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レオ・バボータ「歩く広告」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「歩く広告」の日本語訳をRenji Talkで公開しました。
今回はひさしぶりにブログ「mnmlist」から。
マーケティングや広告によって押しつけられるこうした商品のうち、ひとつとして必要ではないという単純な事実を、私たちはを見失ってしまった。

必要なものはほんの少ししかないということを忘れ、たくさんのものを買う。そして、企業が私たちを広告とマーケティングの道具として利用している事実に気づいていない。
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言葉の毒にやられてだめになる [Thoughts]

※ずいぶん前に別のブログに書いて、そのブログごと闇に葬った内容を加筆訂正して復活※

深夜のスナック菓子&ビールと並んで、やるべきでないとみんながわかっているのに、ついやってしまうことの代表は、人のかげ口や悪口。

かげ口や悪口を言っている姿ほど美しくないものはないから、一見、かげ口や悪口には見えないものも含めて、言わないようにしようと努力しているけれど、それができているとは言いがたい。今でもふと気がついたらちゃんと言っている。

意図して人の悪口を広めて回る人は、実はそんなにたくさんはいない(いや、皆無ではないけど、でもそんなにたくさんはいない、はず)。でも、そうではない人々が、ついついかげ口や悪口を口にしてしまう状況を考えると、数人で人のうわさ話をしているという場面が多い。

誰かのうわさ話で盛り上がっている場面で、そこにかげ口や悪口が含まれていたとして、自分だけがそこに加わらないためには、かなりの意志と勇気が必要になる。結局、その場で、その瞬間に集団の内側に入りたいという無意識の欲求の問題なのだ。

だけどその欲求の結果、誰かが口にした人の悪口に対して相づちでも打ったりすると、いつの間にかその話が「自分が言った」こととして本人に伝わってたりするのが集団というものの仕組みだ(覚えあるでしょう?)。

それだけの犠牲を払って、その集団の内側に入りたいという一瞬の欲望を満たして、どれだけいいことがあるだろう。

もしそこで「外側」にいつづけることを意識的に選んだとしたら、瞬間的にそれはちょっと孤独だったり寂しかったりするかもしれないけど、大好きな人についてつい口にした悪口が、知らないうち本人に伝わってることを思えば、そんなことはたいしたことじゃない。

少しだけ笑みを浮かべながら、その集団の外側に自分は立っている。心の中で自分にそう言い聞かせ続けるしかない、のかもしれない。



何よりも、かげ口や悪口には、愚痴や文句や「いかに自分が大変か話」と同じく、繰り返しているうちにそれなしでやっていけなくなってくるところがある。

それを長く繰り返していると、やがてその言葉の毒にエネルギーを奪われ、自分自身を徐々に弱らせていく。そして気持ちを高めるためにますますかげ口や悪口に頼るようになっていく。かげ口や悪口だけでは飽きたらず、より悪意を持って立ち回るようになる人もいる。薬物と同じように、そこには一過性の快楽と中毒性があり、長期的には人間を内側から壊していく。

そこに例外がないことは、恐ろしいくらいだ。そうやって自分の言葉の毒にやられてだめになっていく人を目にするたびに、彼らはいったい何を求めてたんだろうと思う。
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レオ・バボータ「ひとつのことを丁寧にやる」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「ひとつのことを丁寧にやる」の日本語訳をRenji Talkで公開しました。
しばしば質問されるのは、好きなことを仕事にするにはどうすればよいか、情熱を持てることでお金を稼ぎ、食べていくにはどうすればいいかということだ。

そのことについてなら何でも知っているとは言わないが、私にとってその答えはかなりシンプルなものだった。

ひとつのことを、できるかぎり丁寧にやることだ。
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ちなみに訳は自分の好きなものを選んで好きなときにやっているので、原文公開の時系列とは無関係です。翻訳インデックスでは、原文公開順に並んでるけど、翻訳順に並べた方が見やすいのかな? どうなんだろう。
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自分の中の無思考的マッチョ的絶対性 [Diary]

アメリカの公立小学校に通ったのは、日本でいう小学校1年生から5年生の間だった。

最初は英語ができないという理由で1年ダウングレードされてキンダーガーデン(幼稚園みたいなもの)から始まり、3年生から4年生にスキップして本来の学年に戻り、ジュニアハイスクールに入って数ヶ月で帰国。

で、その間面と向かって「ジャップ」と呼ばれたことが、記憶してるだけで数回。

もちろん子どもの頃のことで、相手も子どもだからその本来的な意味なんかわかってないのだが、だからこそ本質的とも言える(当たり前だけど子どもの言葉は周囲の大人の言葉の鏡)。

で、ここでの話は人種差別的発言を糾弾することではなく、Tomo.さんと話していて改めて自覚した、そのときの自分の反応の話。

「ジャップって言われたらどうするの?」
「絶対に許さない」

ジャップと言われて黙って見過ごすことは、絶対にあり得ない。そのような扱いを受けて黙って見過ごすようなやつは、決して仲間から認められないし、むしろ軽蔑される。力ずくで黙らせようが、逆に差別的な発言を返そうが(黒人の同級生に力ではかなわないから「もう一度言ってみろこのニガー野郎」と言い返した9歳児)、とにかく黙っていてはいけない。

その無条件かつ唯一絶対の結論は、妻にはなかなか理解しにくいものみたいだった。

確かに、そのマッチョな絶対性は、普段の自分の振るまいとはずいぶんかけ離れているし、相容れない。物理的に暴力を振るわれたわけでもないのに、そんな奴に対していちいち反応しても無益な争いを生むだけだ。

そもそも自分の中にそこまでの、敢えて言うなら無思考的・脊髄反射的・非寛容的な姿勢が(今になっても)残っているということを、あまり自覚していなかったことに自分で驚いた。

そして、5年の間に疑う余地のないこととして自分の中に染みついたその姿勢こそが、もしかしたら世界を覆っているもっとずっと巨大な問題の根っこに繋がってるのかもしれない、ということにも。
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雑な言葉を滑らかに話したこと [Diary]

組織に属する人が組織として発する言葉、たとえばそれはスローガンだったりかけ声だったり単なる場の言葉だったりするんだけど、とにかくその種の「雑な言葉」が大嫌いだし、そういう言葉が飛び交う現場からは可能な限り離れていたい。

だけど先週、外部の有識者を集めての会議みたいなもので司会進行のようなことをするということがあり、そのときの自分が口にしている言葉のあまりの雑さに、2時間の会議が終わった頃には中毒を起こして気分が悪くなり、その日1日頭痛が取れず。

自分の言葉じゃない言葉を意外に滑らかに話す自分。気持ち悪い。人のこと言えない。

そして有識者は、それぞれに魅力的な方々だったけど、きっと彼らの目に自分はこれっぽっちも魅力的にはうつらなかっただろう。

与えられた役割を無難にこなすというのは要するにそういうことだ。そしてそのことに耐えられないのなら、無難にこなそうとしたりするべきではない。そんな反省の弁でした。

「無難にこなしたりしなくてもその場をぶち壊さないくらいのことができる大人になるということ」(通りすがりの男)
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成長 [Diary]

昨日の六角橋闇市。
いつもの「薬局前」でのザディコキックス。
今回も見られた親子共演。
彼女が踊ればギャラリー全員の視線が釘付けに。
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そしてこれは2010年9月18日のライブ。
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ちょうど一年前の写真と比べると、
子どもにとっての1年の大きさがわかります。
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レオ・バボータ「減らす喜び」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「減らす喜び」の日本語訳をRenji Talkで公開しました。
週イチペース、いつまで続くか??
不要物を減らすには難しい決断が必要だった。自分たちが本当に欲しいものについて、本当に必要なものについての多くの議論が必要だった。そして膨大な量の新たな習慣を身につけることも必要だった。

しかし、それは私たちを押さえつけていたものを排除するということでもあった。必要でもないのに時間とエネルギーと精神力を私たちから奪っていくものたちだ。私たちは、最小限のものしかない部屋を愛することを、そしてすっきりして不必要なものが一切ない部屋に座ったり寝転んだりするときの素晴らしい気分を知った。

減らす生活は、お金で買えるどんなものにも負けない純粋な喜びになるのだ。

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100%心を許す [Diary]

声高に指示したり先頭に立ったり仕切ったりしなくても、そこにいるだけでじわじわと周囲に影響を与えて、知らないうちに人を変えていってしまうような人たちがいる。

この間「心を許す」という言葉の不思議さについて考えてたとき突然気がついたのは、これまで何人か出会ったことがあるそんな人たちの共通点は、必要に応じて自分自身を100%人にあずけ、同時に人を100%自分の中に入れていたということだ。

それは誰にでもできることじゃないし、簡単にテクニックとして身に付けられるものじゃない。場合によっては自分を壊すことにだってなる。

現にそんな人たちの何人かは既にこの世を去ってしまったし。

あの人たちは(その瞬間)100%心を許してたんだなと思った瞬間、リーダーシップを身につけるだとか、人の動かし方だとか、そういう物言いであったり考え方だったりに対する、自分の異常な嫌悪感の理由が少しだけわかった。
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たとえば、マンダラートが教えてくれること [マンダラート]

iMandalArtについて批判めいたことを書いてしまったので(本当は全然そうじゃないんだ)、今度はマンダラートの素晴らしさについて。考えてみればあんまりこういうことを書いてなかったしな。

マンダラートはいろんな目的に使えるけど、たとえば今日のプランを立てることに使ってみる。その様子は、いわゆるTo-Doリストをつくったりスケジューリングをしたりということとはずいぶん違う。

マンダラート開発者・今泉浩晃さんの昔のメルマガから引用。
「ああ あれをしなくちゃいけないなぁ」と思う。
それで1つのセルが埋まる。このとき どこのセルに書いてもいい。
自信のないことなら 隅のセルに こそっと書くだろうし 自信に満ちたものなら中央の上あたりに堂々と書くだろうねぇ。

いずれにしても 思ったそのときに書き込める ということに注目してください。
つまり「置いておいて」がないのです。

こうして 周りの8つのセルが埋められる。
8つという数は1日にやれることのキャパシティです。
この8つが出来れば この1日は満足した1日になるか? 
この問いだけが判断の基準です。

マンダラのカタチに書き出された8つの行動を眺めて
「この8つができれば自分の1日は満足か?」と訊いてください。

「これだけやれば今日は安眠できる!」と思ったらプランは終了です。
あとは何も考えないで それらをやり遂げればいい。
ここでは プライオリティすら 考えないでいい。
マンダラを眺めて 自然に やりたいところからやればいい。
この8つ すべてをやり終えたときに1日が完成することが分かっているからです。


枠は8つ。それ以上はない。その制限(キャパシティ)の中に何があったら1日満足できるか、を考える。

どうしたらできる限りたくさんのことを1日の中に詰め込めるか、それをどうやったら効率的にさばけるかというようなあり方とは明らかに違う。

「何をやるか」ではなく「どうしたら満足できるか」だから当然仕事以外のことも入ってくる。そして、仕事以外のことも含めて1日のキャパは8つなのだ。

そして感動的なのはメルマガの続き。
ところで このマンダラには「違うことを8つ書け」などとは言っていない。
例えば「明日はとことん休養するんだ!」としましょう。
ほかのことは一切しない! という決意表明です。

中心セルの「明日」=「休養」ですから ぐるりのセルすべてが「休養」ですね。
つまり 8つのセルは すべて「休養」という文字で埋め尽くされる!
休養・休養・休養….  と。

あなたは「そんなバカなことする必要はないじゃないか」と思うでしょう?
すべてが休養なら 1つだけはっきり大きく「休養」と書けばいいじゃないかと。
でも8つも書いてしまったら あなたは きっと考えるかも知れない。
休養・休養・休養….  いったい どんな休養が考えられるんだろう って。

そこで どんなことが休養になるんだろうかと考える。
「朝はゆっくり起きる」かなぁ。
「久しぶりに あそこの蕎麦を喰いにいこうか」とフト思う。
それとも夕方早くから「旨い肴を用意して ゆっくり酒を愉しむ」ことだろうか?
こうして8つの休養という言葉に「休養のイメージ」を膨らませ始める。

いや そうして欲しいのですね。

こうして ややぶっきらぼうだった「休養の1日」というテーマが
「朝はゆっくり起きて 散歩をかねて 久しぶりにあの旨い蕎麦屋で早めの昼を。
そして夕方は早めに なにか旨い肴をみつくろって ゆっくり酒を愉しむ。
テレビなんか見ないで かって愛聴していたCDを低く流しながら… 」
という充実した休息日のプランが生まれるかも 知れないのです。

こんなふうに、「何をしたいか」ではなく「どんな1日を送りたいか」を考えることに、生活を自分の手に取り戻すヒントがあることをマンダラートは教えてくれる。
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処方箋(みたいな) [Diary]

あなたの好きな人は
あなたがその人を好きなほどには
あなたのことを好きでないかもしれないという
その問いかけは
とても辛い問いかけである上に
そんなことを問いかけていると
いい男であったり
いい女であったり
そういうものから
あなたはどんどん遠のいていき
やがてあなたの好きな人が
本当にあなたのことを
好きではなくなってきたりするので
あなたがその人を好きだというまさにそのことと
今この瞬間にその人はあなたのもとにいるという
その単純でありながら疑い得ない事実を
もっとリスペクトする強い意志を
自ら持つことですよ。
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