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孤独 [Diary]

名前はたぶん「海老蔵」。
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時間を大切にする行為 [Thoughts]

何も考えずにやる。
したいことをしたいと伝える。
率直に教えを乞う。
率直に頼む。
許可を得ない。
ただ働きしない。
人間として出来の悪い仕組みの尻ぬぐいをしない。
人間として出来の悪い仕組みの尻ぬぐいをしないことで文句を言われても気にしない。
好きな人に好きと伝える。
尊敬してる人に尊敬してると伝える。
信頼してる人に信頼してると伝える。
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急がない方法 [レオ・バボータ関連]

原文:Leo Babauta "How Not to Hurry" from Zen Habits
この記事はレオ・バボータ氏がブログ「Zen Habits」でUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。

「自然は急いだりしない。それでも全ては達成される。」(老子)

この、道教の(おそらくは伝説的な)祖である老子の言葉について考えてみてほしい。そんなことがなぜできるのだろうか?

決して急ぐことなく、全てを達成することが果たして可能なのだろうか。

それは、何もかもが大至急で行われ、分単位で可能な限り多くのものが詰め込まれ、忙しくなければ生産性の低い怠け者になったような気がする、私たちのこの現代社会とは相反する考え方に思える。

実際、私たちはしばしば、自分がいかに忙しいか自慢し、競い合う。私は1000個のプロジェクトを抱えてるんです! そう? 俺なんか10000個抱えてるぜ。勝者は最もめちゃくちゃなスケジュールを抱えている人間だ。彼は今している何かから次の何かへと、ハチドリのように飛び回る。なぜならそのことこそが、彼が成功した、重要な人物であることを明白に示すからだ。

違うだろうか?

あるいはそうではないのかもしれない。私たちは間違ったゲームに参加しているのかもしれない——私たちは、忙しいほど偉いと信じるよう、条件付けられているのかもしれない。実際には、何かを達成するスピードは、何を達成するかほどには重要ではない。

私たちは間違ったスピードで走っているのかもしれない。常に大急ぎで走り続けたら、私たちは人生そのものを失ってしまうかもしれない。だから、スピードに関する強迫観念を捨てよう。スローダウンして、人生を楽しもう。

そして、その上で全てを達成するのだ。それでは、その方法を考えてみよう。

マインドセットを変える

最も重要なステップは、1日の中に多くのことを詰め込み、大急ぎで実行するよりも、ゆっくりとリラックスしたペースで進む方が、人生はより良いものになると自覚することだ。

本を読み飛ばすのと、じっくりと時間をかけて没頭するのと、どちらがより良い読書だろうか? 歌を早送りし、飛ばしながら聴くのと、時間をとってじっくり聴き込むのとでは、どちらがより感動的だろうか? 食事をかき込んで、ろくに噛まないで流し込むのと、一口一口噛みしめ、じっくり味わいながら食べるのと、どちらが美味しいだろうか?

十個の仕事を一度にやるのと、ひとつの重要な仕事にじっくり取り組むのと、どちらがよりよい仕事ができるだろうか?

友人や恋人と過ごす時間を、緊急ミーティングやメールやテキストメッセージで分断されるのと、リラックスして、本当にその人のことだけを考えて過ごすのと、どちらがよりよい時間の過ごし方だろうか?

人生は、ゆっくりと進み、それを味わう時間をとり、一瞬一瞬に感謝することでより質の高いものになる。それが、スローダウンが必要な最も単純な理由だ。

ということで、何でも急いでやる癖から逃れられないでいるなら、あなたはそのマインドセットを変える必要がある。そのたには、人生はじっくり味わった方が質が高くなり、仕事は集中した方が質が高くなるということを、単純に認めることか必要だ。その上で、それを目指して以下のステップを行うと決めることだ。

でも、変われない!

中には、スローダウンすることは素敵だとは認めるが、それはとにかく無理だ——仕事上それは許されない、あるいはそれだけのプロジェクトをこなさなければ収入を失ってしまう、あるいは都会暮らしがスローダウンを許してくれない、などという人がいるかもしれない。田舎暮らしでもしているなら、あるいは南の島にでも住んでいるなら、あるいは自分で全てのスケジュールを決められるような仕事に就いているなら、そんな理想も素敵かもしれないけれど、自分の人生にとって現実的ではない、と。

私に言わせれば、そんなのはでたらめだ。

自分の人生の責任は、自分で引き受けよう。あなたの仕事が、急ぐことを強制するというのなら、自分の仕事のやり方を変えるのだ。必要なら上司と話し合おう。そしてもし本当に必要なら、最終的には仕事を変えることだってできる。あなたは、自分の人生に責任を負っているのだ。

誰もが急いでいるような街に住んでいるとしても、あなたが他の人と同じである必要はない。そのことを自覚しよう。あなたまでそうではなくても構わないのだ。ラッシュアワーの道路を車で通勤するかわりに、歩いて通勤したっていい。ミーティングを減らすことだってできる。仕事をより重要ないくつかに絞ることだってできる。iPhoneやブラックベリーを取り出す回数を減らすこともできるし、電源を切ってしまうこともできる。あなたは環境に支配されているのではない。あなたが環境を支配しているのだ。

人生の責任を負う方法を教えるつもりはない。しかし、一度決断してしまえば、その方法はやがて明らかになる。

ゆっくり生きるためのコツ

ゆっくり生きるためのステップを示したガイドを書くことはできないが、いくつか検討に値する、あるいはもしあなたに合うなら、取り入れるに値する方法がある。いくつかは、あなたに大きな変化を要求するかもしれないが、時間をかけて少しずつ達成すことは可能だ。
  1. やるべきことを減らそう。抱えているプロジェクトの数を、タスクを、そして一日に達成しようとする物事の数を減らそう。量ではなく質を高めよう。二つか三つ——あるいは1つだけ——重要なことを選び、まずそれに取り組もう。細かいこと、あるいはルーチンワークは後でまとめてやることにして、集中する時間を確保しよう。より詳しくはこちら。
  2. ミーティングの回数を減らそう。ミーティングは多くの場合、時間の無駄だ。1日の時間を食いつぶし、本当に重要なことを細切れ時間に押し込み、大急ぎでそれをこなすことをあなたに強制する。ミーティングから次のミーティングへと走り回らなくてすむよう、邪魔が入らない時間のブロックを確保するようにしよう。
  3. 接続を絶つ練習をしよう。携帯電話やモバイル端末、メール着信通知をオフにする時間を作ろう。電話に邪魔されず純粋に創造する時間、純粋に誰かと過ごす時間、純粋に読書する時間、純粋に味わいながら食事する時間。一日中、一切の接続を絶つことだって可能だ。大丈夫、死んだりしない。約束する。
  4. 事前に準備をして、目的地に向かう時間を確保しよう。いつも待ち合わせ場所に向かって大急ぎで走っているのなら、それはあなたが準備と移動の時間をスケジュールに組み込んでいないからだ。そのための時間を確保しよう。仕事やデートに向かう準備に10分あれば充分だと思ったら、大急ぎで髭を剃ったり、車の中でメイクすることを避けるには実際には30〜45分必要だろう。10分で約束の場所に到着すると思ったら、のんびりと待ち合わせ場所に向かい、場合によって早めに到着さえするためには、その2〜3倍の時間をとる必要があるかもしれない。
  5. ただ座って何もしないでいても、気分よく過ごせるように練習しよう。ひとつ気づいたことがある。人は待たされると、イライラしたり不快な気持ちになるということだ。そこに立ってただ待つということは、時間の無駄か、もしくは人目を気にせずにはいられない行為だからだ。モバイル端末や、せめて雑誌のひとつも欲しくなる。でもその代わりに、ただそこに座って、周囲を見回して、状況に浸ってみよう。ただ列に並んで、周りの人々を眺め、その会話を聴いてみよう。練習は必要だが、少しすれば、楽しめるようになる。
  6. 終わらなくても大丈夫だと理解しよう。明日は常にある。そう、怠惰や先送りや、きっちりした締め切りなしに生きることを嫌う人たちが、その種の態度に苛立つことを私は知っている。でも、それは現実でもある。やるべきことが今日中に終わらなかったからといって、世界が終わったりしない。上司は怒るかもしれないが、会社は潰れたりしないし、人生は続く。そして、本当に完了されなければならない物事は、必ず完了される。
  7. 不要なものを排除していこう。重要なことに集中し、急がずに取り組めば、押し出されて完了されない物事が出てくる。そこであなたは自分自身に問いかける必要がある。これらは、どの程度必要だろうか? もしやらなかたら、何が起こるだろうか? どのようにすれば、これらを排除、あるいは委任、あるいは自動化できるだろうか?
  8. 物事に心を込める練習をしよう。未来や過去についてばかり考えるのではなく、今現在に生きることを学ぼう。食べるときには、その食物に心から感謝する。誰かといっしょにいるときには、その人のことだけを考える。歩いているときは、どこにいようと周囲の風景を意識する。この点について詳しくはこの記事を読んでほしい。また、The Mindfulistも読んでみてほしい。
  9. 関わり合い(コミットメント)を徐々に排除していこう。私たちは多くの物事に関わりすぎている。つまりそれが、私たちがこんなにも忙しい理由なのだ。それは仕事——プロジェクトやミーティングなど——だけの問題ではない。子どもがいれば、親は子どもと一緒に、あるいは子どものために、山ほどすることがある。そして、子どもに対しても同じように多くの関わりを押しつけている。私たちの多くは、地域での活動や市民活動に関わっている。スポーツチームでコーチしたり、プレーしたりもしている。習い事や趣味のグループにも参加している。しかし、人生にあまりにもたくさんのことを詰め込もうとするとき、私たちは実際には、人生の質を低下させているのだ。ゆっくりと、関わり合いを減らしていこう。重要なものを四つか五つ選ぶ。そして、その他は、素敵かもしれないし重要かもしれないが、今手を出すことはできないことを理解しよう。人々に、礼儀正しく、繰り返し、今それらの活動に関わる時間はないのだということを伝えよう。

ここに示した方法を試してみてほしい。急がなければ、人生はより良くなる。人生のはかなさを考えてみよう。バタバタと大急ぎで駆け抜けることで、その一瞬でも無駄にする必要があるのか?

いちばん上に示した引用を思い出してほしい。自然が急ぐことなく全てを達成できるとすれば、あなたもまたそうできるはずなのだ。

レオ・バボータ氏の著作"The Power of LESS"は「減らす技術 The Power of LESS」として日本語訳されています。

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夜空の星と恋愛とか勉強とかの深み [Thoughts]

星が見たいな、という話をふたりでしていて、試しに空を見上げてみたら、晴れてるのに見えたのは月と金星だけだった。

天の川が見えて欲しいとかそんな贅沢を言わないけど、それはちょっと寂しいんじゃないかと思った(この二つさえも見えなくなったら、人類は終わりだと思う)。

今住んでいる家のすぐそばに学校があって、昔その校庭でバイト仲間たちと一時間くらいぼーっと星を眺めていたことを覚えている。確かバイトが終わった後、誰かの車で深夜ドライブした後。

もう20年近く前のことだけど、当時だって都会の夜は充分明るかった(なにしろバブル期)。それでも、夏の夜のその駐車場ではたくさんの星が見えた。

男三人という、まったくロマンチックとは無縁な状況にも関わらず、そのことをはっきり覚えているから。流れ星だってひとつ見た。

でも今、その同じ場所に行ってもほとんど星なんかみえない(代わりに、当時影も形もなかったみなとみらいの夜景がみえる)。

たぶん、うちの近所にまともに星が見える場所なんかないのかもしれない。

もちろん都会から離れればもっと星は見えるだろうけど、ふだんの夜に、ふと空を見上げれば星が見えるのって、けっこう重要なことだと思う。

ちょっとした何か、たとえば悲しいこととか腹の立つこととかそんなことがあって、夜も眠れそうにないから散歩に出る、みたいなシチュエーションがあったとして、そのとき星が見える場所ひとつなくてどうするんだろう。

そういうことって、その下で行われる恋愛とか勉強とかの深みに、微妙に影響したりするのよ。
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狂気と転機 [Diary]

以下は、昨日・今日休みながら考えたことの、自分自身のための覚え書き。なので、支離滅裂注意。もしかすると、削除するかもしれない。



水曜の深夜(正確には木曜)、深夜に帰宅途中に貧血で倒れて後頭部を強打。救急外来で後頭部を何針か縫って、CTとレントゲンをとって、幸い脳にも頭蓋骨にも異常はなかったのだけど、考えてみればけっこうな大けがだ。

頭のけがのせいで、最初は気がつかなかったけど、肩もざっくりえぐれてるし、目の周りも青あざになっている(いったいどんな倒れ方をしたんだ?)。鏡をみると、今日になってもみるからにひどい顔をしている。

直接的には、歓送迎会の二次会に顔を出して飲んだお酒のせいだと思うのだけど、本当の理由は、間違いなく過労だと思う。

今年はこの時期の割に異常に仕事が忙しく、平均睡眠時間はがずっと三時間を切っていた上に、暑さは続くし、当日は朝からほとんど食事をする時間もなく(ツイッターに「3食ジャーマンドック達成」なんて書いてたな)、そんな状態で酒を飲み、その後に走ったんだから(!)、倒れて当然かも。

それでも、このくらいですんでよかった、といってもいいと思う。もしももっと打ち所が悪かったらとか、もしこれが駅のホームだったらとか。考えるとぞっとする。死んでてもおかしくなかったんだ。



とりあえず、緊急案件目白押しの翌日の仕事をどうするかという問題があったので、朝になってから「できれば午後から出社します」と関係各位にメールを出したら、ひとりの同僚から

本当に倒れたらどうするんですか??(怒)
仕事なんてどうにでもなります!(怒)
いったい何考えてるんですか!!(怒)

という感じの返事が来た(そんな書き方じゃなかったけど、翻訳するとそういう感じ、のように感じられた)。

いや、一応脳外科の先生からは、朝起きて異常を感じなければ、翌日から仕事に行っても大丈夫と言われていたんだよ……。とは思ったけれど、ぼくはこの同僚のことを、職場の中で100%全面的に信頼してるので、改めて考え直してみれば、彼女の言っていることの方が当たり前だけど正しい。

ぼくが普段、後輩に対して、自分の身は自分で守れ、自分にとって本当に大切なことを考えろ、みたいなことをさんざん言っているのに、実際に自分がやっていることがぜんぜん違うから。

自分にとって本当に大切なこと、はもちろんわかっているし、そのためにどうすればいいのかも、もちろんわかっているのに。

Tomo.さんは「仕事に行くな」とは言わないけれど、こんな状態で仕事に行くことに対して、なんて言うんだろう、傷ついている、というのがいちばん近いかもしれない。そのこともよくわかる。当然だよね。

結局、翌日(木曜日)は休み、金曜の午後から復帰。土日も仕事の予定だったけど、何人かに代わってもらい、今日はこうやってゆっくりしている(ありがたや)。



で、いちばんの問題は、この頭の怪我ではない。

実をいえば、自分が限界を超えかかってるのは数週間前からわかっていた。だけど本当にいざとなったら仕事を投げ出す勇気が自分にはあると思っていた(そう、それは勇気の問題なんだ)。新人の女の子に休む勇気を持て、なんて言っていた。

それなのに、自分自身がいつの間にか止まることができない状態になっていた。それがいちばん問題なんだと思う。

その心理をひと言で言うと「同僚たちもみんな、自分と同じくらいか、それ以上の激務を抱えている。それだけ家族や彼氏や彼女を犠牲にもしている。その中でもし自分が休んでしまったら、彼らの仕事をもっと増やしてしまう」ということ。

これ、止まれなくなる典型的な言い訳だよね。一見正当なようだし、実際この言い訳を読んで納得してしまう人はたくさんいると思う。

でも「みんな○○だから」とか「自分だけが逃げるわけにはいかない」とか、そういうのは、言葉は違っても、戦争中に日本人を特攻なんていうものに駆り立てたのと、同じ種類の狂気だ。

家族や国土を守るため、という名目で、家族を最も悲しませることが当然のように行われたことと、自分や、家族の生活を守るためにしている仕事が、自分や家族を壊す方向に行ってしまうということ。

もちろんぼくらは戦争を知らない。戦争を知っている方は、怒るかもしれない。でも、そこに流れているのは、本質的に同じ種類の狂気だ。それをひとことで言うと「空気」という。

ぼくらはたぶん狂っている。自分自身も、偉そうなことを言いながら、その狂気にいつの間にか取り込まれている。とても、恥ずかしい。



それが、昨日・今日休みながら考えたこと。

今日はお茶を飲みながらTomo.さんといろんな話をしている。電話で母親とも話をした。

今すぐ何かをどうしようということではなくて、ただ、時間をかけて話をしているだけ。何が大切かについて。

たぶん、今は人生何度目かの転機なんだと思う。



明日から通常勤務の予定だけど、決して体調がいいわけではない(貧血気味はまだ続いてる)。自分の身は自分で守りながら、でも同僚たちにできるだけ負担をかけないように、なんとかがんばるつもり。

それから、いちばん大事なものを、ちゃんと大事にするように。



以上、渾身の覚え書き。
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勇気 [Diary]

リカバーの努力も含めて、
何もかもが悪い方向に行くように思えるとき、
いちばん必要なことは
何もしないことだ。
でも、何もしないというのは、
現代では最も勇気の必要な行為のひとつ。
勇気をもたなければな。
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説明なんかしてはいけない [Thoughts]

大人なんだから、誰にも遠慮せずに好きなことをすればいいものを、ふと気がつくと、今でも親に対して自分の行動をどう説明しようかと考えてることがある。

「そんなことをしてどうするんだ」とか、「そんなことお前にはできやせん」とか、今でも何かしようとするたびに、どこからかそんな声が聞こえてきて、それに対して心の中で無意識に説得を試みていたりして。

昔、ずっとそうしてきたみたいに。

若い頃って、自分の行動を認めてもらいたいから、その言葉では説明できないはずのことを、つい言葉で説明しようとしてしまう。

だけど大人になってわかるのは、自分がほんの少しは人より秀でていたり、得意だったりすることは、結局自分の好きなことだということだ。そして、そういうことって、往々にして言葉で理由を説明したりはできない。

説明できないことを説明しようとしてはいけない、と気づくまでにずいぶん時間がかかった。その上、未だにその呪縛から逃れられないでいる。

そういうことをするとどうなるかというと、無意識に言葉で説明できるような行動を選ぶようになってしまう。それって、けっこう怖いことなんだよ。と、もし自分に似た人がいたら、言ってあげたい。

だから、そんな架空の両親の声になんか耳を貸してはいけない。説明なんかもしてはいけない。説明なんかせずに、本物の両親には「甘納豆」を買っていこうっと。
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少年の魅力は子どもっぽいことではない [Thoughts]

単なる子どもっぽい大人のことを、「いつまでも少年のような」とか言って持ち上げるのはやめよう。

少年性の魅力とは、強くあらねばならないという要求が自分の外からも中からもあり、それに答えようとして努力して、時に本当に強くなってしまう、というところにある。

そしてそういう姿は、確かに年齢とも性別とも関係なく、普遍的な魅力になる。

以上、個人的見解(略・KTK)でした。
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ツイッター [Diary]

アカウントだけはあったけど、長い間自らに禁じてきた(?)ツイッターを、思うところあって解禁しました。よろしければ、フォローしてあげてください。
http://twitter.com/takwordpiece
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闇夜の○○○ [Diary]

じーっと見てると、何かが浮かび上がってきます。
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