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迷ってるうちは動かなくてもいい [Diary]

偶然(だとは思うけど)、最近何人かの人と「会社を辞める」ことについて立て続けに話す機会があった。

「実は辞めようと思ってるんですけど」の人もいれば、「辞めた方がいいんですかね?」の人もいれば、「辞めてく人を見ると焦ります」の人もいれば。

思うんだけど、辞めるべきか辞めるべきでないか迷っているうちは、辞める必要はないんじゃないかな。辞めるべきときって、たぶんはっきりと確信を持ってわかるから。

「結婚するべきかどうか迷ってるうちは結婚しなくていい」っていうのと、たぶん同じですね。

よく考えてみたら、全ての決断てそういうもののような気がする。迷ってるうちは動かなくてもいいって考えたら、ちょっと楽じゃない?

あ、だから迷ってるならMacBook Air買わなくてもいいと思います、Fさん。
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Yさんのフィルター [Diary]

総務の人と採用面接の話をしてたら、Yさんのことを思い出した。

Yさんは、学生の頃アルバイトをしていた書店の副店長だった。

Yさんのことを好きな人は誰もいなかった。ひねくれていてケチで意地悪で気分屋で小心者でえこひいきだった。その上えこひいきの対象がころころ変わった。

一言でいうと、ロクでもない男。

でも個人的に不思議と気になる存在だったのは、たぶんそのひねくれ方が、どことなくそのプロセスを追求したくなるようなひねくれ方だったから。どんな過程を経て人はこのような人格になるのか、子供の頃のことを知る人に聞いて回りたいような。

開店時からずっとアルバイトの面接を担当していたYさんに「人を見る目」があることは明らかだった。

Yさんが面接して採用したメンバーは、仕事の面でも人間性の面でもいわゆる「当たり」の人たちばかりだった。短い面接だけで判別できるはずのない、言葉では説明しがたい微妙な要素まで、フィルターで濾過したようなつぶのそろい方だった。

その時期店を支えていたのは、そして店の雰囲気を作っていたのは、間違いなくYさんが面接したメンバーたちだった。今でも当時の全員の顔と名前をはっきり覚えている。

Yさんはロクでもない男だったので、そんなメンバーたちからさえ忌み嫌われていたけど、それでもみんな文句を言いながらYさんの下で働いていた。

Yさんという存在の中にある、ある種の「仕方なさ」「どうしようもなさ」みたいなものを、全員が理解し共有してるようなところがあった。Yさんとたまに酒を付き合う度量のある者さえいた。どうせロクな話はしないに決まってるのに。

この店のクオリティと雰囲気が、Yさんのフィルターによって維持されていたことを誰もが痛感したのは、Yさんが別の店の店長を任されることになって店を離れ、代わりにやって来た新しい副店長が面接したメンバーが入ってきたときのことだった。



Yさんがいなくなってすぐ、ぼくは店を辞めてしまったので、その後のYさんの消息は人づての噂でしか聞いていない。

聞くところによれば、別の店の店長として着任した数ヶ月後、アルバイトのほぼ全員が集団で辞めてしまい、その責任を問われて店長から降格されたという話だった。

自分以外の誰かが面接したバイトたちから集団離反されるYさんを想像すると、不思議に悲しい気持ちになった。

その人格のロクでもなさと、短い面接でこうも確実に人を見抜く力はどのようにして彼の中で両立するに至ったのか不思議だったけど、後になっみれば、彼が長い時間をかけて身につけたそのフィルターを通じて自分を守っていたのだということがよくわかる。

そう思うと、よけいに悲しい気持ちになった。いったい何が悲しいのかよくわからないけど。



何年か前、用事があって実家に出かけるバスの中から、Yさんにそっくりな人を見かけた。

顔や体つきはYさんにそっくりではあったけど、背中が大きく曲がって、両手で杖をつき、足を引きずりながら横断歩道を渡るその姿を見て、たぶん人違いだと思い直した。

それからまた、その場所が以前Yさんが住んでいたアパートのすぐ目の前の交差点だということに気づいた。振り返ったときその人の姿はもう見えなかった。



自分自身、Yさんに親切にもらった記憶もないし、褒められた記憶もない。でも一応、あのYさんのフィルターを通過したんだという事実は、ある種の微妙な自信(みたいなもの)になっている。

ちなみにぼくと妻は、その店のアルバイトとして知り合ってるので、「Yさんのフィルター」が結びつけてくれたと言えなくもない。

妻は、Yさんがその店で最後に面接したアルバイトなのだった。
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あめふりくまのこ [Diary]

童謡「あめふりくまのこ」の歌詞が、実はとっても素晴らしいのでぜひ聞いてみるように、と母親からと言われたので聞いてみた。

で、聞いてみたら確かに素晴らしくて、一日頭から離れなくなった。

何がどう素晴らしいのかうまく説明できないけど、母の言う通り、特に何も悲しいことは言ってないのに何か悲しい感じで、でも決して嫌な悲しさではない。

まだ親が親で、自分は子供で、そのことにまったく何の疑いも持たなかった頃の感覚を思い出すような感じ。

「あめふりくまのこ」に限らず、こういう童謡って歌自体は耳にしたことがあっても、歌詞の内容までちゃんと知ってるかというと、実はほとんど知らないんだよね。

幼稚園で歌ってた歌とか、小学校の音楽の教科書にのってた歌とか、今聞いてみたらすごく良いものがたくさんあるんだろうな。

と、窓からあめふりを眺めながら思いました。

これは、いちばん気に入ったゑ川史子さん弾き語りバージョン。

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生きてれば、人は変わり続ける [Diary]

まともな人たちが、組織であるが故にあんまりまともじゃないことばっかりするというのは、よくある話だけど見ていてなかなか切ないものがある。

誰かが悪いわけじゃなく、単にそういうものなんだね。だけどその傾向がどんどん加速していくのは、さらに切ないものが。

そして見ているだけじゃなく、その中にどっぷり浸っていると、なかなか切ないだけじゃ済まないところもある。



そんな組織の中でリーダー(的なもの)をやれと言われたとしても、リーダー(的なもの)にできることなんて、実質的にはほとんど何もない。

それは気質的なことでもあるし、能力的なことでもあるし、仕組み的なことでもあるし、一口では言えないけど、少なくともリーダーシップ研修を受けてなんとかなる問題じゃない。

というか、リーダーシップとかリーダーシップとかリーダーシップとかそういう問題じゃないということくらいは、リーダーシップのかけらもない自分にもわかる。わからないのは(あるいはわからないふりをしているのは)コンサルタントだけだ。たぶん。

でも、深夜残業中に5分間席をはずした後輩が、別にトイレに行ってたわけではなく、階下でちょっとだけ泣いてきたことは知っている(知ってるだけで何もしない。でも知ってる)。

部署間の人材の引っ張り合いと、現場サイドと管理サイドの対立の板挟みで四重苦みたいになってる同僚に、それでも自分たちは味方だからと(ビールの形を取って)伝えたいとは思う。

でもほんの数年前まで会社なんていつ辞めてもいいと思ってたし、そう公言してもいた自分がそんなことを考えてることが、とても不思議。

そう思ってたら、同僚に「Tak.さんが会社を辞めないのが不思議です」と言われた。

不思議だよね。

いや、本当は不思議でもなんでもないけど。

生きてれば、人は変わり続ける。そうじゃないと、たぶんいちばん本質的なところが腐っていく。
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レオ・バボータ「立ち止まることで全てが決まる」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログZen Habitsより「The Pause Upon Which All Else Relies」の日本語訳を「立ち止まることで全てが決まる」として公開しました。
私の人生の全てを変えた、ちょっとした習慣がある。

立ち止まることだ。

私たちが失敗するのは、何も考えず、意識さえせず、衝動にもとづいて行動するからだ。私たちにはジャンクフードを口にしたいという衝動があり、そのように行動する。執筆中の本の一章を仕上げるかわりにメールをチェックしたいという衝動があり、受信箱を開いてしまう。私たちには煙草を吸うこと、お酒を飲むこと、ドラッグをやること、爪を噛むこと、Facebookで遊ぶこと、先送りすること、ワークアウトをサボること、もっと揚げ物を食べること、批判すること、嫉妬や怒りにまかせて行動すること、無礼な振る舞いをすること——に対する衝動がある。そして、そのように行動する。

では、そうした衝動を感じたとき、立ち止まるようにしたらどうだろう。立ち止まり、その衝動を吟味し、身体の奥底の感覚をじっくり観察し、なおかつ行動しなかったとしたら?

衝動はそれ以上私たちを支配することはできなくなる。
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「エフォートレス・ライフ」、もうすぐです!
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いっしょに帰ろう。 [Diary]

付き合って長続きする相手って、どんな相手なんでしょうね。

と若い友人に聞かれたのだけど、それに対する解答なんかもちろん持ち合わせてない。

でも、互いに成長できる関係とか尊敬しあえるとかセックスが合うとかいつまでもトキメキ☆がとか、そういうことだって重要かもしれないけど、結果的に長い間いっしょにいることとは、あんまり関係ないような気はする。

むしろ、いっしょに歩きたいかどうか、いっしょにごはん食べたいかどうか、たくさん話をしたいかどうか、友だちとのつきあい方が似てるかどうか、食べ物に対する感覚が似てるかどうか、家や部屋に対する感覚が似てるかどうか、無理に話さなくていいかどうか、言葉の感覚が合うかどうか、その人の前で熟睡できるかどうか…。

ああ、それからもうひとつあった。

「いっしょに帰ろう」という言葉がしっくり来るかどうか。
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すいません。 [Diary]

あるきっかけがあって、自分が一日何回くらい「すいません」という言葉を口にしてるかカウントしてみた。

少なくとも60回くらいは使っている、というのが結論だった(自分で「あ、今〈すいません〉て言った」と気づいたとき、及び周囲からの指摘で2時間に12回=職場に10時間いると仮定して60回)。

でも完全に無意識に使っていることもあるだろうから、実際にはもっと多いと思う。それに「申し訳ありません」とか「失礼いたしました」とか(仕事の中で)頻繁に使用される、同じような意味の言葉はカウントしていない。メールの文面もカウントしていない。口に出したものだけ。

で、次の日に午前中いっぱい「すいません」を使わないようにしてみたら、お仕事が円滑に進まなかった(笑)。少なくとも円滑に進まないような感覚にとらわれた。リズムが作れないというか。

そうか、「すいません」は単なるリズムをつくる「合いの手」みたいなものなのね。

しかし「すいません」がそれほど軽い言葉だとすると、本当に申し訳ないと感じているときの言葉は、何か別のものであるべきなんじゃないか。

そう思って、仕事の中で心底申し訳ないと思ったとき、自分はどうしていたか思い起こしてみたけど、どんな言葉を口にしてるか思い出せなかった。不思議なくらい。

想像するに、そういうときはおそらく何も口にしていない。

すいません。
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信頼って [Thoughts]

信頼って、
相手がある条件を満たしたからするとか、
何かをしたからしないとか、
そういうロジカルなものじゃなく、
単に自分の中で
「する」か「しない」か
一方的に決めつけるような
性質のもので。

だからこそ
相手の行動によって
いちいちその度合いが
変化したりはしない。

ね?
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名前が呼べないことについての一連の会話 [Talks]

1)ふろふき大根など食べつつ。

「奥さんのことなんて呼んでるんですか?」
「普段なんて呼ぶのかってこと?」
「そう」
「呼んでない」
「呼んでない?」
「結婚する前は名字にさんづけで呼んでけど、今はしっくりくる呼び名がないから呼ばない」
「なんて名前?」
「杉浦さん」
「(笑)」
「笑うか普通?」
「私も彼の名前を呼べないんです!!」
「あら、仲間だ」
「彼は私のことを名前で呼ぶし、自分のこともそうして欲しいっていうんだけど、どうしても呼べないんです。名前を呼んだ瞬間に自分がまるで知らない人といっしょにいるような気がして怖くなります」
「名が体を現していない?」
「どう思います?」
「わからないけど、ただしっくりしないんだよね。その感じはすごくよくわかる」
「でも他に誰も同意してくれないですよ。史上初めてです」
「ちなみに彼の名前は?」
「ユキヒロ」
「(笑)」
「笑うか普通?」
「すいません(笑)」
「私が名前で呼ばないことで、彼が傷ついてるのがわかるんです。でも〈ユキヒロ〉って口にすると、まるでそれは彼じゃないみたいな気がして。わかります?」
「わかる。でもうちは、ふたりともそうだから」
「奥さんも?」
「そう。だから大丈夫」
「ねえ、つかぬことを聴いていいですか?」
「なに?」
「エッチのとき、名前呼べないと不便じゃないですか?」
「(笑)」
「どうなんです?(笑)」
「不便だよ(笑)」
「ですよねー(笑)」

2)タクシーを待ちながら。

「でも、名前を呼べれば、もっと近くに行けるのにな、と思います」
「名前を呼ぶかどうかなんて、関係ないような気もするけど」
「そうですか?」
「名前を呼べないことが距離を近づけることだってあると思う」

3)別れ際。

「確かにさっき、私たち一瞬だけものすごく近いところにいましたよね」
「そうかもね」
「でも本当は名前呼びたいですよ」
「呼べる名前が見つかるといいね」
「うん」
「じゃ、また」
「おやすみなさい」

4)とかとか。
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存在の余白、名前も役割もない要素 [Diary]

流しのライター、小野美由紀(@MiUKi_None)さんのツイートに、いろんなことを考えさせられる。

「心地よい場作りには、かならず一人で休めるところ、何をやっていてもよいスペースを作ってあげること、と学んだ。空間の余白とか、名前や役割のないスペースがあると、場所も表情が豊かになると思う。」

日本の街がどんどん魅力的に見えなくなっていく大きな理由はまさにこれで、「目的のない場所」「使い道の決まってない場所」の存在を許さないからだ。

存在の余白、名前や役割のない要素の多さのことを豊かさというんじゃないかと個人的には思っているけど、これってたぶん、空間に限ったことじゃない。

同じことは時間の使い方にも当てはまるし、お金の使い方にも当てはまるし、文章の書き方にも当てはまる。

というか、生きること自体に当てはまる。

「夢」や「目標」を持つことを強制され、「自己分析」させられ、「プレゼンテーション」を強いられるほど、人はどんどん貧しくなっていく。

それって、自分の中の余白の部分・定義されていない部分をどんどん失っていくということだから。

一口で語れない、説明できない「よくわかんない部分」こそが、実はその人の魅力だったりするし、もっとも突出した部分と繋がっている可能性が高い。

そこを削り落としていってどうするんだろうね。
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