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知らない間にまたいだ何かのライン [Thoughts]

20分の半身浴が苦痛でない
かつて普遍的だと思っていたものごとは一時的な事象にすぎなかった
現在進行形の何かは昔でいう○○に相当する
若い人の熱い言葉を黙って聴く
本当に下心がない
年上のプロスポーツ選手がプロレスにしかいない
あの人も怖くて不安で孤独なのだ
直接手で触れて感じた温かみの記憶だけは
強く見えることと強いことは関係ない
心から尊敬できる年下の人がいること
しょうが焼きよりがんもどき

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大きな声で始まり口笛で終わる [Thoughts]

たとえば仕事の場に大きな声で話をする人がいて、常に声をかけられ、常に電話が鳴り、常に呼び出され、常に思考が中断されることが、切実に苦手。

自分が中断されることだけではなく、他人が中断されてるのを目にすることすら苦手。

だからそういう場所にはなるべくいたくない。避難する。



人と共同で仕事をするものの態度として、わがままで自分勝手である(と言われた)。
そういう場所でこそコラボレーションが生まれるのだ(と言われた)。



どちらがわがままか答えよ。

A)頭に浮かんだことをすぐ大きな声で口に出し、それに対して他人の反応があって当然のように振る舞う態度。

B)すぐにひとりで会議室やミーティングスペースにこもろうとする態度。



(-_-)



たとえばホワイトボードを前にああでもないこうでもないと方針を検討する。意見ははっきり言う方だし、議論も嫌いじゃない。楽しいとさえ思う。

でも、そうしていざ結論が出た何かを自分の中で消化するためには、一度ひとりで形にしてみないとならない(アウトラインとか作ってみたりして)。

形にしてみる。
全然ダメだと思う。
壊す。
また形にしてみる。
あんまりよくない。
壊す。
また形にしてみる。
少し良い。
壊す。
さらに形にしてみる。
だいぶ良い。

そうして少しずつわかってくる。

気がつくと、議論して出した結論とはまったく違う方向性への確信が生まれている。



「人と仕事をすること」が極度に苦手ということに、コンプレックスがないと言えば嘘になる。



最初から最後まで、息を殺してひとりで隠れるようにして仕事をする。ある仕事をそんなふうにしてやった。

でも、その仕事ができあがるまでのプロセスで、どれだけの(意図しない)コラボレーションが起こったか、関わった人はみんな知っている。それは仕事の中に有形無形に反映されている。

そして、その仕事がカバーできなかったり足りなかったりした部分が、別の誰かの仕事によって埋められる。あるいは、同じジャンルで思ってもみないような別の何かを生み出す人がいる。

ちゃんと「人と仕事をしている」のだ、と思う。



「これはポジティブな話ですよね?」
「もちろんです」



( ˘ .˘ )~♪

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違和感の国 [Thoughts]

「まず出来ますと答える。それから対策を考える。それがプロだ」
「出来なかったら?」
「出来るかどうかじゃなくやるかどうかだ」



「ビジネスの現場では、喫煙所などでの非公式な会話で重要な決定が成されたり、決定的な情報が伝えられたりすることが多々あります。そこで彼は喫煙者でないにも関わらず、できるだけ喫煙所に足を運ぶよう心がけています」



「お前は人の三倍努力しないと人並みにできないのだから」
 →本当に三回やり直しているのだということを知っていただろうか。

「あなたは努力さえすれば人よりもできるのだから」
 →そのためには五回やり直すのだということ想像してみただろうか。



彼らの話はあらゆる意味でロジカルだ。
すべてに答えが用意されている。
すべてが説明されている。
どんな疑問に対しても即座に明快な答えが返ってくる。
一片の迷いもない。

彼らの言葉をアウトラインにしてみる。
どこにも破綻がない完璧なアウトライン。
「未整理」に入る項目がない。

つまり、希望がない。

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書店の平穏な日々の最後の客 [Diary]

結婚したばかりの頃、3か月間だけ都内のアパートに住んでいた。

準備も何もなく短期間で劇的に環境が変わり(突然結婚、突然就職、突然大学院休学、突然実家から出る、突然初めての他人との生活、体調崩す)、あんまり甘い新婚さん的な感じではなかった。というかじたばたしていた。

その期間の記憶は断片的にしかない。都心の職場まで通う地下鉄の構内とか、気晴らしにひとりで自転車に乗って出かけた公園の風景とか、通勤途中に赤坂見附で見かけた女優の坂井真紀さんとか。

結局、体勢を立て直すために短期間で引っ越すことになったのだけど(その引っ越した先に今でも住んでいる)。



その時期の楽しみは、仕事帰りに地元の商店街の書店に立ち寄ることだった。

その書店は「町の本屋さん」としてはかなり大きい方で、岩波とかも揃っていて、しかも23時まで開いていた。つまり、かなりがんばっている本屋さんだった。

いろんなことがうまくいかなくても、紙の匂いと微かな黴臭さと古い空調の匂いが混ざったような昔ながらの「書店の空気」の匂いを嗅げば、5%くらいは忘れることができる(そしてそういう匂いのする書店は当時既に貴重だった)。

まして素敵な本を見つけられれば、少しの希望だって。



その日も仕事帰り、閉店間際の書店に入った。

その書店はBGMを流さなかったので「蛍の光」とかは流れてなかったけど(好ましい)、おじさんはもうレジを開けて売り上げを数え始めていた。

雑誌を何冊かめくり(書店の匂いを吸い込み)、ぶらぶらと店内を一周し(書店の匂いを吸い込み)、新書コーナーに仕事で必要な本が積まれているのを見つけて(書店の匂いを吸い込み)、レジに持っていった。「MacPower」も買おうかどうしようか迷って買わなかった。

おじさんは本にカバーをかけ、ゴムをかけ、「はい、どうもね」と言って渡してくれた。

書店を出て、筋向かい酒屋の自動販売機で缶ビールを一本買った(当時はまだ酒類を自販機で買うことができた)。後ろでおじさんがシャッターを閉める音が聞こえた。

アパートに帰って少し二人で話をしてシャワーを浴びてビールを飲んで、やっぱり「MacPower」も買えばよかったなと思いながら寝た。



書店が火事で全焼したことを知ったのは、翌朝の出勤途中だった。

商店街の手前からすでに焦げ臭い匂いが漂い、現場には立ち入り規制の黄色いテープが貼られ、書店は炭化した柱を残して跡形もなくなっていた(そのうえ、両隣の商店にまで延焼していた)。

そういえば夜中にたくさんの消防車がけたたましく通りすぎて目が覚め、どこだろうね、近そうだねと話していたのだった。

並んでいた本や雑誌や文庫本の表紙、小学館の学習雑誌ののぼり、レジ脇に置かれた夜間金庫の入金袋、発注用のスリップなどはみんな燃えてしまったのだなと思い、それからおじさんの「はい、どうもね」という声を思い出し、それからおじさんは無事だったのだろうかと思い、それからあの匂いは無くなってしまったんだなと思った。

それから自分はその書店の平穏な日々の最後の客だったんだなと。



そのすぐ後に、ぼくと妻は横浜に引っ越した。会社からもらった結婚祝い金(というのがあった)は引っ越し費用で使ってしまった。

全焼した書店がどうなったのかいつか確認しようと思いつつ、もうすぐ20年になる。

簡単にいえば、3か月だけ暮らしたその街のことを特に思い出したいと思わなかったし、思い出している余裕もなかった。

でも、その書店で買った本の何冊かは、今でも本棚に入っている。

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