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キャンドルスティック・パーク [Diary]

野球が大好きだけど、もしかしたら野球以上に好きかもしれないのが野球場。

生まれて初めて行った本物の野球場は、8歳のとき父親に連れていかれたサンフランシスコのキャンドルスティック・パークだった。

当時のサンフランシスコ・ジャイアンツは晩年のウィリー・マッコビーが在籍していたけど(そしてぼくはマッコビーのサインボールを持っていたんだけど)、決して強いチームではなかった。試合も、相手は覚えてないけど)確か負けたと思う。とにかくあんまり印象に残っていない。

印象に残ってるのは、ナイターが終わったあと広大な駐車場から見た夜に浮かびあがる巨大なスタジアムの姿。

当時(70年代末)のアメリカには、ベトナム戦争の傷がまだ残っていて決して元気とは言えなかったはず。だけどスタジアムの巨大さとまばゆい光は、子供心に「アメリカ」の象徴みたいに感じられた。

そしてそれが、間違いなくぼくを「野球場好き」(そして結果的には野球好き)にした原体験だった。

海のすぐそばにあって、ソラマメみたいな不思議な形のスタンドに沿ってサンフランシスコ名物の濃霧と強風が渦を巻く悪名高い球場からジャイアンツが離れたのは2000年。

その後もNFLのサンフランシスコ・フォーティーナイナーズの本拠地として使われ続けてきたけど、2013年シーズンを最後にフォーティーナイナーズも新球場に移転し、キャンドルスティック・パークは解体されることになった。

そんなニュースを目にして、つい思い出話を書いてる場所から見えるのは、日本でいちばん好きな球場、横浜スタジアムです。
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大切な話は偶然にしか語られない [Diary]

今日は、個人的に大切な話をするつもりだったとする。

大切な話をして、「こうしたいね」とか「こうなるといいね」とかそういうポジティブな会話が自分を奮い立たせてくれるような気がしていたとする。

もちろんそれは甘えだ。

今日は大切な話をしようなどと意気込むと、大切な話はできないものだ。

誰かと話をしよう思って、期待した通りに期待した内容の話ができるなどと期待することは、文章を書こうと思って期待した通りのものが書けると期待するのと同じくらいでおめでたい。そして他人との関係におめでたいことを甘えという。

大切な話は偶然にしか語られない。

大切な話は、なんでもない会話の中で、あるいは会話でさえない時間の中で、風みたいにふっと吹いてくるものだと思う。

だから必要なのは、目的もなくただ一緒にいる時間と、ふと大切な話が語られたとき、すかさずたぐり寄せる勘と瞬発力みたいなもの。

そんなことは知ってたはずだけど、知っているということと、実際そのように行動できることは別なんだね。
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レオ・バボータ「人と違うことの社会的コストを乗り越える」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「人と違うことの社会的コストを乗り越える」を公開。ブログZen Habbitsより「Overcoming the Social Costs of Being Different」の日本語訳です。
気づかないうちに、私はほとんどの人とは異なるあり方を選んでしまったようだ。あり得ないくらい何度も自分について説明しなければならなかったし、人と違うという理由で私から離れていく人もいた。

それでも、煩わしさや孤立感はあっても、私は人に合わせようとは思わない。

それが私自身なのだから。そして人に合わせるということは、本来の自分から離れるということだから。

私が人と異なるところをいくつかあげてみよう。
全文を読む

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呪いの呪文とその分類(抜粋) [Thoughts]

ロジック型
それが何の役に立つんだ。
そんなことをしてどうするんだ。
金になるのか。
わかるように説明してみろ。
それがあなたの夢なの?

予言型
続きゃしない。
お前にはできやせん。
いつか感謝するときが来る。

情緒型
幸せになってほしいんだ。
一人前になってほしいんだ。
私を悲しませないで。
心配しているのがわからないの?

同化型
俺も昔はそうだったんだ。
お前のために言ってるんだ。
わかるからこそ言ってるんだ。

断定型
お前にはまだ経験が足りない。
お前は目の前のことしか考えていない。
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自己肯定とは、自己肯定のことなんか考えもしない状態のこと [Diary]

ドトールで〈自己肯定能力を磨く〉方法について話し込んでる男女4人の集団の会話を聞くともなしに聞きつつ。

彼らは、自らに対していかに「うんうん」とうなづいてあげられるかみたいなイメージで語っていたけど、むしろそんなこと意識さえしない状態が、自己肯定なんじゃないかという気もする。

自分に関することを自然に、当たり前のこととして捉えられること。自分という存在や、自分が自然にやっていることに対して疑問を持たず、説明の必要も他者と比較する必要も感じないこと。

それじゃ成長がないんじゃないかと思うかもしれないけど、成長というのはたぶん人間に備わった機能だし、阻害しなければ人は勝手にするべき方向に成長する。

説明しようとして理屈づけしようとしたり、他者と比較して向上しようとしたり、無理やり〈肯定〉しようとしたりすると、もともとそこにあった有機性は機能しなくなると思うのですよ。
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意思を持って流れに乗り、扉を開いて通過させる [Diary]

この一週間は、周囲のいろんなものに振り回されたり影響されたりすることが多かった。

その結果として、自分の中のいろんなものが緩んで鈍ってきてる感覚がある。

こういうのを放っておくと、人は悪い意味で歳をとりはじめる。今の自分の年代の人がそうなっていくのを、何度も目にしてきたように。



環境や他人のせいにしてしまうのは簡単だけど、振り回されたり影響されたりするのは100%自分の側の問題だ。環境も他人もコントロールすることはできないから。

だけど一方では、「振り回されまい」「影響されまい」として防御するほど、精神も身体も固まり、こわばっていく。あるいは鈍くなっていく。そして、実はその時点で既に影響されているのだ。



必要なことは、状況の変化や感情の波に押し流されるのではなく、かといって流されまいとしがみつくのでもなく、意思を持って流れに乗ること。何も入れまいと扉を閉ざすのではなく、開いて通過させること。

いろいろと自戒を込めて。

ね。
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Fargoによるブログ編集が終了 [アウトライナー]

2014.4.30追記: 現在はFargo2の登場により再びブログ編集が可能になっています。

デイブ・ワイナーによると、現在FargoのCMS「Trex」の不具合により、Fargoによるブログの編集が不可能になっています。開発者が既に離れているため、復活の見込みは今のところないとのこと。以下、ワイナーによるアナウンスです。
http://scripting.com/2013/10/07/endOfTrex

ユーザーによっては「今でも動作している」という人もいるようですが、ワイナー本人がこのようなアナウンスをしている以上、今後Fargoを使ってブログを編集することは止めた方がいいでしょう。

またFargoブログのコンテンツは一切サーバには保存されておらず、ユーザーのDropboxアカウントにあるので、内容が消えるという最悪の事態の心配はありません。

なお、Fargo本体には問題なく、通常のアウトライン編集用途には引き続き利用可能です。
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「セクシーなマニュアル」と目的合理性 [Thoughts]

別にえっちなマニュアルの話ではなく。

ちょっと前、アマゾンのユーズドでウィリアム・ジンサー(William Zinsser)の「Writing with a Wordprocessor」という本を買った。

紙と鉛筆とタイプライターを愛し、機械とは、ましてコンピュータとは無縁な生活を送っていたノンフィクション作家のジンサーが、80年代の初めに、初めてIBMのワープロに出会ったときのことを書いた本。

ジンサーは英文文章読本の名著「On Writing Well」を書いた人でもあり、英語で書くということを知り尽くしたジンサーならではの視点で、ワープロに出会った驚きと意義が語られる。

もちろん今となっては全く実用性はない。こんな本を今頃買う人間はまずいない。同僚にも「その本の何に萌えるんですか?」と言われたけど。

ときどき「セクシーなマニュアル本」が読みたくなって、役にも立たない昔の本を買ってしまう。と言ってもきっとわからないよな。



セクシーなマニュアル本。

たとえばこれも昔の本だけど、木村泉「ワープロ徹底入門 」(岩波新書)。大学生の頃(80年代末)、はじめてワープロ専用機を買ったとき、参考になればと買った本。

当時は専用機が普及し始めた頃だったけど、その本ではパソコンのワープロソフト(「一太郎」、後に「松」)が紹介されていた。一般にワープロが漢字変換&印刷機くらいに思われていた頃に、パソコンを使えばもっとずっと広い世界が開けることを教えてくれたのはこの本だった。

それで興味をひかれて、パソコンのことを調べるうちに、テキストエディタというものの存在を知り、アウトライナーというものの存在を知り。

ワープロやコンピュータだけじゃなく、「知的生産の技術」だって、木村さんの本を通じて知ったんだ、確か。

そこには「目的があり」→「やり方がわからないので」→「マニュアル本を買う」という流れとは違う、「マニュアル本を読む」→「興味をひかれる」→「その世界に入っていく」という流れが確かに存在した。

手っ取り早くコツをつかみたかったり、必要なことだけ知りたい人に便利な造りではないけれど、そんなこととは関係なく楽しんで読ませてしまう木村さんの文章の魅力と、本筋から外れた(ように思える)雑多な情報が、単なるマニュアルあるいは実用書に止まらない深みを与え、読み物として楽しんで読んでるうちに、いつの間にか「本筋」の情報が自分の中に浸透してくる。

目的合理的ではないからこそ結果的に目的を達成してしまう。それがぼくの思う「セクシーなマニュアル本」。

奥出直人の「物書きがコンピュータに出会うとき」や、アーサー・ネイマンが関わっていた頃の「マッキントッシュ・バイブル」(第4版くらいまで)もそうだった。



今、コンピューターやその周辺のマニュアル本は膨大な量が出版されてるけど、セクシーなマニュアル本に出会うことはとても少ない。だからときどき懐かしくなって、今回みたいに実用性のまったくない昔の本を買ってしまう。

もちろん当時と今では環境が違う。そういう「目的合理的でない本」を企画すること自体が難しくなってるんだろうと想像する(そんな中で、倉下忠憲さんの一連の著作や記事は、とってもセクシーだと思う)。



ところで、冒頭でえっちなマニュアルのことではないと書いたけど、考えてみれば今の多くのAVがつまらない(いやらしい割にはたいしてエロくない)のも、あまりにも「目的合理的」だからかもしれないな。←目的合理的でない雑多な情報
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最後の10%と気合い [Thoughts]

気合いとはひたすら無縁なタイプの自分が言うのもなんだけど、何かを作ろうとするとき、仕上げの最後の10%に必要なものは実は「気合い」だ。

仕事でも文章を書くことでも、「だいたい完成」レベルまでは、工夫と経験次第でかなりの程度システマティックに進めることができる。システムとかハックとかテンプレートとかいうものだ。

でも仕事でいえばだいたいできたところから納品するまで、ブログでいえばだいたい書けたところから公開するまで、プログラム開発でいえばβ版から正式版まで、勉強でいえばだいたい理解したところから完全に身につくまで、その最後の仕上げの10%にいちばん必要なのって、実はプリミティブな「気合い」だ。「気合い」といって不適切ならば「気持ち」あるいは「魂」だ。

そして、できたものの質あるいは魅力は、最後の段階で投入した気合いや気持ちや魂の量と密接に関係している。

気合いや気持ちや魂を、それ以前の段階で無駄に消費しないということにこそ、システムやハックやテンプレートの意義がある。

ということを、お互い忘れないようにしましょうね。
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