So-net無料ブログ作成

妻のことは「彼女」と言えばいいんだ [Diary]

他人に対して自分の妻のことをどんな言葉で表現するか。という下らないようでいて意外に奥深い問題について長い間悩んでいる。

「家内」とか「女房」とか「かみさん」とか「ヨメ」とか、これだけいろんな言葉や表現があるのに、しっくりくる言葉が一つとしてない。

本来いちばんニュートラルなのは「妻」のはずなんだけど、書き言葉ならともかく話し言葉で使うにはカタすぎるような気がする。

英語でmy wifeだったら全く違和感ないんだけどな。日本語ってどうしてそうなんだろう。三浦和義氏は「ワイフ」だったけど。

で、結局外での他人との会話の中では「うちの奥さん」という言い方に落ち着いてるけど、これって本来他人の妻を表現する言葉だし、長いし語感的にもそんなに納得してるわけじゃない。

このブログでは「妻」または「Tomo.さん(ハンドルネーム?)」という苦し紛れな表記をしてるね。

と思ってたら、最近atsuronさんのブログで奥さんのことを普通に「彼女」って書いてるのを見て目からウロコが落ちた。

どうして今までその言葉に気がつかなかったんだろう。


atsuronさんの文章に出てくる「彼女」って言葉の響きがけっこう好きなんです。

セクシーとは雑多であること [Diary]

セクシーさの重要な要素って「雑多さ」だと思うんだよね。

何かのきっかけで、その人の普段見えてる部分の外側にある、未整理で雑多な部分を目にして、そこからその人の野性的・本能的な部分を感じること。

それは通常「意外な一面」というような言葉で表現されるんだろうけど、単に意外であるというよりも、その目的のなさ、説明できなさ。そういう部分こそ、その人の存在の本質部分、「欲望」と繋がってる部分だからかもしれない。

逆に、あまりにも目的合理的であることは、セクシーではない。

だから、モテるための努力をするという行為ほど、セクシーさを減殺するものはない、ということで。

人生をレースに例えると [Diary]

先日26歳の若さで亡くなったアーロン・スワーツ追悼イベントでのドク・サールズの発言を、デイブ・ワイナーが紹介している。

When you're young you think life is a sprint.
When you're older you see it's a marathon.
And when you're mature you see it's a relay race.

若いときには、人生は短距離走に思える。
年齢を重ねると、人生はマラソンに思える。
そして成熟すると、人生はリレーに思える。

サールズのコメントによると、これは彼自身の言葉ではないようだけど。
でも、その通りなんだよねきっと。

ぼくはだいぶマラソンに思えるようになってきた。

「クリア」って何だ [Thoughts]

個人的に、最近の最大の願望は「クリア」になること。

本当は、年齢を重ねるに従ってクリアさを増していくような生き方ができればと思うんだけど、実際には人は放っておくと歳と共にどんどんクリアさを失っていく。そんな現実を目の当たりにすることが多い。

そういう自分も、年賀状に「クリア」と書いておきながら、年明けからとてもクリアじゃない日々を送っていたけど(いや、簡単じゃないから年賀状に書いたんだ)。

簡単そうでいて、もしそれを手に入れたらそれだけで「成功」なんじゃないかという気さえする「クリア」って、何なんだろう。ということで、例によってマンダラを作ってみる。

英和辞典でclearをひくといろんな意味が出ているけど、その中から自分のイメージするクリアな感じに当てはまる単語を恣意的に8つ選んでランダムに並べた。

on being clear

自分にとって何かがクリアであることとは、

冴えた
澄んだ
すっきりした
はっきりした
わかりやすい
疑う余地がない
明瞭な
確信した

そのいずれか、または全てに当てはまる状態。
うむ、そういうことだね。

レオ・バボータ「『減らす』ための簡潔なガイド」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「『減らす』ための簡潔なガイド」を公開。「Do Less: A Short Guide」の日本語訳です。
私たちの多くは、こなすべきタスク、読むべきサイト、ソーシャルメディア、メール、ミーティングの終わることのない流れの中で仕事をしている。ひとつのことから別のことへと大急ぎで移動し、止まることも終わることもない。

やがて一日は終わる。私たちは疲れ切っている。その割には大した成果は挙げていない。やがて次の日が始まり、また容赦ないタスクと雑音の奔流の中に戻っていく。

私は多くの人のすることに逆らい、一歩下がって物ごとを見るのが好きだから思うのだが、そんな生活に価値はあるのだろうか。それが最善の方法なのだろうか。私たちの人生は雑用と雑音の中で失われてしまうのだろうか。もし、やることそのものを減らしたらどうなるだろう。

もちろん、私はこのZen Habbitsで「減らす」ことを6年もの間提案し続けているのだが、これは繰り返すに値するテーマだ。なぜならその必要性が極めて高いからだ。今回は挑戦を志す人のために、「減らす」ための簡潔なガイドを提供しよう。
全文を読む

編み物にちょっと憧れる [Diary]

近所のドトールでコーヒーを飲みながら編み物をしてる女の子がいて、その子がすぐ後ろの席のすごくうるさいおばさんの集団に全く動じず、自分の作業を続けてる様子を眺めていた。

自分は、そのおばさんたちの声で全く集中できずにいたから(ちょっとうるさい人がいたり邪魔が入ったりすると、すぐに集中力を保てなくなるのがワタシの欠点)。

表情も変わらないしペースも変わらない。ときどき電話がかかってきて中断するけど、電話が終わるとすぐ同じ作業に戻る。中断前といっさい変わらない。

その動じない、ペースを崩さない感じって、昔から自分が編み物に対して抱いていたイメージそのものだ。

明白な創造的行為なのに、やっていることは単調(に見える)な作業を淡々と黙々と繰り返すこと。リズムがあること。それを守ること。だけど穏やかなこと。

そういうあり方ってちょっと憧れる。

Living Mandal-Art「YEARマンダラとMONTHマンダラ」 [マンダラート]

Living Mandal-Artに「YEARマンダラとMONTHマンダラ」を公開しました。
「生活の中のマンダラート」の基本は「今日一日のマンダラ=DAYマンダラ」だけど、DAYマンダラに慣れてきたら、同じように「今年のマンダラ(YEARマンダラ)」と「今月のマンダラ(MONTHマンダラ)」も作ってみよう。

YEARマンダラもMONTHマンダラも、基本的な開き方はDAYマンダラと同じだ。WEEK/DAYマンダラと同様に、Manda画面の該当セルをタップし、さらに目的の年/月をタップする。

ここに「この一年にやること」をそれぞれ8つずつ書けばいい。8つに限定するというところも、必要に応じてセルを展開することで無限の情報を入れ込めることも、考え方はDAYマンダラと同じ。MONTHマンダラであれば、Manda画面の「MONTH」セルから同様に開いていけばいい。

ただ、DAYマンダラと少し違うのは、当然ながら時間のスケールが違うこと。DAYマンダラでさえ「やること」をただ書いていけば8つに収まらないのが普通なのに、MONTHやましてYEARとなったらとても書ききれない。それに今の時代、ひと月も経てば状況がぜんぜん変わってる方が普通だ。

だから単純に「今年やること」「今月やること」をTo-Doリスト的に書いていくとあんまりうまくいかない。むしろより抽象的に考えた方がいい(少なくともぼくはそうだ)。
全文を読む

レオ・バボータ「ミニマル主義と不安」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「ミニマル主義と不安」を公開しました。「minimalism vs. fear」の日本語訳です。
不安が、私たちをミニマルであることから遠ざける。

私たちはなぜ必要もないし使いもしないとわかっているものを取っておくのだろう? 必要になるかもしれないという不安があるからだ。捨てることによって何が起こるのではないかという不安があるからだ。

何年もの間、私は車を所有していた。緊急時に対する不安、やりたいことや必要なことができなくなるという不安があったからだ。その後、車なしでも必要なことは全て間に合うだけでなく、それ以上のことができることを発見した。それに、もし本当に緊急事態であれば、警察や消防に電話する方がよいということも。
全文を読む

クッキーでマンダラを作ってもらった [Diary]

四角いものをみるとなんでもマンダラにしたくなる。

Cookie Mandala

目的のないフリーライティング [Diary]

大晦日から元旦にかけてしてたことは、膨大な量の目的のないフリーライティング

ときどきこれをやると、自分の中にいつの間にかいろんなものが溜まったり滞ったりしていることに気づく。

それが良いものも悪いものも、溜まっているもの、滞っているものは外に出す必要がある。特に言葉は滞ったままにしておくと腐っていくし。

一度外に出すと、それだけで何かが動きはじめるような感覚がある。血が巡りはじめるみたいな。

それってけっこう大事な気がする。



いつも書いてるけど、フリーライティングするときに重要なのは、気持ちよく書ける、書くこと自体が快楽であるような道具を使うこと。

質の良いキーボードでもいいし、書き心地のいいペンでもいい。

何でもいいんだけど、その道具がうまくはまると、ただ「気持ちいいから」という理由で書き続けて、後から「自分の書いてしまったことに自分で驚く」というようなことが起きる。

多分それはアタマで書いてるのではなく、カラダで書いてるということなんだね。