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猫の神様2 [Diary]

生き方をこれまでとは違う形であらためて真剣に考えなくてはならないフェイズに入ってきたことを痛感する出来事が、ここのところ続いていた。

仕事が変わったことも合わせ、過渡期にまつわるストレスフルな状況がいろいろ続いていたし、そんなときは夫婦間でもこれまでうまくいっていたやり方がうまくいかなかったりする。

そういうときは、とりあえず歩くのがいい。それさえできないこともあるけれど、歩けるときには歩く。特別な場所ではなく、近所のなんでもない普通の道をふたりで散歩すること。

(これは何かの秘訣だと思う)



去年の10月頃を境に、散歩コースのトモダチだった三毛猫を見かけなくなった。

コースの途中にある一軒家でエサをもらっていたノラ猫。ノラといっても、玄関の横に専用の水飲み場だって用意してもらっている。

世の中には二種類の猫がいる。
遊ぶ猫と遊ばない猫だ。
それは遊ぶ方の猫だった。

いつ行っても、ぼくらの姿を見かけると、いつものお気に入りの場所(エアコンの室外機の上)で一回伸びをしてから、飛び降りてこちらにやってくる。そして足の周りを回ったり触らせてくれたりちょっと会話したりする。

だから、その方角に用事があるときには遠回りをしてでもその家の前を通るくらいには、ぼくらはその猫に会うのを楽しみにしていた。

その猫を、もう数ヶ月見かけていない。

まあ、ノラだから別にいなくなったって不思議はないのだが、今日もいないな、今日もいないなと思いながらなんとなくその家の前を通りすぎることを続けていた。

今日もきっといないんだろうなと思いつつ、いつもと同じようにその家の前を通った。

思った通り今日も猫はいなかった。そしてもうひとつ気づいたのは、専用の水飲み場とお気に入りの室外機がなくなっていたことだった。

だからと言ってなんらかの結論を出す必要はない。もしかすると、その家の正式な飼い猫にグレードアップしたのかもしれない。

でもとにかく、あのフレンドリーな猫は(少なくともこの場所には)もういないんだな、と思った。



それもまた、変化の一部だ。



そのまま近所のデニーズに晩ごはんを食べに行くことにした。

そのデニーズは店の作りが意外に居心地いいし、長居できるし、コーヒーだっておかわりできる。そして平和だ。

変化の渦中では、心は平和と凡庸を求める。



散歩コースからデニーズのある街道筋に抜ける近道を、散歩の延長でぶらぷらと歩く。近所だけど、普段はあまり歩かない道。

途中、見覚えのない駐車場があった。最近駐車場になったのかもしれないし、以前からここにあった(けど印象に残っていない)のかもしれない。なんの変哲もない、おそらく近所の人が利用する月極の駐車場。

その駐車場の前で、妻が唐突に立ち止まった。何かと思って顔を上げると(うつむいて歩いてたのだ)、いちばん手前に駐まっている白いアクアのボンネットの上に、美しい白猫がきちっと座り、街灯の光の中の下、まるでスポットライトを浴びたように浮かび上がっていた。

幻かと思った。



幻じゃなかった。



世の中には二種類の猫がいる。
遊ぶ猫と遊ばない猫だ。

その美しい白猫は、遊ぶ方の猫だった。
それも、ものすごく遊ぶ方の猫だった。
足に顔をこすりつけた勢いで前方に一回転するくらい。

近くでよく見ると、それは最初に思ったような白く美しい猫ではなかった。白いことは白いけれど、まあなんというか、そんなにきれいじゃない。

でも、すごくよく遊ぶ、白くて気のいいおっさん猫だった。

きっと次もそのまた次も、
この駐車場の前を通ったらそこにいて、
きっとこんなふうに遊んでくれることを
確信させてくれるような、
白くて気のいいおっさん猫。



(猫の神様。)

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