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誤変換を減らしてくれるソフト? [Diary]

学生の多いスタバで、
「なんか、誤変換を減らすソフトが出たらしいよ」
「え、なにそれ欲しい!」
「エイトなんとかいうんだって」
みたいな会話が聞こえてきた。

うーん、それはもしかして、たぶんやっぱりATOKのことなんだろうな。そういえば去年「イラッとくる誤変換」とかいうキャンペーンやってたし。

確かに、職場の20代くらいの人と話してると、そもそもIMEが選択できるということ自体、今では知らない人が結構いる。

隔世の感だけど、VJEWXEGBRIDGEも無い今、一般的なパソコンユーザーにとって「選択できる」ことの意味がどれだけあるのかとも思う。

「辞書を育てる」なんていう発想も、あんまりないんだろうな。

考えてみると自分でも単語登録ということをほとんどしなくなってしまったし(自宅ではマック版ATOK、職場のパソコンではMS-IMEだけど、頻繁に使う記号類以外はほとんど単語登録をした記憶がない)、そういう意味では「イラッとくる」対象であるMS-IMEやことえりだって、それなりにハイレベルではあるということなんだろうけど。

かつて松茸とかWXで辞書を鍛えまくっていた人たちは、今はどうしてるんだろう。そして、使ってるうちに自分の分身のように育ってくるSweet JAMの麻薬的な使い心地が気に入ってた人たちは……(古すぎ?)。

最大の貢献 [Diary]

後輩Yと仕事する。

新人の時から知ってるにもかかわらず、そして今まで同じ部署にいたにも関わらず、あんまりいっしょに仕事をするということがなくて、異動になった途端にその機会が訪れるというのも不思議。

彼女をひと言で表現すると「頑固者」。

いっしょに何かをつくっていると、ちょっとしたことがいつまでたっても終わらない。言葉ひとつに至るまで100%全面的に納得するまで絶対に妥協しないし、止めようとしない。30分で終わると思ったことが5時間くらいかかる。本当にしつこい。

めんどくせー(笑)。

だけど、時間を度外視して純粋に良いものを作ることだけを考えてやれば、仕事というのはこんなにも楽しめる。自分だってよく知っているはずのそのことを、改めて感じさせてくれる偉大な後輩。

そう、そういう風にやれば、仕事は楽しいんだ。

Yがまだ新人の頃、そんな彼女の気質に気づかなかった上司が不用意に「大人の事情」を適用したために、彼女を激しく失望させてしまったことがあって、そのとき目に涙をためた彼女と打ち合わせスペースで話をしたことが、自分が今の会社に対して行なった最大の貢献だったと密かに思ってる。

自己××× [Diary]

ある人から「自己評価が低すぎる。もっと自分に自信を持て」と言われる。

確かに自己評価の欄には5段階の3をつけたけど、その対象となる項目で秀でた能力を持っているとはとても思えない中で、自分としては可能な限り高く自己評価したつもりなんですが。

そして別の人からは、あなたに不足してるのは自己ブランディングと自己アピールの姿勢だと言われる。

ええっ、商品のブランディングでさえ気持ち悪いのに自己のブランディングなんて。

と、また仕事柄してはいけない発言をしても笑って許してくれてありがとうございます。

杉元怜一「就職戦線異常なし」の名セリフ:
面接官に自己PRを求められて「ぼくは、自己PRなどという破廉恥な真似の決してできない人間です。以上」。

私的・会社で楽しく仕事するため必要なもの [Thoughts]

書き心地のいいペン。
書き心地のいいノート。
たたき心地のいいキーボード。
広いディスプレイ。
見た目が嫌いじゃないOS。
アウトライナー。
美味しいコーヒー。
美味しい水。
一定時間の電話の遮断。
一定以下の人口密度。
完全禁煙(百歩譲って完全分煙)。
酸素!
職場のそばの本屋。
職場のそばの猫。
職場のそばの美味しいランチ。
ひとりランチ。
たまにいっしょにランチしてくれる同僚。
友人と思える同僚。
仕事のことをぼんやり考えながらする仕事以外のこと。
一定時間行方不明になる時間と権利。
眠くなったら10分寝る時間と権利。
ヘッドフォンで音楽を聴く権利。
人の役に立っているという実感。
浮く技術。
空気を読まない勇気。
いつでもひとりになる覚悟。
孤独。
孤独。
孤独。
待っていてくれる人。

信頼2.0リユニオン [Thoughts]

以前も書いたけど、個人的に「信用」できる人はたくさんいるけど「信頼」できる人はそんなにはいない。

私的「信頼」の定義:
その人の言葉と心が一致していると感じられること。その人の言っていること・やっていることは、その人が実際に考えていることだという感覚。もっとはっきり言うと、その人が自分に向けた言葉は「自分以外の誰かに向けたプレゼンテーション」ではなくて、実際に自分に向けられたものだという感覚。

で、金曜日の飲み会は職場で個人的に「信頼」する数少ない人々のほとんどが集うという貴重な場。

ひとりは元上司Fさん(と、その奥さん)。ひとりはずっと隣の席に座っていた同僚N。もうひとりは人間的に真逆だけど以前飲み会で一度話をしたときからなぜか信頼感を抱いている同僚Aくん。

同じ部署だったのに、気がついたら全員バラバラになっていたけど、たぶん彼ら(と、この場にはいないあと数人)がいなかったらぼくはとっくの昔のこの職場からいなくなっていたはず。

だけど「彼ら」とひとくくりに語るけど、全員驚くほど似ていない。同じタイプの人間がひとりとしていないのね。でも、確かに何か共通点がある気がしていて、飲みながらずっと考えてたんだけど。

思ったのは、おそらくこの人たちに共通してるのは「基本的な強さ」なんじゃないかな、と。「基本的な強さ」って何だ? と言われると言葉ではうまく説明できないけど。

彼らは別に自分が強いとは思ってないと思うし、もちろん弱さはあるんだけど、その弱さを引き受ける強さは持っている。そのことが、彼らの言葉は額面通りに受け取れる、という感覚だったり、彼らは人を操ろうとしない、という確信だったりに繋がるんだと思う。

ぼくにとってはそういう強さの方が、肉体的な強さとか声の大きさとかリーダーシップとかそういうものよりも価値がある。そして、肉体的な強さとか声の大きさとかリーダーシップとかは、基本的な弱さの裏返しだったりする場合がしばしばあることをぼくは学んできた(もちろんそうじゃない人もいる)。

これは前のエントリで書いた、自分の恐怖との向き合い方の問題と、きっとどこかで関係している。


お前は基本的に強いのか? うん。たぶん。少しは。きっと。

そこに恐怖がある限り [Thoughts]

生きてる時間を無駄にしたくない。と思ったときに、いちばんの大敵は気持ちがクリアじゃないことだ。

気持ちがクリアって何だろうと考えると、たぶん先のこととか過去のこととか他人のこととか他人から見た自分のこととかが頭にない状態のこと。そして今やっていることに対して、あるいはこれからやろうとすることに対して確信があって、100%集中できること。

そういうふうにいつも過ごせれば、たとえ物ごとが順調に進まなくても、少なくとも生きてる時間は無駄にはならない。

だけど、自分はそんなにクリアなのかというと、そんなことはぜんぜんなくて。



今月の初め、めずらしく一週間休みをもらった。

別に病気じゃないんだけど、ここ一年の働き方と、去年の8月と今年の3月にぶっ倒れたことなどから、ほぼ強制的に休まされることになったもの。

一週間休むのは無理だろとか思いつつ、でもせっかく休むのであれば本気で休んでちゃんと疲れを取ろう、と思ったし、休むのであればやりたいこともたくさんあった(休んでもすることがないという人が信じられない)。

で、そのうちの一日を、まさにクリアじゃない状態で過ごした。

ちょっとした用事があって社内メールを確認したら、自分の担当するクライアントの緊急案件で大わらわしてるのが嫌でも目に入って、そのまま精神を乗っ取られた。

本当は、30分で終わるその用事を済ませれば、後は仕事のことを考えなくていいはずだったんだけど、結局その日は、目からも頭からも仕事が離れなくなっちゃった。そして中途半端な自宅仕事以外、まとまったことは何もできなかったし、もちろん休むこともできなかった。

無駄にできる時間はないことをこれだけ痛感しているのに、そんな程度のことになぜ簡単に心をかき乱されるんだろう。

不思議だ。

だけど、本当はちゃんと答えはわかっている。わかっているけどあんまり認めたくないその答えが、「フォーカス」にもちゃんと書いてある。
なぜ全てに対応しなければならないと感じるのか、考えてみよう。大抵の場合、それは単なる衝動に過ぎない。私たちは、メッセージに対応しなければならないという自ら発達させた脅迫観念に、あまりにも慣れすぎているのだ。また多くの場合、それは恐怖の結果でもある。他人から仕事をしていないのではないかと思われる恐怖。顧客を失うのではないかという恐怖。重要なことを見落としてしまうのではないかという恐怖。不作法であったり相手を無視していると思われるのではないかという恐怖。

……そういうことだよね。

このことに限らず、おそらく多くの人が生活上・仕事上で抱えている問題の根本には、たぶん恐怖があるんだと思う(恐怖の種類や対象は千差万別だろうけど)。

そこに恐怖がある限り、どれだけ効率化しようとライフハックしようと、たぶん本当の意味でクリアにはなれない。そこまで踏み込んでいることが(少なくとも踏み込もうとしていることが)、レオの本がいわゆる「ノウハウ本」と一線を画しているところじゃないかと思う。


ここまで書いて思ったんだけど、もう少し先まで考えると、恐怖にはたぶんその人の本質的な部分が関わっているし、簡単にあるいは単純に「克服」できるものなのかどうか、とも思う。

もっと言うと、克服できない恐怖とどう向き合っているかということが、人間の魅力の大きな要素にもなってるんじゃないか、とも。そこまで行くと、また別の話か…。

レオ・バボータ「フォーカス」日本語訳PDF版を公開 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「フォーカス」日本語訳のPDF版を公開しました。
以下からダウンロードできます。
「フォーカス 雑音化時代を生きるためのシンプル化宣言」

あと、今回の日本語訳についての詳細は以下に書いてます。
(PDF版の中にも含まれてます)
日本語訳について(Tak.)

同じページでWEB版も今まで通りに公開していますので、合わせてよろしくです。

ごほうび!
ごほうび

秘伝ブレンドの勝利と大人になること [Diary]

仕事をしながら無性に美味しいコーヒーが飲みたくなって、職場のコーヒーメーカーのコーヒーを飲んでも解消されず一日中コーヒーのことを考えていた。こういうときだけはスタバじゃだめなんだよね。

といっても別にコーヒーにこだわりのある人間では全くなくて、思い浮かべていたのは実は実家のコーヒー。

なぜ実家のコーヒーが美味しいかというと、神保町で喫茶店を営む親戚から秘伝ブレンドを分けてもらっているから(キーコーヒーの標準ブレンドである可能性もあるとにらんでるけど)。

苦み方向にも酸味方向にもどこにも突出感のない(誉め言葉)味が大好きで、実家に行ってたまにこの豆が切れてたりするとがっかりする。

実家では、なぜかコーヒーだけは「おい、コーヒーいれてやってもいいぞ」という言葉とともに父親がいれてくれる。

こういうとき「別にいれてやってくれなくてもいい」とかいう反応をしなくなっただけでも、大人になった価値はある。

たぶん秘伝ブレンドの勝利。
そして、いったいいくつで大人になったんだか。

立ち止まってみよう [レオ・バボータ関連]

原文:Leo Babauta "Be Still." from Zen Habits
この記事は、Leo Babauta氏がブログ「Zen Habits」でUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。

立ち止まってみよう。

ほんの少しの間でいい。

世界の音に耳をすませよう。自分の呼吸を感じよう。思考を意識しよう。周囲を細かく観察しよう。

立ち止まって、平穏を手に入れよう。

現代社会のデフォルトモードは行動すること、動くことだ。身体が動いていなくても、少なくとも何かに注意を向けるという形で精神は動いている。私たちは一日中走り回り、用事を済ませ、おしゃべりし、メールを送り、受信箱の中身を読み、ブラウザのタブを次々に切り替え、リンクを辿る。

私たちは常にオンの状態になっている。常に接続され、常に考え、常にしゃべっている。立ち止まる時間はない。きちがいじみたコンピューターの前に、そしてハイパーアクティブなテレビの前に一日中座り続けることは、立ち止まっているとは言わない。

こうした生活には代償が伴う。ゆっくりと時間をかけて考える時間を失うことになる。観察し、耳を澄ませる時間を失うことになる。そして平穏を失うことになる。

さらに困ったことに、大急ぎで動き回ることは、たいてい生産性という面でも問題がある> もちろん、私たちの社会では行動することこそが重要であり、行動しないことは怠惰で受動的で非生産的だとみなされることは知っている。しかし、時には行動しすぎることより全く行動しないほうがマシという場合がある。大きな音を立てて狂ったように走り回ったあげく、何も達成しないということもある。あるいは、たくさんのことを達成したけれど、重要なことは何一つできていないということもある。あるいは行動することで何かを傷つけ、何もしないより物ごとを悪くしてしまうこともある。

そして、否応なく立ち止まるとき——例えば何かの列に並んでいるとき、あるいは病院の待合室で名前が呼ばれるのを待っているとき、あるいはバスや電車を持っているとき——私たちはたいていそわそわし、何かすることを探す。モバイル機器を取り出す人もいれば、ノートを取り出して何かしたり、書類を取り出して読む人もいる。そうでない人は単に何かをいじくり回す。私たちは立ち止まることに慣れていないのだ。

ちょっと時間をとって、一日の時間を過ごし方を考えてみよう。仕事中、仕事の後、仕事の前、夜の時間、週末の時間。常に大急ぎで動き回っていないだろうか? 常にメールを読んでは返信し、最新のニュースや情報をチェックしていないだろうか? 常に機械のように次から次へとタスクを完了し、スケジュールに合わせて走り回っていないだろうか?

それが、あなたの望む人生だろうか?

もしそうなら、平穏があなたと共にありますように。そうでないなら、ほんの少し時間をとって立ち止まってみよう。何をしなければならないか、どこまで終わっているかについて考えてはいけない。ただこの瞬間に身を置こう。1、2分たったら、人生について、そして人生がどうあって欲しいかよく考えてみよう。より動かない、行動しない、急がない人生について考えてみよう。より静かな、熟慮された、平穏な人生を思い描いてみよう。

そして、そのビジョンを実践しよう。

実際にはそんなに難しいことではない。やるべきことは、毎日ほんの少しの間じっと座っていることだけだ。それに慣れてきたら、今度は毎日やることを減らしてみよう。早く動きすぎていると感じたら、深呼吸しよう。スローダウンしよう。今、この瞬間に身を置こう。幸せを待つのではなく、今、この瞬間に中に幸せを感じよう。

静けさを味わおう。それは常に誰の手にも届く宝物のようなものだ。


老子道徳経より:
急ぐことは賢明でない。
浅い呼吸はストレスを生む。
エネルギーを使いすぎればすぐに消耗してしまう。
それは自然の道ではない。
この道に逆らうものは長続きしない。



レオ・バボータの電子書籍「Focus」の翻訳をRenji Talkで公開しています。
「フォーカス——雑音化時代を生きるためのシンプル化宣言」
このブログで公開した文章の訳も、まとめて読めるようにしています。

ひとりで充足してる人 [Thoughts]

ずいぶん前から気づいていたことだけど、自分には男女を問わず「ひとりでいる人」に憧れる傾向がある。

ひとりでどこにでも旅行に行っちゃう女の人とか。
人がたくさんいる中でひとり一心不乱に本を読んでる人とか。
普通に吉野家に入ってスマートに「並に卵」とか頼んでる女の人とか(惚れる)。
野球場の内野席でひとりビール飲んでたりする女の人とか(その上シュウマイ食べてたりしたら完全にやばい)。

だけどもちろん、そうしたシチュエーションでも魅力的に思える場合とそうでない場合がある。(正直にいって)ルックスということだってあるかもしれないけど、それだけじゃない。

たぶん正確に表現すると、自分には男女を問わず「ひとりで充足してる人」に憧れる傾向がある。

その違いって何なのか考えてたんだけど。

矛盾するようだけど「ひとりで充足してる人」が、多くの場合実はひとりではないことも経験的に知っている。

だからその人が必ずしも本当に「ひとり」なわけではない。誰かといっしょにいても、個人として充足できる人、ということなのかもしれない。

でも「ひとりで充足してる(充足できる)人」じゃないと、誰かと本当の意味でいっしょにいることはできないんじゃないかな。

男女を問わずと言いながら女の人の話ばっかりだけど、それは自分が男だからということもあるし、そういう意味で魅力的に思える男が実はあんまりいないということもある(あたりで目にする男は、多くの場合ひとりで充足できていないように見える)。

そして思うのは自分は「ひとりで充足してる(充足できる)人」だろうかということ。