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バルケッタ [Diary]

久しぶりに学芸大学の「バルケッタ」に行く。一応、結婚記念日のつもり。

ぼくらの数少ないお店リストの中で、リーズナブルで静かで居心地が良くて禁煙でもちろん美味しくて、10年以上の間、いつ行ってもがっかりしたことのない貴重なお店。

けっこうおなかいっぱい食べたけど、料理があっさりしてるので、食べた後もすっきりしてむしろ体が軽くなったような気がする。そんな気がするイタリアンて、あんまりないと思う。

あと、(ディナーでなく)ランチのデザートがこれほど美味しいお店は、高級店でも滅多にないんじゃないだろうか。

ストイックで(生)真面目そうなシェフと、一見取っつきにくそうな、でも本当は結構話し好きな奥さん(美人)の二人でずっとやっていて、仕事の丁寧さと、特にランチのリーズナブルさは、こんなので本当にやっていけるのか心配になるくらいだけど。

ストイックさは料理だけじゃなく接客にも現れていて、パスタの量を大盛りにすると「お残し禁止」と念を押される。もしかすると、人によっては「え?」と思うかもしれないけど(たまに口コミサイトで不当に低く評価されてる場合があるのも、そういうところかもしれないけど)、それもこのお店らしくて、けっこう好き。ていうか「態度の悪い接客」との違い、お店全体を見ればわかるでしょう。

最近書く記事が暗いと言われながら、人生は楽しんでます。
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通勤電車で呼吸を合わせる [Diary]

ラッシュアワーの電車というのは実はすごく静かな空間だということが、時間調整のために駅間で止まったりすると、よくわかる。

これだけたくさんの人が密集していながら、誰ひとり声を発しない空間というのも他にない。

隣の人の呼吸まではっきり聞こえる。そんなとき、ふと思いついて呼吸を合わせてみると、まるでその人の抱えている不安まで感じられるような気がする。少なくともその気配が感じられる。

根拠はないけど、そういうときに感じる気配は、たぶんそんなに間違ってはいないし、人はそれだけ気配を振りまいているのだと思う。こんな風に自分の気配も人に感じ取られてるんだろうな。

そうやって気配を感じてるのって、たとえそれが不安なものだったりしても、不思議と気持ちがよくて、見知らぬ他人に何かシンパシーのようなものを感じたりもする。そのまま寝ちゃうことも多いけど。
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健康と不健康のはざま [Diary]

朝、目が覚めたとき、心の中を占めているのって、だいたい不安だったり恐怖だったりするんだけど、それが何に対する不安と恐怖なのかはわからない。

不安だったり恐怖だったりのせいで、布団から出るのがすごく嫌なんだけど、無理矢理にでも起きて動きはじめると、不安だったり恐怖だったりは、潮のようにひいていく。

仕事に向かう電車の中で、お昼は何を食べようかとかそんなことが心の中を占めていることに気づくとき、自分がまさに健康と不健康のはざまに立っていることを感じる。
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To-Beリスト [Diary]

レオ・バボータの「To-Doリストを捨てろ」を訳して以来、しつこくTo-Doリストについて考える。

「To-Doリストを捨てろ」には今でもアクセスが多いし、きっと多くの人が悩んでるんだと思う。

もちろん現実に自分自身がTo-Doリストを捨てることなんてできていないし、そもそも「理想論だ」という意見があると思う。

だけどそういう「現実」のTo-Doリストのコンセプト自体が理想論だという気もする。真剣に作ったTo-Doリストは、無限に長くなって、どう考えても絶対に完了しない。それがストレスの原因にもなる。特に真面目な人が、真面目にそれをこなそうとするほど。

その割に、1年前のTo-Doリストを今みてみると、残っている膨大な未チェック項目のほとんどは結局やらなくてすんでしまったものか、別の形で完了している。だとすると、To-Doリストに書いてあることに手をつけられなかったり完了できなかったりするときのあの焦燥感て、なんなんだろう。

本当に必要なのは、たぶんTo-Doリストではなく、To-Beリストだ。
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手法とツール [マンダラート]

ようやく完成した(?)iMandalArtをいろいろといじっていてふと思ったこと。

やっぱり「手法としてのマンダラート」と「ツールとしてのマンダラート」は分かれているべきなのかもしれない。

たとえば、デビッド・アレンが提唱する「手法としてのGTD」と「ツールとしてのGTDアプリ」は分かれている。アレン自身は自前のアプリを提供はしていない。

マンダラートの開発者・提唱者である今泉先生は、手法としてのマンダラートを提唱し続け、ツールの実装は他の人たちに任せてもいいのではないかと思う。

もちろん、数あるツールの中のひとつとして、自前のツールを提供し続けるというのはありだし、アレンがOmni Focusを推奨するように、出来のいい、あるいは自分の考え方に近いツールにお墨付きを与える、というようなことはあっていいと思う。

手法としてのマンダラートのすばらしさも、アプリとしてのiMandalArtのすばらしさも認めた上で、敢えてそんなことを思ってみた。


ついでにいえば、手法としてのアウトライン・プロセッシングよりも、ツールとしてのアウトライナーが先に来てしまったことが、アウトライナーの不幸だったのかもしれない。
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本日の誤変換 [Diary]

無観客慈愛。
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エロスと共感と無観客 [Diary]

なんだかずっと「無観客試合」について気になっている。

ひとつには、自分が高校球児(という言葉は好きじゃないけど)だったとして、そして例えば好きな女の子がいたとして、その子に試合を見てもらえないのって、どんなものだろう、ということ。

こんなことを言うと怒る人がいるかもしれないし、否定されるかもしれないけど、かつて男子高校生だった経験からいうと、その頃の自分のモチベーションなんて、ほとんどエロスだもん(笑)。

もちろん、人が真剣にスポーツをやる動機はそれだけじゃないかもしれないけど、多くの男子高校生にとって、それは間違いなく重要な要素だと思う。

だから単純に、好きな子に自分のプレーを見せられないのって、きっと悲しいだろうな、と思ってしまう。

たとえ動機がエロスだけだったからといって、高校野球の純粋性を損なうものではない。エロスほど純粋なものはないんだから。

そしてもうひとつ。自分の知らないだれかが自分を見ている、という感覚の重要性。

観客の視線の中で、見たこともないだれかとつながっている、あるいは共感しあっているという感覚。

それって、何かを継続する力になるし、自分をもう一歩先に進めてくれる。「観客」の存在は、それを直接感じさせてくれるし、その感覚を味わうこと自体が、貴重なことだと思う。

「観客」の存在が、自分にできることや、その可能性を広げてくれる。もっというと、「観客」の存在が、本来自分にできないはずのことをさせてくれる。

問題の大変さは理解しているつもりだし、非常事態の中でやむを得ないということもわかっているつもりだけど、「無観客」であることで奪われるものの意味と大きさ(それは単に観客がいないということ以上のものだ)を、忘れてほしくない。
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本日の二言三言 [Diary]

わたしはいったい、どこに行こうとしてるんだろう。
いやもちろん、本当はわかってるよ。
自分がどこに行こうとしてるのかは。
(Tomo.)
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シンクロする可能性が切れないように [Diary]

毎年この時期になると、高校野球神奈川予選のトーナメント表をチェックして、母校の試合のある日を確認し、休みの日にテレビ中継があろうものなら、外出せずにテレビの前に座ってしまう。休みでなくても、結果速報は仕事の合間にきちんと確認する。

こんなふうに母校の試合を応援していることを知ったら高校時代の知り合いは驚くかもしれない。

もともと、母校に愛校心なんてかけらもない。

何かというとすぐバリカンで坊主にされるし、体育は軍事教練みたいだし、無意味に張り倒されるし、「お前らまさか大学に入れるなんて本気で思ってないだろうな」なんて言われるし。思い出したくもない(学校の外では懐かしいことがたくさんあったけど)。

にもかかわらず、野球部の試合だけは、どういうわけか当時も卒業後も、ずっと見続けてきた気がする。全校応援になんか意地でも参加しなかったのに(そしてまた張り倒された)。野球部の連中とも仲が悪かったのに。

たぶん、野球が好きなんだろうね。

もともと日本のプロ野球もメジャーリーグも高校野球も好きだけど、夏の高校野球の神奈川予選は中でも特別に面白い(神奈川の野球ファンはみんな知ってる通り)。はっきり言って、甲子園よりずっと面白い。

母校は、激戦の神奈川大会で、だいたいコンスタントにベスト16くらいに入る「まあまあの強豪校」だけど、このくらいの位置が、チーム自体のレベルの高さと、甲子園の遠さのバランスが取れていて、見ていていちばん興奮できるということもあるかもしれない。

でも、応援しているのはあくまでもテレビ画面に映っている野球チームであり、学校としての母校(変な表現)とその気持ちは結びついていなかった。やはりそこは自分にとっては、無意味に張り倒された場所であり、バリカンで髪を刈られた場所であり、発音がいいだろうという理由で、英語の教科書をひとりで朗読させられた場所だった。



もう何年も前になるけど、横浜スタジアムに夏の予選準決勝の試合を観に行った。母校の試合を生で観戦するのは、卒業以来はじめてのことだった。圧倒的に格上の相手だったけど、序盤からリードして、そのまま逃げ切って勝った。

その年のチームは結局決勝でも勝って甲子園に行くことになるんだけど、本当に魅力的なチームだった。前評判は全くダメで、実際とても甲子園に行けるようなチームじゃなかったんだけど、試合を重ねるごとに急激に強くなった。

スタンドから見ていても、選手ひとりひとりのリズムがシンクロしていくのが伝わってきて、ぞくぞくした。

試合後の校歌斉唱のとき、気がついたら他の観客といっしょになって校歌を歌っていて、自分でも驚いた。校歌をこんなにポジティブな気持ちで歌うことがあるなんて、想像もしなかった。

自分がいつの間にか、心の中で母校と和解していることに、そのときはじめて気がついた。もちろんその試合だけでそうなったわけではないだろうけど、その試合があって、そのチームがあって、校歌があって、その中で何かが大きく変わったことは間違いない。

これって、考えてみたらけっこうすごいことだ。ひとりの人間を、憎しみの対象と和解させるんだから。

「熱闘甲子園」的な、べったりした高校野球のあり方は好きじゃないけど、そして最近では選手自らが口にすることが多い「感動を与える」という陳腐な言葉は大嫌いだけど、それでも、真剣に練習して真剣にプレーする選手がいて、選手同士がシンクロして、それを見る観客ともシンクロして、その関係性の中で、選手観客双方に、こういう(ささやかな)奇跡が起こることを、ぼくは知っている。そしてたぶん、高校野球を愛する多くの人も知っている。

だから、宮崎県予選の「無観客試合」のことを考えると、心が痛む。彼らと彼らを取り巻く人たち(卒業生とか親とか親戚とか友だちとか彼女とか近所の人たちとか追っかけとか裏で支えている無数の人たちとか)との関係性が、そしてシンクロする可能性が、そのことで切れてしまわないように。
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ぐるぐる。 [Diary]

一日休養。
さすがに今週は、疲れたな。

ぐるぐるの一週間のしめくくり。
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