So-net無料ブログ作成
検索選択

「ゆうき」を出す方法 [Diary]

あるブログで、子どもに「パパ、勇気ってどうやって出すの?」と聞かれてすごく困ったという話を読んだ。で、自分だったらなんて答える? とTomo.さんに聞かれて以来、心に引っかかっている。

ブログを書いたそのお父さんの答えはとっても誠実だと思うけど、自分だったらなんて答えるだろう。



「ゆうき」を出すための方法なんかない。

でも「ゆうき」を出すのは難しいことじゃない。「あい」があれば「ゆうき」は自然に出る。

「あい」するひとを思い浮かべる。「あい」するひとを失わないためなら「ゆうき」ぐらい簡単に出る。

逆に「あい」と無関係な「ゆうき」は、たいてい「ゆうき」ではなく何か別のものだ。世の中には「ゆうき」のように見えて「ゆうき」じゃないものがたくさんある。

自分だったらそんなふうに答えると思う。だけど、答えたあとで一週間くらい悶々としたあげく、付け加えるような気がする。



たとえばいつか時代が変わって、全ての男の子が(あるいは女の子だって)「あい」するひとたちを守るために「せんそう」に行かなければならなくなるかもしれない。

そのための「ゆうき」を身につけるよう求められるかもしれない。

何も本当の「せんそう」ばかりじゃないよ。「せんそう」でなくても、世の中には「せんそう」みたいな物ごとがたくさんある。

だけど考えてみてほしい。「せんそう」に行くことは本当に「ゆうき」なのかな?

「あい」を基準にして考えてみたら、「せんそう」に行くことが「ゆうき」なのではなく、「せんそう」から逃げることが「ゆうき」なのかもしれない。

そして「せんそう」から逃げることは「せんそう」に行くこと以上に「ゆうき」が必要なことかもしれない。

あるいは、それでもやっぱり「せんそう」に行くことが「ゆうき」なのかもしれない。

それはそのときになってみないとわからない。いや、もしかしたらそのときになってみてもわからないかもしれない。

だけど確実に言えることは、何が「ゆうき」なのかは自分で決めなければいけないということだ。

世の中には「ゆうき」のように見えて「ゆうき」じゃないものがたくさんある。これが「ゆうき」だとみんなが言っていても、本当にそうだとは限らない。

「あい」と無関係な「ゆうき」は、たいてい「ゆうき」ではなく何か別のものだ。そして何が「あい」なのか決められるのは、世界中で自分だけだ。



自分に「こそだて」は難しそうだ。
コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

レオ・バボータ「幸福とは、既に持っているものを見つけ出すこと」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「Happiness is Uncovering What You Already Have」の日本語訳「幸福とは、既に持っているものを見つけ出すこと」を公開しました。
7年ほど前、人生の不幸を幸福へと転換する決心をしたとき、私はそのための方法をいくつか思い描いていた。借金を返済し、ダイエットし、もっと良い仕事につき、家をすっきりと片づけ、体調を整え、生産性を高め、本を書くのだ。

私はそれらを全て実現したただけでなく、他にもたくさんのことを実現した。素晴らしいことだった。人生は変わり、今ではとても幸福だ。

しかし、私が幸福になったのは、それらを実現したからではない。

私が気づいたのは、幸福のために必要なものは既に全部持っていたにも関わらず、それは不安、人生に対する不満、自分の身体や自分自身に対する嫌悪感の下に埋もれていたということだ。持っていたのに、隠されていたのだ。

幸福とは、既に持っているものを見つけ出すことなのだ。

あなたは今、幸福になるために必要なものを全て持っている。自分自身も人生も、変える必要など何もない。必要なのは、既にそこにあるものに目を向けることだけだ。
全文を読む

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

欲望の質 [Diary]

Tomo.さんが電車の中で見かけた高校生くらいのカップルの話。

彼は彼女の肩にもたれて寝ていて、彼女の方はなんとなくもじもじしている。そして「すごく触ってほしそうな感じだった」。

「高校生くらいの子でそういうことってあるのかな?」とTomo.さんは言ってたけど、それはあるでしょう。知らないけど、きっとあると思う。だって自分はあったもん(笑)。

で、その光景を想像してるうち、少しだけ幸せな気分になる。

「触れたい」とか「触れられたい」とか、そういう純粋な欲望を持てるのってすごく幸せなことだ。たとえそれが満たされず悶々とすることになっても。誰かによって歪められた「モテ○○」とか「愛され○○」とかとは全然違うんだ。

結局、大切なことは「欲望」の質なんだと思う。「欲望」の質が実は人間性そのものなんじゃないかというか。

最近「欲望」についてばっかり考えてる気がするけど。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

何と闘うか。 [Diary]


少し前のことだけど。

「逃げた」と思われたくない。
自分にはプライドがある。

そんな理由で、尋常ではない激務に耐え続けようとする後輩に対してつい我慢できず。

逃げたと「思われる」ことがそんなに問題なのか。そのプライドちっちゃくないか。生まれて1年の子どもや奥さんよりそのちっけープライドが大事なのか。

思わずそう言い放ってしまったとき、中途で入社してきて以来、クールな態度と表情を決して崩さなかった彼が初めて崩れた。

人生は闘いかもしれないけど、闘うかどうかということよりも、何と闘うかの方が大事ということがある。

自戒もこめて。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

iMandalartのチェックボックス(の代わり) [マンダラート]

かつてのPalm版マンダラートには、セルに「チェックボックス」を表示する機能があって、チェックリストや手順書的に使う際に便利だった。

iPhone/iPad版のiMandalartにはその機能がなくて不便だと思ってたんだけど、最近iOSの日本語変換で「まる」と入力したときに出てくる赤い○印をチェックマークの代わりに使うと、実用上も見た目もとても良いことに気づいた。

こういう一見つまらない工夫が、劇的に使い心地を改善することがある。

IMG_1591
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

レオ・バボータ「仕事の禅」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「The Zen of Work」の日本語訳「仕事の禅」を公開しました。
仕事中、私たちはしばしばストレスに満ちた状況、誰も関わりたくないプロジェクト、腹の立つ同僚、仕事の邪魔をする上司、処理しようのない量のタスクとメール、楽しめない退屈な仕事などの問題に直面する。

これらの問題には、1つのシンプルな原因がある。それは、私たちのこだわりだ。

仕事そのものがストレスを引き起こすわけではない。仕事は単に実行された、あるいは実行する必要のあるアクションにすぎない。ストレスを起こしているのは、仕事に対する私たちの反応だ。物ごとがこうでなければいいのにと願い、それにこだわることがストレスを起こしているのだ。

フラストレーションを引き起こすのは、絶え間ない中断ではない——それらは単に周囲で起こっている出来事にすぎない。葉が落ちたり、鳥が飛んだりするのと同じだ。フラストレーションにつながるのは、中断されるまで行っていたタスクに対する私たちのこだわりだ。タスクが中断されなければいいのにと私たちは願い、中断を引き起こしたあらゆるものに対して憤慨する。その上、私たちの頭はまだ半分やりかけのタスクに向けられている。

同僚や上司の問題でもない。彼らもまた、この世界においてなんとかベストを尽くそうとする人間にすぎない。怒りや苛々を引き起こすのは、彼らがある特定の振る舞いをするべきだ、自分を喜ばせるために彼らが全力を尽くすべきだという考えに対する私たちのこだわりだ。
全文を読む

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

レオ・バボータ「人生に対して自分を開くには」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「How to Become Open to Life」の日本語訳「人生に対して自分を開くには」を公開しました。
私は様々な形で人生に対して自らを閉ざし、その可能性の全てを受け入れずにいる。他人に対しても同じように自分を閉ざしている。自己防衛のひとつの形として。

これは誰にでも当てはまることだ。あなたが若い頃、自分を開いていたがために傷つくことがあっただろう。そのときの痛みが、様々な形で自分を閉ざすよう私たちに教えたのだ。他人を受け入れてはいけない、距離を保つにはユーモアを使え、傷つけられる前に傷つけろ、新しいものには近づくな、などなど。

自分を閉ざせば、私は世界に触れる機会を失う。人生の可能性を失うのだ。

そこで、私はもっと自分を開けるようになろうとしている。時間のかかることだが、小さな積み重ねを通じて、私は多くを学んできた。そして、今までにないほど自分を開けるようになっている。

自分を開くとはどういうことだろう。それは、人生のより多くの部分を評価せずに受け入れ、何が来ようと幸福になるということだ。人を評価することを減らし、批判することを減らし、もっと受け入れ、その人がその人であることの素晴らしさにもっと目を向けられるようになるということだ。

それは、私が今までになく人生をフルに経験しているということを意味する。ここで人生に、そして他人に対して自分を開くということについて、少しだけシェアしたい。あなたにとっても役立つことを願って。
全文を読む

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

全員に孤独の自覚と覚悟がある集団 [Thoughts]

「仲間」とか
「協調性」とか
「付き合い」とか
「面倒見」とか
「礼儀」とか
「リーダーシップ」とか
「思いやり」とか
「優しさ」とか
「絆」とか

組織や集団の中で一般的に奨励されるこの種のキーワードのほとんど全てが、同時にいじめの原因(あるいは口実)にもなり得るということを、もっと真剣に考えてみた方がいい。

キーワードを口にすることはとても簡単だけど、本当の意味でのそれを身につけるのは簡単なことではない。そもそも、身につけてる大人がどれだけいるんだ。

きっと全ての前提には「孤独」がある。その前提なしに使われた瞬間に、どんな聞こえのいい言葉も刃になる。

もっと言えば、全員に孤独の自覚と覚悟がある集団では、ケンカは起きてもいじめは起きない。

そのことを教えてくれる教師がどれだけいるんだ。

え、「思いやり」や「優しさ」がなんでいじめと関係するのかわからない?
そういう人はもう少し孤独になった方がいいです。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ランダムな経験をロジカルに変換する [アウトライナー]

つくづく思うんだけど、モノづくりをしないホワイトカラーの仕事というのは、ランダムとロジカルの闘いだ。

一日の労力のほとんどが、ランダムなものをロジカルに変換することに費やされているといってもいい。

仕事が過去(経験)と未来(行動)から成り立っているとすれば、過去はランダムであり、未来はロジカルだからだ。

過去(経験)は、上司の指示も、クライアントの要望も電話も会議も頭をよぎった不安もアイデアも全てランダムにやってくる。

それはいくらメモしたとしても(あるいはいくらEvernoteにため込んだとしても)、そのままでは利用できない。ランダムなままではアウトプットにならないから。

アウトプットするためには、何らかのロジックの中に位置づけられなければならない。つまり、ランダムなものをロジカルに変換しなければならないのだ。

ホワイトカラーの仕事のほとんどは、煎じ詰めればその位置づけ・変換作業だ。そして、それはちょっと考えるほど簡単なことじゃない。しかも、いったん変換して終わりではない。状況は刻々と変化していくから、常に組み替えが発生する。

ロジックとは関係なく流れていくランダムな思考を、人に伝えられるような形に位置づけ、構成しなければならないという点で、それは長文を書くことに似ている。

その状況を最も有効に助けてくれる道具があるとすれば、それは長文を書くときと同様に、アウトライナーしかない。

出来事をアウトライナーで記録し、後からアウトラインにしていく。

その方法が素敵なのは、ランダムな経験をランダムなままキャッチした後に、ロジックの中に組み込んでいけることだ。しかも、一度組み立てたロジックを、状況の変化に応じていくらでも更新していくことができる。

それは記録でもあり、予定でもある。いわば過去と未来を同時に有機的な繋がりを保ったまま扱うようなものだ。

そしてもうひとつ。経験をいったんランダムなままキャッチしておくことで、ランダムであるが故の豊かさを切り落とすことなく体系化できる。これは、あまり意識されていないアウトライナーの美点だ。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

何かが生まれる秘密の暗い場所 [Thoughts]

夜の都心の公園なんかで、誰もいないと思った暗がりでよくよく目をこらすと実はカップルがたくさんいて、あんなことやこんなことをしてる、という光景の健全さが個人的に大好きだ。

人間が生きていくためには、何かが生まれる秘密の暗い場所が必要だ。

表の世界のすぐ隣にありながら、表の世界とは切り離された人目につかなくて暗くて静かで目的のない場所や時間。

ぼくにとってのそういう場所のひとつが、横浜そごうの裏側の海に面した場所だった。

かつてそこは、広い駐車場になっていた。

そごうの営業時間が終わって夜10時を過ぎると、駐車場のわずかな照明と自動販売機以外は明かりもなく、人気のない暗い場所になる。

すぐそばには、たくさんの人が行き来する横浜駅がある。でも自分たちがいるその場所はそこから切り離されている。誰も来ない。そして海の匂いと港の夜景と暗闇。

なんというか、とても官能的な場所。

そこで自動販売機で買ったジュースでも飲みながら彼女と話をしていると、明るい場所や陽の当たる場所では生まれないような言葉が生まれ、起こらないようなことが起こる。

ふと見ると、あちこちに同じようなカップルたちがいる。絶妙な距離感を保ってお互い邪魔にならないようにしてるけど、不思議な連帯感みたいなものも感じる。

彼らは今どうしてるんだろうなとときどき思う。この場所で始まり、今も続いている関係というのだって、きっとあるはずだ。

今その場所は横浜ベイクォーターになっている。

夜も明るくて人がたくさんいて素敵な(はずの)お店がたくさんある。カップルもたくさんいる。

でも、企画書の匂いがぷんぷんするその場所には、何かどきどきする新しいことが生まれるような官能はもうない。カップルが訪れて時間を過ごしお金を使う場所ではあるけど、カップルが生まれる場所ではない。

目的を決め、光を当て、時間を区切り、経済効果を計算するほど、場所からも時間からも官能は失われていく。

長い目で見ると、そのことがどれだけ人から健全な欲望とエネルギーを奪っているか。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感