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自分という人間 [Diary]

葬儀に必要なものは忘れないように、慎重にチェックリストまで作って確認したのに、黒ネクタイもベルトも家に忘れた(なのにリストはちゃんとチェックされているのが謎)。

でも、もう自分とは40年以上付き合ってるので、今さらその程度のことで驚いたりせず、黒ネクタイは粛々とコンビニで購入し、ベルトはなしで済ませた(ジャケットのボタンをかければ、ベルトは見えない)。

でも、葬儀のあとで、礼服の黒ジャケットではなく、濃い紺色のジャケットを着ていたことに気づいたときは、自分という人間に、あらためて心から感服しました。

アップルの時代が来るなんて [Diary]

MacSE.gifはじめてマックを見たのはたぶん87年か88年頃のことで、場所は楽器屋さんだったと思う。置いてあったのはMacintosh PlusとSEの2種類で、いずれも英語版だった。そのうちの一台に電源が入っていて、確かシーケンサーソフトのPerformer(今のDigital Performerの前身)を動かすデモをやっていた。

店員さんは、これはアメリカのアップルという会社が出しているマッキントッシュというパソコンで、普通のパソコンとは全く次元が違う使いやすさで、コンピューターの知識が無くても使えて、欧米ではデザインとかミュージシャンなどのアーティストの間で普及しつつある、と説明していた。

説明されなくても、当時のいわゆる「パソコン」のイメージとは全く違う、こぢんまりしてかわいらしい外観と、統一された美しい画面デザイン(特に英語のChicagoフォントと全体のデザインのバランス)を、ひと目見たら忘れられなくなった。

当時からワープロが大好きだったので、日本語ワープロとして使えないかと思ったけど、当時いちばん安い機種でも70万円くらい、しかもまともな日本語環境がないんだから、とても手が出せなかった。

それでも気になって調べているうちに、文章の構造をコントロールする「アウトライナー」というジャンルのソフトの存在を知り、マックがその世界を牽引していることを知ってから、その気持ちはほとんど恋愛感情(笑)の域に達した。

実際に自分のマックを手に入れるまでには、それから5年の歳月が必要だったけど。

それは1993年のことで、今でも忘れない、横浜西口のビックカメラで、Macintosh Classicの展示処分品を10万円で買ったのだった(当時それはとんでもない安値だったけど、今考えると高いな)。

その後アップルは、後継OSの開発に失敗し、ハードは魅力を失い、経営は迷走し、ひたすら低迷の一途をたどる。その一方でWindowsが急速に世の中に広まり、マックユーザーはどんどん肩身が狭くなっていく。

それでも、あのはじめてマックを見たときの興奮はずっと忘れなかった。仕事の都合上(そしてあまりの技術的・思想的低迷ぶりから)、やむを得ずマックから離れた時期もそれは変わらなかった。Windowsマシンを心から好きになれたことは一度もなかった。

2004年に久しぶりに戻ったマックの世界は、以前とはまったく様変わりしていたけど、そして以前のポップなかわいらしさは無かったけれど、かわりにモダンでリアルで重厚な画面デザインと、以前からは考えられない安定性と堅牢さは、無くしかかっていたコンピューターに対する興味と愛情を取り戻させてくれた。

相変わらずの少数派ではあったけど、もうそんなことは当然過ぎて意識にものほらなかった。



今日、そのマックをかついで入った某所のスタバで、ふと出来心でカウントしてみた店内の客数は28人。このうち、なんらかのアップル製品(マック、iPod、iPhone、iPad)を使っていた人はなんと11人(Tak.とTomo.を含む)。店内アップル製品使用率39%。

もちろん統計的に何かが言える数字ではないんだけど、それでも感慨深い。こんなふうに「アップルの時代」が来るなんて、想像もできなかった。

そして、それ以上に感慨深いのは、その予想もしなかったアップルの時代が「マック以外の製品」によってもたらされたということ。

ちなみに、上記のスタバのアップル製品ユーザーのうち、マックを持ち込んでいたのはぼくを含めて2人。あとはもちろんiPhoneかiPod。そして、iPadが2人だった。

クールで饒舌な女医さん [Diary]

ここ数ヶ月間、劇的に視力が落ちたという実感があって、しかも先月簡易人間ドックみたいなものを受けたときに、目を一度きちんと検査するようにと言われていたので、木曜日に仕事の合間を(文字通り)縫って眼科に目の検査に行く。

幸いなことに、疑われた目の病気の心配はないことがわかって、とりあえず安心はしたのだけど、かわりに41年間生きてきてはじめて知るいくつかの事実。

まず、左目が軽度の弱視ということ。子供の頃から左目が悪いことは知っていたけど、両目を使えば生活に支障はなかったから、そんなに気にしたことがなかった。

確かに左目は、何かにぱっと目を向けたときにはわりにはっきり見えるけど、もっとよく見ようとしてじっと目をこらすと逆にすっと焦点がぼけて、そのまま戻らなくなってしまう。

クールで饒舌な女医先生の説明によれば(そして理解したかぎりでいえば)、

もともと右目が近視で左目が遠視なのね。この場合、近視の方が焦点を合わせやすいので、どうしても近視の右目だけでものを見てしまうの。 子供の頃からずっとそうしてきたせいで、左目の能力自体が衰えてるのね。そこに右目の近視が進んだことと、仕事で目の疲れがたまったことで、よけい急激に視力が落ちたように感じたのよ。

こういう人はたまにいるんだけど、本来は子供の頃からめがねをかけてきちんと矯正することで、視力の衰えを防がなきゃいけないの。でも、子供の頃にたまたま誰も気づかなかったのね−。


そ、そういえば子供の頃、目が悪いことを親に知られたら怒られるような気がしてたかも…。

子供は難しいのよ。

20代の頃、一度めがねを作ったことがあったけど、そんなによく見えるようになった気がしないうえに、かけると気持ち悪くなるのですぐにかけなくなってしまった。

完全に度が逆のレンズだからそりゃ気持ち悪いわね。

そしてとどめの一言は

あなたは疲れやすくて肩こりで集中力が続かないわね?

えー、それも目のせいですか!

そんなわけで、近日中にコンタクトの使用を本格的に検討することに。

ところで、職場のそばのこの眼科、同僚に教えてもらったのだけど、今まで行った病院類(?)の中で5本指に入る好印象でした。

なると屋+典座 [Diary]

夕方、Tomo.さんと鎌倉の「なると屋+典座」にごはんを食べにいく。

ごはんを食べるためだけに鎌倉まで出かけるって、けっこう贅沢な気分だけど。でも今週はかなりひどい食生活を送ってしまったし、精神力も体力も相当消耗したので、そのくらいいいよね、と思うことにする。

「なると屋+典座」はお品書きを読んでもどんなものが出てくるのかあんまり想像がつかない。でも、何度来ても外れたことがないし、野菜オンリーなのに物足りないと感じたことがない。

偶然なのか必然なのか、あんまり調子の良くないときに来ることが多いんだけど(たぶん必然なんだろうな)、食べた後確実に元気が出ます。

その意味で神様は平等にひどい [Diary]

ふと考えてみると、夫婦にはお互いが先に死ぬか、先に死なれるかという二つのオプションしかない。しかも選ぶことができない。全ての夫婦が、いずれそのどちらかの経験をすることになる。

それを避ける方法は、別れるか同時に死ぬかしかない。

すごくない?
今さら何をと言われるかもしれないけど。

よく「なんで神様はそんなひどいことを」というけれど、その意味で神様は平等にひどいんだ。

あることがあって、昨日はそんなことを一日中考えていた。
(いや、仕事もしてたさ、もちろん)

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