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私はいかにリーダーシップを発揮したか [Diary]

スタバで、隣の席の女の子2人組の会話をなんとなく聞いてて。たぶん、去年就職した先輩を、就活中の後輩がOG訪問してるところ。

なかなか良い先輩で、会社のいいところも悪いところもきちんと話してたと思うし、後輩のことをきちんと考えてたと思う。

でもやっぱり、面接で学生時代に達成したことをどうアピールするかというところに話が及ぶと、聞いてるこっちの気持ちが、だんだんくらーくなってくる。

学生時代にリーダーシップを発揮した事例を何とかして探そうとするんだけど、当然誰もがリーダーであるはずはないから、そしてテニスサークルの部長が100人いるはずもないから、ピックアップされるそのリーダーシップ事例も「いがみ合う仲間の話をきいて仲裁しました」とか、「その場の誰もが感情的になる中で私はひとり冷静さを保ち結論を導き出すのに貢献しました」みたいな話になってて。

それはそれで立派なことかもしれないけど、でもきっと君の魅力はそこではないとその場で叫んだら変な人だと思われるからしないけど、そうなんだよ。

いつもいっしょに仕事してる職場の20代の若い同僚たちは、現代の就活を勝ち残って来た人たちだけど、彼らの魅力は(人間的にも仕事的にも)多くの場合、決してリーダーシップなんかじゃない。少なくとも、こういう面接でアピールされるようなタイプのステレオタイプなリーダーシップではない。

でも、彼らもきっと面接ではそういうアピールをして就職をしてきたわけで、じゃあそのアピールは何のためにしていたのかと。本当にそれは必要だったんだろうか。

その不自由でクリアでない感じって、日本のいろんなものを象徴してるような気がする。
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フリーライティングの道具 [アウトライナー]

めずらしく特に書きたいわけでもない小論文(的なもの)を書かなければならない羽目に陥り。

文章を書くこと自体は全く苦にならないけど、特に書きたくもないものを書くのはとてもとても苦になるので、久しぶりにフリーライティングしてみる。

フリーライティングは、何か文章を書こうとしてうまく書けないとき、あるいはそもそも何を書くべきかわからないときなどに使う手法で、内容のことは考えず文字通り「自由(フリー)」に、関係のありそうな文章を書き続ける。

ルールは一定時間手を止めずに頭に浮かんだことを書き続けること。書き終わった後で、「結果的に」書いてしまったことの中から使えるもの、意味あるものをピックアップして、加筆・編集していく。

要するに、書くという「行為」と書かれる「内容」を分離することで、書くことに対するハードルを引き下げるということなんだろうな(行為としても、内容としても)。

内容に対するこだわり、意識が強いほど書き始めることは難しくなる。でも書き始めなければ書けるはずがないわけで、逆に書き始めさえすればなんとか書けてしまうということは、論文とかレポートで苦しんだことがある人はたぶん誰でも経験している。

この「書き始める」ことを意識して行うのがフリーライティングで、内容のことは考えずとにかく書くという行為を行うことで、最初のハードルをクリアする。

そこさえ超えられれば、後は書きながら次第に筆が走り始めることが多い。実際気持ちが乗らなくてもガマンして何か書いてると、あるポイントから頭が動き始めるのがわかる(だぶん脳内麻薬的な何かが分泌されるんだと思う)。小論文程度のものなら、その後はそれほど苦労しなくてすむ。

フリーライティングの目的はその状態を作り出すことであり、その状態になるまでは、書いたものを捨てるつもりで書き続ける(書くという行為を続ける)のがコツなのかもしれない。

で、理論とは別に、ここで改めて思ったのは、道具の重要性。

フリーライティングをするときに、筆記用具が気持ちいいということが、ものすごく重要だ。手書きの場合はペン、コンピューターで書く場合はキーボードとエディタ(ぼくにとってはもちろんアウトライナー)の質。

筆記用具が気持ちいいということは、書くという肉体的行為そのものに快感があるということで、そうすると手が勝手に先へ先へ進もうとする。書くという行為に苦痛がなければ書き続けられるし、書き続けられればそのうちに「スイッチが入る」可能性も高まる。

逆にそうでない道具を使うと、書くという行為の苦痛に負けてしまうことになる。

実は、最初は職場のPCでフリーライティングを試みたんだけど挫折。でも休日に自分の道具でやり直してみたら、最初から最後まで2時間で書き上がったぜ、という話。

ちなみに、フリーライティングはアウトライナーととても相性がいい。フリーライティングとアウトライナーについては、こちらに詳しく書いてるので、興味ある方は読んでくださいませ。
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正しいマンション [Diary]

最近よく近所を散歩するようになって、もちろん公園や木や路地や猫は素敵なんだけど、つくづく思うのは「周囲の風景や場所に合っていると思える建物って本当に少ない」ということ。

といって、今の日本の風景(というか、都市の住宅地)に似合う建物っていったいどんな建物なんだろうと思うと、これまたよくわからない。伝統的な日本家屋という単純な話じゃないだろうし。

「和室に似合うパソコンはどれか?」という問題と似てるような似てないような。

ただ個人的に、南欧風チックな家はあんまり似合わないということだけは、確信が持てる。

と思っていたら、最近いつも散歩する公園の近くに、すごく魅力的な古いマンションを見つける。いかにも60年代から70年代の高級マンションという風情。その名も「白楽ハウス」(名前も素敵じゃないですか)。
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こういうのいいなあと思ってたら、同じことを思ってる人がちゃんといるんだね。

「正しいマンション」と書かれているけど、まさにその通りです。
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スルーする基準 [Diary]

膨大な量のメールをいかに効率的に処理するか、みたいな話をしてるときに思い浮かべる受信箱の未読メールの列って、行列している群衆みたいな感じがする。

でも、群衆も分解してみればひとりひとりの生活と感情を持った個人になるように、受信箱にたまったメールのその一通一通は誰か個人が書いたものであり、その背後には必要性があって感情がある。

「入ってくるメール全てにきちんと対応することなんてとてもできない」という正論(正論!)がある一方で、「対応できない」方に分類されたメールは当事者からすれば必要性があって、あるいは背景となる感情があって送ったメッセージを「スルー」されたことになる。つまり「無視」ですね。

そのことを意識しておくのって、けっこう大事かもしれない。

で、何を「スルー」して何を「スルー」しないかという判断基準は、効率とか処理とかスキルとかハックとかの問題ではなく、生き方の問題だ。

ということを、ずーっと年下の同僚たちに教えられた。
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「エフォートレス・ライフ」日本語訳タイトル決定 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータの「エフォートレス・ライフ」日本語訳、完了です。
タイトルは「〈楽〉に生きるための簡潔なガイド」に決定。

確定版目次です。
  • 本書について
  • はじめに
  • 「楽」に生きるためのガイドライン
  • 無為、あるいは何もしないこと
  • 本当に必要なものはシンプル
  • 必要なものを減らす
  • 害をなさないこと、思いやること
  • 目標も計画も立てない
  • 期待しない
  • コントロール幻想
  • カオスとともに生きる
  • 計画せずに日々を生きる
  • なぜ計画は幻想なのか
  • その瞬間に姿を現してくるものに心を開く
  • 偽の必要性をつくらない
  • 情熱を持つ・嫌なことをしない
  • 急がず、スローに、今を生きる
  • 不要なことをしない
  • 満足できるようになる
  • 成功と承認を望まない
  • 足し算より引き算
  • 思い込みを変える・後ろめたさを捨てる
  • 水のように
  • 全ての行動を平等に扱う
  • シンプルに食べる
  • 「楽」な子育て
  • 「楽」な人間関係
  • 「楽」に働く
  • 不満を感謝に変える
  • 闘わない
  • 他者と関わる
  • あなたはすでに完璧
  • 本書の内容を実践する
  • 「楽」に書くこと・本書の執筆について
  • 貢献してくれた人々

公開方法について、いろいろと考えてます。
決まったらまた報告します。
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消えてしまわないうちに [Diary]

最近、週末に一度も電車に乗らないことが多い。

午前中に隣の駅まで(寄り道しながら)てくてく歩いて、そこでお茶を飲みながら二人で勝手なこと(音楽を聴いたり翻訳をしたりブログを書いたり韓国語読んだり)をして、行きつけのお店でお昼を食べて午後早めの時間に帰ってくる。

あまりにも疲れがたまってる週は(たまってる)、夕方まで昼寝したり、マッサージしてもらったり。



近所をよく歩くようになって思うのは、この場所にもう15年以上も住んでるのに、知らない道や知らない公園がまだまだたくさんあるということ。そして、自分の住んでる街のことを全然知らないんだなということ。

最近発見したのは、隣駅まで道からちょっと横に入ったところに、池のある公園と高台の緑地公園があること。桜の木がたくさんあって猫もいて、きっとしばらくの間定番コースになると思う。

すごく好みの形の古いマンションとか、鳥の餌付けをしていてメジロがたくさん集まってくる木がある家とか、そういうものも見つかる。

きっとこの15年の間に消えてしまった、好みの家とか好みの庭とか好みの道とか好みの木とか、たくさんあったんだろうな。

そう思うと、今はまだあるはずのいろんなものが消えてしまわないうちに、ちゃんと歩いて見ておきたいと思う。15年も住んでるっていうことは、きっとこの場所が好きなんだと思うから。



今日、いつものように散歩した帰り道、近所の本屋さんにいるとき、セットしておいたアラームが鳴る。

14時46分。

たくさんの家や庭や道や木や生活が、一瞬のうちに消えてしまった日から1年。
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万年筆 [Diary]

2本目の万年筆を購入。

ペリカンのM405に一目惚れ。最近あんまりそういうことはなかったんだけどな。

もともと筆圧が強すぎて、ボールペンを長い時間使ってると手首がしびれて文字が書けなくなるんで、何年か前からペリカンのそんなに高くない万年筆を使ってたんだけど。

万年筆の不思議なところって、自分の書き方が万年筆に合わせて変わってしまうところ。

使っているうちにペン先が馴染んでくるというのが万年筆の最大の特徴だけど、それ以前に自分の文字の書き方自体が、万年筆に合ったものに変わってくるのね。

もともと軸の下の方を持って小さな文字を力一杯書くような書き方だったんだけど、180度変わって軸の上の方を持ってあまり力を入れずに大きな文字を書くようになった(それも万年筆に限らず)。

いずれにしても他人様に見せるような文字じゃないけど、少なくとも手首がしびれて書けなくなるというようなことは一切なくなった。

通常なら道具に対して自分を合わせるのって本末転倒のような気がするんだけど、万年筆だけはそうじゃないから不思議(自分がEvernoteをなかなか使えない理由はそのあたりにある)。

そして、M405はあまりにも書くのが気持ちよくて、最近手書き率が上昇中。

「快感」を提供することで作業を促進するというのも、実は道具の大切な機能なのだよね。
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言葉が腐っていくこと [Thoughts]

例えばそれは、
話すべき人と話をしないことであったり、
口にするべきことを口にしないことであったり、
本来使うべき言葉と違う言葉を使うことであったり、
言葉にするべきことを言葉にしないことであったり、
雑な言葉を使うことであったり、
パターンはいろいろあるけど、
結果はだいたい同じで、
話されるべき言葉が長い間話されずにいると、
言葉自体が身体の中で腐っていく。

腐った言葉からは、毒素みたいなものが身体の中に広がっていく。

自分の中にたまった腐った言葉たちが、心や身体を蝕んでいき、周囲の人との関係を壊していく。
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You will be a lot more comfortable... [Diary]

今まで耳にした数ある英語の表現の中でもっとも印象に残り、かつもっとも好きなもの。

アメリカの小学校の遠足で、引率していた担任のミスター・ブロンコが通りがかりの夫婦に道を聞かれた。

夫婦はおそらくスペイン語圏の出身で、英語はあんまり得意じゃない(というか全く得意じゃない)様子で、それでも四苦八苦しながらなんとか英語で目的地をうまく説明しようとしていた。

すると黙って聞いていたミスター・ブロンコはひと言
「You will be a lot more comfortable in Spanish」
(スペイン語で話したらもっとずっと楽だと思いますよ)
と言った。

ミスター・ブロンコ自身メキシコ出身で、スペイン語は母国語なのだった。

「You will be a lot more comfortable...」って慣用的な表現なんだろうけど、そのときの老夫婦のホッとした表情がすごく印象的で(自分まで何か良いことをした気分になった)、以来とても好きな表現になった。

そしていつか自分でも使う機会を狙って約35年(笑)。今日、都内某所のリンガーハットではじめてその機会が。

リンガーハットで食券を買おうとしてたら、横で見ていたアメリカ人と思われるにーちゃんに肩を叩かれた。

一所懸命日本語(と思われるもの)で何か言ってるんだけどさっぱりわからなかったし、多くの英語圏の人が当然のような顔して英語で話しかけてくる中で、その国の言葉でなんとかコミュニケートしようとする姿勢も気に入ったので、ここだとばかり(笑)「You will be a lot more comfortable in English」と言い放った。

そのときの彼の表情はやっぱり昔のあのヒスパニックの夫婦と同じで、外国でわからないことがあったとき母国語が通じる人に出会うってそういうことなんだよね。

I just can't make through this thing.
(こいつの使い方がわからないんだ)
Which one do you like?
(どれが買いたいんだ?)
I can't quite figure out the menu but I was looking for ramen.
(メニューがよくわからんけどラーメンを食べようと思って入ったんだ)
This is a nagasaki-champon restaurant and there's no ramen here.
(ここはnagasaki-champonの店でありramenは存在しない)
Isn't this ramen?
(これはramenじゃないのか?)
Looks like ramen but it's Nagasaki's regional noodle dish, different kind of noodle, different kind of soup. Lots of veggies so more healthier than ramen.
(似てるけどNagasakiの地域限定的ヌードルで麺が違うしスープも違う。野菜が多く入ってるからramenよりヘルシーだ)

みたいな会話の果てに、彼は無事プレーンなちゃんぽんの食券を買った。

ミスター・ブロンコも、スペイン語が母国語である自分の英語がきっかけで、教え子が日本の地で別のアメリカ人に長崎ちゃんぽんの購入を手伝うことになろうとは、夢にも思わなかったであろう。

今どうしてるんだろうな。
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言葉が通じなくなるということ [Thoughts]

個人的に、昔から人との関係の中で大切にしている、そして依存もしてる感覚があって、それは「言葉が通じる感覚があるかどうか」ということ。

言葉が通じない人とは、趣味が合おうが同じ釜のメシを食おうが絶対に合わない。どれほど努力してもある一定以上に親しくなることはできない。

逆にいえば、言葉が通じる(と感じる)かどうかによって、その人と親しくなれる可能性があるかどうかがわかる。

こういうものの考え方が正しいのかどうかわからないし、あんまり品のいい表現だとも思わないけど、そしてあくまでも個人的な感覚で、普遍化できるとは思わないけど、この感覚が外れたことは、今まで一度もない。

だからこそ、言葉が通じる(と感じられる)人のことは、たとえ相手がどう思っていようと関係なく、全力で大切にしたいと思う。

ここでいう「言葉が通じる」という感覚がいったい何を示しているのか、自分でもうまく説明できないんだけどね。話題が合うというのとはもちろん違うし、気持ちよく掛け合いが進むわけでもない。

本当は言葉の問題ですらないのかもしれないけど。



職場の後輩が、学生時代の親友と最近突然話がかみ合わなくなったという話をしていて、何か特に変わったことがないのにとすごく不思議がってたけど(そして自分が何かしちゃったのかと不安がってたけど)、たぶんそういうことじゃないような気がする。

異性・同性を問わず、ずっと関係を築いてきた人と、そしてずっと言葉が通じていた人と、あるとき突然「言葉が通じなくなる」ということがある。

最近では、震災の後に何回か立て続けにそういう経験をした

具体的に言葉が通じないとかそういうことではなく、もっと感覚的なもの。「言葉の層」が違ってしまったような感じというのか近いかもしれない。

それ自体は大したことじゃないし、気にもとめない人が多いと思うけど、その裏では目に見える何かよりももっと深いレベルでやはり何かが変わってる可能性が高いような気がする。

ある場合にはそれは悲しいことでもあるかもしれない。



ずっと昔、個人的には親友といってもいい感覚を抱いていた女友達との間で、突然「言葉が通じなく」なったことがあった。

それはとても不思議な感覚で、特に変わったところは見あたらないんだけど、ただ言葉がうまく通じないというもどかしい感覚だけがある。

しばらくしてわかったのは、彼女が職場の上司と長い間続けていた不倫関係を解消したということだった。

上司とはもう会わないことにしたという話をした後で、彼女は「Tak.くんにももう会わないことにするから」と言った。

「だって、Tak.くんは結婚しているから」というのがその理由だった。

その話を聞いたとき、不思議に思い納得もできなかったのは、これまでもずっと自分は結婚していた、ということだった。

そしてその言葉はいかにも彼女に不似合いだった。彼女は「結婚しているから○○だ」とかいう考え方をするタイプでもなければ、「○○に決めたから」というような物言いをするタイプでもなかった。

でも実際彼女は二度と合おうとしなかったし、電話で話をしようともしなかった。

今になればわかるのは、それは彼女の人生のステージがひとつ前に進んだことで(上司との関係を解消したことはきっと彼女にとって悪いことじゃなかった、はず)、自分と彼女との間の相対的な位置関係が変化したのだということ。

そのことを彼女が実際に言葉にする以前から、「言葉が通じない」という形でそのことを感じていたということ。

それは文字通り「別の層」に移行したようなもので、悪いことでも何でもない。

ただその移行は、上司との関係が彼女を激しく傷つけた結果であり、「言葉の通じない」彼女と以前のような友人に戻ることはきっとできないということであり、上司が先に帰ってしまったホテルの部屋から電話をかけてきて、ひと言「置いてかれちゃったよ」と言った、そこまで自分を信頼してくれた異性の親友にはきっともう会えないということであり。

そのことが少しだけ悲しくないかと言えば、それは少しは悲しいよね。



言葉がある日通じなくなるというのは、つまりそういうこと。
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