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評価しない [Diary]

自分で自分や自分の創ったものを評価しないということは、ときにはとても重要なことです。
自己分析とか客観的な視点とか人の気持ちとか、そんなものくそくらえです。
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ドイツに行くとき覚えておくべき20のこと [その他翻訳]

ドイツ人がアメリカ人向けに書いたものなんですが、これが本当に面白いので、訳しちゃいました(不調なときにはこういうことをすると、すこし元気になります)。これ、「日本バージョン」をつくってみたい。

原文:20 things to keep in mind when visiting Germany

1. ビールについて理解しているのは我々であってあなた方ではない。
誰がその台所洗剤みたいなものを「ビール」と呼んだかしらないが、誤解のもとだ。ドイツでビールを注文するときには、きんきんに冷えていることを期待してはならない。そしてもちろん、泡は意図してそこにあるのだ。

2. アウトバーンについて。
これは確かに真実である:アウトバーンにおける「速度制限無し」の標識は、実際に速度に制限はないという意味である。

3. サッカーは女子供のためのものではない。
ほとんどのドイツ女性は、サッカーのことなど興味はない。しかし男性はそうではない。アメリカ人にとってのフットボール、バスケットボール、野球を全て合わせたものを想像すれば、我々にとってのサッカーの意味が理解できるだろう。

4. 「レーダーホーゼン」を履いた人が見たいのなら、バイエルンに行こう。
バイエルンはドイツのテキサスのようなものだ。人々は妙な話し方をし、不思議な服を着ているので、他の国民からは笑いのネタにされている。つまりバイエルンにおける「レーダーホーゼン」はテキサスにおけるカウボーイハットに相当する。

5. 日曜日は休息のための日であって買い物のためではない。祭日についても同様。ちなみに我が国にはたくさんの祭日がある。
そう、ドイツ人はルール好きだが、ほとんどの外国人が理解できないルールのひとつがこれだ。あらゆる買い物は、平日の午前8時から午後9時の間に行われる(営業時間はまちまちだが、この時間帯にはほとんどの店が開いている)。唯一の例外はガソリンスタンドだ。一部のガソリンスタンドがまるで小さな雑貨屋のようにみえるのはそのためだ。

6. 我々に笑顔を期待しないでほしい。ここはウォールマートではない。
90年代、ウォールマートはドイツの小売業界で成功するために莫大な金額を注ぎ込んだ。お客様へのご挨拶、笑顔、フレンドリーな接客、そして組合活動の抑制までをパッケージにして。2006年、彼らは店を売り払ってドイツを去った。我々は理由もなく笑うことは得意ではないのだ。

7. ドイツ語ができない? 大丈夫、英語がある。
40才から下のほとんどのドイツ人は、英語ができる。ひょっとしたら完璧とは言えないかも知れないが、なんとか使える程度に。ちなみに、もしあなたが彼らのアクセントを聴いて笑い出したい衝動にかられたら、ドイツ語に挑戦してみよう。我々にもときには笑いが必要だ。

8. 「フォルクスムジーク(民族音楽)」が聞こえてきたら……逃げろ!
それは、終わりのないポルカ地獄のようなものだ。科学的根拠はないが、フォルクスムジークを聴くと脳が溶けると私は確信している。

9. 我が国には公共交通機関がある。
小さな村々を除けば、車を使わずにほとんどどこにでも出かけることができる。この点がなぜ我々にとって重要なのか理解できなければ、ドイツのガソリンスタンドで満タンにしてからレシートを見るとよい。だから、我々は環境保護主義者になるのだ。

10. 男同士のキスシーンは見たくない? ならあっちを向いていよう(そしてケルンには行かないこと)。
他の記事でも書いたように、自分自身が関係を持ちたい場合を除いて、他人のセクシュアリティは我々の関知するところではない。ああ、それからケルンはドイツにおけるゲイの都である。

11. セックスとドラッグに関するヨーロッパ人のリベラルさについて何を耳にしたかは知らないが——ここはオランダではない!
コーヒーショップに行っても合法的にドラッグを入手することはできない。ドラッグに関して言えば、ドイツは合衆国とさして変わるところはない。

12. 乳首を目にしたくないならテレビをつけるな。
これは真面目な話だ。特に民間放送局の夜間の番組は、テレフォンセックスのコマーシャルのオンパレードである。

13. 良いことは何一つないと理解することは、ペシミズムではない。
あるとき神は人々に告げた。「世界は終わることになる」。ドイツ人たちは腹を立てて家に帰ってしまった。神は続けた。「それまでには20億年ほどかかる」。アメリカ人たちは喜んだ。うん、まあ証明はできないが、おそらくそんなようなことだったと思う。

14. もし16才以上の子供を連れて旅行するなら、よく監視しておくこと。
彼らがビールとワインを飲むことは合法である。ハードリカーは禁止だが。

15. 買い物に数学は不要だ。我が国の表示価格は内税である。
アメリカで、実際に支払う必要のある金額とは異なる値札を商品につける理由が、私にはどうしてもわからない。

16. 席に案内されるのを待ってはいけない。
ほら、そこに良い席があいている。座ろう。簡単なことだ。

17. チップは歓迎されるが、義務ではない。
ドイツでは、ウェイターは生活していくのに充分なだけの給料をもらっている。もちろんそんなに多いわけではないが、チップを義務化するほどではない。ドイツにおけるチップは、良いサービスに対する純粋な感謝の印である。

18. ドイツの電源は110Vではなく220/230Vだ。アダプターを買おう。
準備なしにやってくる旅行者の多さは、まったく信じられないほどだ。

19. ナチの時代は遠い昔に去った。
とはいえ、その遺物のような連中がまったく存在しないということではない。スキンヘッドのように見える男が、スキンヘッドのように叫び、その上スキンヘッドのような匂いがしたら、自らの判断を信じて彼を避けるようにしよう。特にドイツ東部ではそうだ。

20. WEB上の情報を全て信じてはいけない。もちろん、このリストも含めて。
それは一般論である。ドイツの街で出会うほとんどの人々は、あなたの母国の人々とそんなに変わるところはない。我々はフレンドリーで、楽しく、とても親切である。

※一応、ちゃんとした翻訳許可をお願い中。
※ちょこちょこと修正しています。
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そもそもロングスリーパー [Diary]

金曜の夜、仕事から帰ってきて、10時半くらいにごはんを食べて、そのあと「ちょっとだけ」横になったら、そのまま朝9時まで寝てしまう。歯も磨かずシャワーも浴びず。

でも、起きた後の体の軽さは自分でも驚くほどで、「これが自分の本来の状態なんだ」と思うと、やっぱり平日の平均睡眠時間3時間半というのは、考え直さなきゃならないんだろうな。

当たり前のことなんだけど。
タグ:生活 記録
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知ってるからできるかというと。 [Diary]

「不調なときは、素直に不調なままでいる方が早く不調から抜け出せる」ということは、それなりの期間生きてきて、体験的に知ってるんだけど。

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ちょうどいいくらい [Diary]

「美味しくて・量が多くて・空いている」三拍子が気にいって、よく週末にランチを食べに行っていたお店がしばらく前から異常に混んでいて、何週か連続で入れないということを繰り返した末に、昨日久々に食べられました。でも、調理から洗い場まで全てを全てひとりでこなすマスターが忙しすぎて、前のお客さんのお皿を片づけるヒマがなく、空き席があるにもかかわらず、席につくまで約10分、立って待つ。

たぶん雑誌やガイドブックに立て続けに載ったせいだと思うけど、それにしてもマスター大変そうです。お店にとってお客が入るということは良いことだけど、どう考えても一人の限界を超えてる状態を見ていると、果たしてこれでいいんだろうかと、他人事ながら心配になります。

でも、「ちょうどいいくらい」お客が入るというのは、きっとものすごく難しいことなんだろうな。そもそも最初から「ちょうどいい感じで……」なんていう姿勢でやってたら、商売なんかできないだろうし。

そういえば昔「別にお金持ちになりたいとは思わない。お金はちょうどいいだけあればいい」というようなことを口走っていた覚えがあるけど、〈ちょうどいいだけのお金〉というのは実は〈かなりの額のお金〉だということがわかってなかったんだなー、というのと似てるような似てないような。

ところで、例外的に「ちょうどよく忙しい」を実践している(ように見える)いつものところは、今日も居心地がよかったです。
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OASYSのアウトライナー [アウトライナー]

押し入れの中から、昔のパソコンやソフトのパンフレットを整理したファイルが出てきました。WordPerfect 5.1JとかEG Bookとか、そういう強烈にレアな内容物の中で目を引いたのが、富士通のワープロ専用機OASYSのパンフレットです。

実はぼくがはじめてアウトライナーというものの存在を知ったのは、富士通のワープロ専用機OASYSからでした。確か大学3年生だったから、1989年頃のことです。

「ワープロ専用機」なんて知らない、という人も今ではいるかもしれませんが、当時はワープロ専用機がようやく一般人に普及しつつあるという頃。大学生でワープロを持っているなどという人間は多くはなく、ましてパソコンはいわゆるマニアやオタクのものという印象でした。ちなみに当時は国内でパソコンといえばNECのPC-9801、OSはMS-DOS。Windowsは存在はしていましたが、実用にはほど遠い状態でした。

そんな中で、ぼくは比較的早い時期からワープロを使っていました。手書きよりも早く、大量に書きたかったから。当時、小説を書いたり演劇の台本を書いたり、まあ、そういう(よくいる)タイプの大学生で、書くことにかなり切実な需要があったわけです(時期が早かったせいで、カナ入力の呪いに今に至るまで悩まされるわけですが)。

80年代の中ごろから、日本でもプロの文筆家がワープロを使いはじめ、文章、特に長文を書く際のメリットも徐々に伝えられるようになっていました。特に安部公房、高橋源一郎、曾野綾子、佐木隆三、山根一真といった人々が積極的に発言していたと思います。

でも、当時のワープロに対する世間的な認識は、第一に「漢字変換機械」、次に「印刷機械」という程度のもので、特に普及価格帯のワープロの宣伝やパンフレットは、飾り文字や飾り罫線の種類を誇るものが主流でした。要は24×24ドットのギザギザの文字でカセットテープのラベルをつくったり、せいぜいPTAや町内会の名簿をつくるというくらいのものでした。

実際、初めて買ったワープロは、秋葉原「おのでん」のエスカレーター脇に無造作に置かれていたのを展示品処分品のパナソニックU1EXという機種。大学のレポートなんかをそれで書いたわけですが、ディスプレイの表示は10行、一度に編集できる文書サイズの上限はA4数枚、編集できる文字数にも行数制限があるというスペックでは、長文を書くことは事実上不可能でした。職業ライターや作家が使う機種は、プロ向けの高級機で、そこらへんに売っている家庭用の製品とはぜんぜん違うものだということを痛感したわけです。

それでも、なんとかもうちょっとマシな機械を、ということでパンフレットを物色していたところに見つけたのが、例のOASYSのパンフレットでした。

「思考を助け発想を刺激するアウトラインプロセッサの機能搭載」
「アイデアのランダムな入力→整理・骨子(階層)の形式→見出し(題目)の入力・入れ換え→細かな記述の修正→……と、全体を把握しながら文書作成が可能。発想が浮かんだら部分的に書き込み、ふたたび全体に戻って章建てを推敲しながら文書作成が行える「思考ツール」です。」
oasys.jpg
今改めて読んでみると、当時の予備知識も何もない自分がその説明を読んだだけでアウトライナーの何たるかはわからなかったと思うんですが、結局その機種(OASYS 30SX)を買ってしまったのは、その「アウトラインプロセッサ」機能に強く興味をひかれたからです。

ほとんどアウトライナーのためだけにOASYSを買ってしまったわけですが、実際のアウトライナーとしてのOASYSの使い心地はどうだったか? OASYSのアウトライン機能は相当に原始的な代物で、特殊な「見出し記号」で始まる行を抜き出して表示し、編集するというスタイルでした。一応本文を非表示にした状態でアウトラインを操作することが可能でしたが、見出しレベルは3階層までしかなく、複雑なアウトライン操作はできませんでした。見出し記号を使わずに、インデントの深さで階層を示すこともできましたが、OASYS30シリーズでは原稿用紙30枚程度が一度に編集できる限界だったことからして、もともと大した長文は扱えなかったわけです(それでも当時の家庭用のワープロの中では容量の大きい方でした)。

それでもアウトライナーの片鱗を垣間見ることはできたし、それはとても重要な意味を持つことなんだという感覚はありました。なんといっても、ワープロが文章を書くことをサポートしてくれる、世の中にそんな考え方が存在することを教えてくれたのはOASYSでした。

調べてみると「アウトラインプロセッサ Outline Processor」とは、アメリカのパソコン用ソフトの世界で流行している文章を書くためのソフトの一種で、これまでのワープロよりも一歩踏み込んで、文章を書くときの「考える」作業をサポートしてくれるソフトだということでした。このときのアウトライナーに対する興味が広がって、その後、奥出直人、大河内勝司、紀田順一郎といった人たちの本やインタビュー記事で「本物の」アウトライナーの世界に触れ、ThinkTank、MORE、GrandView、Acta、Voila!、Microsoft Word、FullWrite Professional、MindWriteなどなどと、とそれらの動作するパソコン、特にマックが憧れの存在になっていきます(そしてその1年後に最初のマックを買うことになります)。

それにしても、(実際にどのくらい役に立ったかは別として)当時のワープロ専用機にアウトライナーを搭載したという富士通の決断はすごいことだったと思います。

そこのスパマーさん(3) [Diary]

ていうか、バイアグラはいらないんだってば。
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そこのスパマーさん(2) [Diary]

だからといって、昼間仕事中に送ってきていいということではない。

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そこのスパマーさん [Diary]

夜中に「貴男にはバイアグラが必要だ」とかいうメールを送ってこないでくれ。
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焼け切れる [Thoughts]

職場に、入社して2年目の女の子がいます。彼女をひと言で表現すると「文句のつけようがない」。去年新人として配属された瞬間から、優秀だし、明るいし、性格が良いし、頼まれたことはどんなことでも文句を言わずに片っ端から引き受けるし、どんな仕事でも手を抜かないし、「大丈夫?」と問えば「大丈夫ですっ!」と答えるし、でも鼻につく感じはぜんぜんなくて、面白いし、適度に抜けてるし、彼氏だっているし、自分の23才のときどころではなく、冗談じゃなく今現在の自分と比較したって、ある意味では彼女の方が上だと思います。いや、本当に。

彼女の代の新人が入社したときに、ぼくは新人研修を担当していたから、まだ部署に配属になる前から彼女のことを知っていたし、並の新人じゃないことは、そのときからわかっていたけど、同時になんだか彼女のことが心配でした。それは、彼女が体調を崩して会社を休んだことがきっかけだったんですが、実はそのときにも、彼女のことを書いたことがあります。

研修終えたての新人をいきなり前線に投入するのがうちの職場の特徴です。いわゆるOJTなんだけど、実態は完全な即戦力で、配属されてからは、先輩について手取り足取りという期間はほとんどない。優秀であれば、どんどん仕事が与えられ、メインの担当者としてクライアントと渡り合うことになります。

で、たとえば仕事Aのレポートを徹夜で仕上げ、翌朝それをメールで提出し、でも並行してやっていた仕事Bの納品日が翌日に迫っているので、休む間もなく仕事Bの追い込みに入り、その途中でさっき提出した仕事Aのレポートを直せという要請が来て、なんとか仕事Bと仕事Aを並行して進めているうちに、仕事Cに関する打ち合わせの時間が迫って外出し、その打ち合わせが押しまくって1時間の予定が2時間半に伸び、その上今日中に見積書を提出するようにと言われ、大急ぎで職場に戻ると電話メモが4枚机の上にあり、それは仕事Aのレポートの直しはまだかという催促と、経理部から昨日提出した書類に不備があったから今日中に修正するようにという伝言と、仕事Dの担当者から明後日の打ち合わせの予定を明日に変えてほしいという伝言と、幹事を努める明後日の飲み会に欠席者が出たから予約を変更しておいてという伝言で……という生活を送るわけです。

この傾向は、たぶん仕事のサイクルそのものがITの普及以来加速したことと、より少ない人間でより多くの仕事をすることが求めらるようになったことで強化されてきていると思うし、たぶん多くの職場で似たり寄ったりな状況だと思う(もっとずっとすごいところだって、たくさんあるはず)。

で、問題は社会が要請する価値観と行動モデルだけが、昔と変わらないまま、むしろ「就活」産業とともにますます強調されるようになっているような気がすること。だって、社会人としての心構えといって語られることって、相変わらず責任感を持てとか、常に結果を求めろとか、向上心を持てとか、周囲に常に気を配れとか、困難に積極的に立ち向かえとか、常に明るく前向きにとか、リーダーシップを身に付けろとか、みたいなものばっかりじゃない?

でも、そんなもの彼女たちは放っておいたって充分やるんだから。

それよりも、今みたいな、極端にいえば「一区切り」つくことが永遠にないような、達成感や充実感や安堵感を味わうヒマがなく、ただ「まだやってないこと」「まだ終わってないこと」だけがひたすら続くような環境で、社会人として他人の期待と自分の期待を100%満たそうという努力を続けるとどうなるかというと、どこかで必ず焼け切れます。間違いなく。で、人は一度焼け切れると、簡単に元に戻ることはできない。永久に元に戻らないことだってある。そういう人を、ぼくは何人も知っています。

だから、「社会人としての——」みたいなやつだけじゃなく、今の「シゴト」を巡る状況の中でそれを厳密に実行することの危険さと、自分を守るためのあり方を誰かが伝えなきゃならない。あるいは実行しなきゃならない。ちゃんとシゴトをしながら。

ぼくは職場に中で先輩とか上司としての役割をほとんど果たしていないけど(自慢することじゃないな)、彼女に「がんばるな」ということが、なんだか自分の責任みたいな気がしてしょうがない。先週、目に光がない、なんだかどーんよりしている、これまであんまり見たことのない表情の彼女を見て、ますます。

いや、考えすぎだと思うけど。考えすぎだといいな。
タグ:職場
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