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デイブ・ワイナー「一日の終わりにがんばりすぎないこと」 [Diary]

もうひとつ、アウトライナーとは無関係なデイブ・ワイナーの文章を。「一日の終わりにがんばりすぎないこと」——「Don't slog away at the end of the day」の全文訳です。プログラミングだけじゃなく、いろんな仕事に通用する話ですね。

暫定的にここに公開しておきます。


これは、プログラミングに関する重要なルールのひとつだ。

一日が終わろうとしている。今日あなたは様々なことを達成した。あとひとつだけ問題を解決すれば、機能は完成だ。あなたは回答を探している。様々なアイデアを試している。完全に混乱している。今日中にこれを解決しておきたい。がんばるけれども仕事は終わらない。二時間ほど無駄な努力を続けた後、あなたはギブアップする。夕食を食べ、バスケットボールの試合を少し観て、グラス一杯のワインを飲み、本を少し読んで床につく。

翌朝目を覚まし、コーヒーをいれ、ニュースを読み、腕まくりをして改めて問題に取り組む。

数分後、問題は解決している。

こういうことは二度や三度ではない。

その問題は手に負えないほどのものではなかった。難度としては、前日に解決した他の問題と同じくらいのものだ。ただ、あなたの頭脳がシャットダウンしてしまった後にやってきただけなのだ。だからあなたはあと2時間早く切り上げるべきだったのだ。

プログラミングは、溝を掘るのとは違う。達成する仕事の量は、仕事をする時間と比例しない。そして信じようと信じまいと、あなたの頭脳は眠っている間も問題に取り組んでいる。朝起きて答えが出ているのはそのためだ。30年もプログラミングを続けてきたが、私も未だにこの教訓を学び続けている。
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デイブ・ワイナー「ガソリンスタンドの男」 [Diary]

デイブ・ワイナー「ガソリンスタンドの男」。「The guy at the gas station」の全文訳。なかなか素敵な話だったので、アウトライナーとは何の関係もないけど、訳してみた。ワイナーさんのこういうところが好きだ。

あとでどこかに移すかもしれないけど、とりあえずここに載せておきます。


メンローパーク市のサンドヒルロードとシャロンパークロードの角に、ガソリンスタンドがある。私はシャロン・パークに住んでいたことがあり、ほとんど毎日そのガソリンスタンドの横を通っていた。当時私はマルボロライトを少なくとも1日2箱、日によってはそれ以上吸うスモーカーでもあった。カートンは買わない主義で、それはその方が本数を意識できると思ったからだが、成功したとは言えなかった。タバコを売っているガソリンスタンドは家から数ブロックのところにあって、車で2分もかからない。「マルボロライトを2箱」、それは当時の私が1日に最低一度は口にする台詞だった。それ以上口にする日もあった。

ある日そのガソリンスタンドにタバコを買いに行った。しかし、カウンターの男は私の声が聞こえないのかタバコが見つからないのか、動こうとしなかった。私は少なくとも3回は「マルボロライト2箱」と言ったはずだ。彼は汗をかき、本当に混乱しているようだった。最初、私はこれを軽蔑の表現と受け取った。怒りがこみ上げてきた。しかし私はそれを表に出さないよう努めた。望みが叶わないまま永遠とも思える時間が流れた後、何かが私の意識を打った。「この男は苦しんでいる」。それは「この男は私を苦しめている」とは非常に違う感覚だ。問題は彼にあるのではなく、私にあるのでもない。彼は問題を抱えているが、それは私とは無関係だ。私は深呼吸し、微笑み、そして待った。やがて彼はマルボロライトを持ってきてくれた。私は代金を払った。私は微笑み「良い1日を」と言った。

彼も笑顔になって、申し訳なかったと言った。気にするなと(あるいはそんなような意味のことを)私は言った。そしてもう一度微笑み、店を出た。

人との関係(友人のこともあるし、店や地下鉄や空港で出くわした人のこともある)の中で苦しい状況に陥ったとき、その日のことを思い出す。この人は与えられた状況の中でベストを尽くそうとしている。そしてそれが何であれ私とは無関係な事情で、問題を抱えている。その問題を少しでも軽くしてあげたいと思う。

この話のポイントは——何もない。ただ、そろそろ書いてもいいかなと思っただけだ。

良い1日を!
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奇跡の持続可能性 [Diary]

「丁寧な仕事をする」ことはとても大切なことだと思うけど、現実には丁寧な仕事をすることは年々難しくなり、今ではほとんど不可能に近くなっている。

そもそも仕事の予算とかスケジュールとか人員なんていうものは、必要なだけ充分に与えられるということはまずないもの。だけどそれが限度を超えて加速度的に少なく、短くなっていくのは、一度奇跡を起こすと次からはそれがデフォルトになってしまうからだ。

「前回はこのスケジュールでできたじゃない?」
「前回はこの予算でやってくれたじゃない?」

と言われれば確かにそれは事実。反論できない。

こうして繰り返し奇跡を起こしているうちに、奇跡を前提にあらゆる物ごとが進行するようになり、誰もがそれを当然と思うようになり、1年くらい経つと経緯を知らない別の人から、あろうことか「ここのスケジュールなんですけど、もう少しなんとかなりませんか?」なんて言われる。

そうやって、丁寧な仕事をしたいと願ってもそれができない世界をぼくらは作り上げてきたのだね(もちろんそこには時代の変化とか業界の変化とか環境の変化とか効率性とか生産性とかいろんな問題が絡んでるんだけど、「だからしょうがないんだ」ということにはならない)。

でもたぶん、奇跡はそうやって使うものではない。無意味な奇跡を起こすことに必死になって良い仕事をした、あるいはがんばった気になってると、おそらく誰も幸せにならない(奇跡を要求している側も含めて)。そして何より、奇跡を起こし続ける生活は、持続不可能だ。

同僚が「私たちだけでも変えていきましょう」と言ったけど、それはとても重要な言葉だと思っている。何よりそのことを言葉にする人が、ほとんどいない中では。
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最後の「ステンレスの箱」 [Diary]

久しぶりに仕事に行く以外の目的で東横線に乗ったら、さよならマークを付けた9000系がやってきた。

そうか、東横線での9000系は今度のダイヤ改正で見納めなんだ。

登場したのは80年代だから、そんな古い車両じゃないんだけどな。と思ったけど、考えてみると30年近く前のことなんだよね(高校生の頃、登場するなり確か綱島駅の構内で脱線事故を起こしたんだった)。それを「そんなに古い車両じゃない」と感じる時点でトシなのかもしれない。

でも昭和40年代初めに登場した8000系がつい最近まで走ってたことを思えば、まだまだ新しい。

昔から東急の車両デザインが好きだった。特に完全なアメリカ・バッド社風デザインだった7000系に、少し日本風味の洗練を加えた8000系。

「ステンレスの箱」みたいに無機質だけど機能美のあるデザインは、今でも日本の通勤電車のデザインの最高峰だと思っている(今でも「ステンレスの箱」が無性に好きなのは、そのせいかもしれない)。

9000系はその流れを受け継ぐ最後の「東急らしいデザイン」の車両だったと思う(厳密にいえば2000系もあるけどね)。あの独特のモーター音が聞けなくなるのも寂しいです。あ、あとボックスシートも。
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気がつくと通算1000記事目だった [Diary]

ふと気がつくと、累計記事数が「999」になっていた。だからこの投稿が1000投稿目。

そういう数字ってあんまり意味はないし、Renji Talk本館を含めれば数はもっとずっと多い(そして本館の方がずっと手間がかかる)けど、区切りではある。

このブログを始めたのは2008年の頭だから、5年目に入ってることになる(本館はもう少し前からだったと思う)。別に数に意味はないんだけど、基本的に長続きしないタイプなんで、そういう意味ではちょっとだけ感慨深いです。

更新頻度は一時期よりは少なくなってるけど、今だったらツイートにしかならないみたいな1行記事とかもあったからね(逆にTwitter以降不自由になった感覚もあるけど、それはまた別の話)。

あらためて考えてみると、このブログを更新することを通じて、自分みたいなタイプの人間が何かを「続ける」というについて、わかってきた部分が確かにある。

続けようと思わないこととか。
テーマを決めないこととか。
整合性を求めないこととか。
一貫性を求めないこととか。
少しぐらい誤字があってもいいことにするとか。
そのときやれることをすることとか。
始めたことが終わらなくても構わないとか。
まとめようとせずに断片を書き出していくこととか。
自分の中で70点をクリアしたら公開しちゃうこととか。
意義のあることをしようとしないとか。

ここにあげたことの多くが、昔から学校やら社会やらから言われ続けてきたことと逆だ。だけどもしそういう教えを守ってたらここまで続くことなんか絶対になかったし、きっとレオに出会うこともなかっただろうし、翻訳活動をこんなにやることもなかったし。うむ、不思議。

ちなみに今日時点の累計PVは422,226でした。
ささやかだけど、読んでいただいてるみなさん、ありがとうございます。

あ、もういくつか大事なことがあった。

意地でも更新すること。
更新できなくても落ち込まないこと。
だけど意地でも更新すること。
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内向的であることについて [Thoughts]

「内向的でも成功するために必要なもの: Jonathan Fields・Susan Cain対談 #WDS | Lifehacking.jp」

少し古い記事だけど、当時電車の中で読みながらいろいろ考えさせられたことを覚えている。ここに出てくる出てくる「成功」ってそもそも何なのかという問題はさておき、自分が「内向的」だと思う人は読んでみるといいと思う。

この中に、子どもの頃サマーキャンプでアグレッシブになることを要求されて衝撃を受けたという話が出てくる。

アメリカの子どもというのはなぜか夏休みにサマーキャンプというのに参加させられて、「リーダー」なるお兄さんに率いられて山や森の中で寝袋で一晩過ごす。ぼくにも何回か経験がある。日本でいう3年生と4年生のときだったと思う。

役割を決めて薪を集めたり食事を準備したりキャンプファイヤーを作ったりすることを通じて、協調性とリーダーシップと独立心を養うってことなんだろうね。まさにアメリカの子どもが大人になる過程で身につけることを要求される物ごとだ。

一応要求されることは(それなりに)こなしながら、心の中で「早く終わらないかなあ」と思っていたのを覚えている。そして、その「早く終わらないかなあ」的感覚が、大人になってもまったく変わってないのがおかしい。

想像がつくと思うけど、ぼくは(非常に)内向的な人間だ。

会議やブレストで発言できないわけではないし、やれと言われれば(得意とはとても言えないけど)人前でプレゼンだってやる。でもそれは、あくまでも振る舞い的にそれができるようになったというだけのこと。

内向的な人間も外の世界で生きていかなければならなず、そこには内向的な人間の居場所が用意されていないことを、ずっと痛感してきたわけだから。←外向的発想

そんな振る舞いの底の浅さは、自分がいちばんよくわかっている。そして、その後にやってくる、自分の生命資源が浪費された感覚は、あんまり気持ちの良いものではない。

だから、本来内向的な人間が、外向的(に見えるように)振る舞おうと努力している姿を見ると、とても心が痛む。そうしなければならないことは、とてもよく理解できるけど。



個人的に、これまで手にしてきた価値のあるものはすべて、自分の内向的な面とつながっていると思う。もし内向的でなかったら、自分にはほとんど何も残らないとさえ。

自分が好きになる人は、あるいは個人的に深く関わりたいと思うような人は、分類するとすればたぶんみんな内向的な人間だ。

まったく「外向的」ではないけど、内側からじわじわと人を変えていくようなタイプの「内向的」な人が存在することも知っている。長期的に考えれば、そういう人こそ本当に深く強く、周囲に影響を与えるということも知っている。

そしてもうひとつの疑問。本当に純粋に「外向的」な人なんて存在するんだろうか。もちろん極論だけど、それでも今世の中に存在している(ように見える)ほどの数の「外向的」な人がいるとは、ぼくには思えない。

今の世の中の、居心地悪く底の浅い感じの少なくとも一部は、本当は外向的でない人間が無理に外向的に振る舞い、そして他人にもそれを押しつけているからだとぼくは密かに思っている。

「人は自分以外のものにはなれない」ということは、人が大人としてある程度幸福に生きていくために、最低限知っておくべき真理だ。

組織運営と若手の育成に関する会議で、積極的に攻めの姿勢のコミュニケーション能力がリーダーシップを発揮して的ワードが飛び交うのを聞きながら。



ちなみに、ぼくはマイヤーズ・ブリッグス性向指数テスト(MBTI)をきちんと受けたことはないけれど、簡易診断によると、ぼくは「INTP型」だそうです。はい、内向的ですね。
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