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意思を持った変化 [Diary]

ひさしぶりに、ふたりで散歩する。

住宅街を越えて猫を探し
途中の神社で初詣して
おみくじ引いて
山を越えて
向かい合ってごはんを食べて
お茶を飲む。

1年前に前職を離れたときには、もう少し頻繁にこういうことができるようになるような気がしていたけど、もちろんそれは甘い考えで。

期待なんてたいてい甘い考えだ。でもとにかく穏やかに晴れた冬の日に散歩した。それはやっぱり貴重なことだ。

(つまり普通の一日)



去年はいくつかの良いことといくつかの悪いことがあり、そしてそれらのうちのいくつかが今年も継続中だ。

自分なりに変化を起こせたと感じたこともあるし、自分のあまりの変わらなさにうんざりしたこともあるし、変化を先送りしたまま長い年月が経つことの悲しさを実感したこともある。

(つまり普通の年)



去年いちばん強く自覚したのは、生きていればものごとは変化していくということだ。そして変化には意思を持った変化と意思を持たない変化がある、ということだ。

当たり前だけど、人生に起こる変化の多くは選ぶことができない。選ぶことができない変化の中には、残酷だったり無慈悲だったりするものがある。

(変化の多くを選べると思っていることを若いという)

でも、変化の中には確かに自分の意思で選べるものがある。完全には選べなくても、その一部を選べるものがある。選べなくても、少なくともそこに意思を持てるものがある

できることなら、自分に起こる変化は意思を持った変化でありたい。それが可能であるかぎり。



これは「自ら変化を起こす」なんていうこととは少し違う次元のものごとだ。

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