間近く。

(20年ぶりくらいに「ジャンバラヤ」というものを食べたさ。それにパンケーキも)

といってもほとんど話を聞いていただけ。いろいろ思うところはあったけど、反論も意見もできる限りせず、ただ聞き続ける。

それでもまだ表面をかすっているようなものだと思う。うわずみみたいなものだ。

その奥に、長年の間体の中に蓄積され凝固したどこかで外に出すべきだった言葉たちの存在を感じる。

どうしてこんなになるまでその言葉は放置されてきたのか。

その責任の一部はたぶん自分自身にもあるのだろうと少し思い、いやそれは誰かに責任があるようなものではないと思い直す。



ここのところずっと考えていること。

祈りについて(宗教的な意味での祈りとは違うと思うけど、祈りという言葉を使わざるを得ない)。

たぶん、生きる姿勢に深く根ざした言葉のうちあるものを祈りといい、あるものを呪いという。

そして言葉とはエネルギーだから、呪いの言葉を相殺するのは同じだけの祈りの言葉だ、と思う。

でもそこにある呪いが個人の力ではどうにもならないくらい強力だったとき、何ができるだろう。

やっぱり呪いの言葉を相殺できるくらいの強力な祈りの言葉をつくることなのだろうか。

わからない。



フリーライティングについて考える。

自分のいちばん奥の深いところをにある言葉を形にしてみること。そして編集してみること。

最初に出てくるものはきっとうわずみだ。でも何度も書き出し、編集を繰り返しているうちに、そこに何が現れてくるか。



祈りとは言葉を形にしてみることからはじまる、と思う。でもそれは呪いだって同じことだ。だとしても、形にしてみることが必要なときもある。



形にされるべきときに形にされず、体のなかに止まり続ける言葉には毒がある。

言葉の毒は、長い時間をかけて人を蝕んでいく。時にそれは呪いと区別がつかない。



でもそこにあるのは決して呪いではないと信じている。呪いとパンケーキはきっと相性が悪いはずだから。

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