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スキップ [Diary]

父の転勤で家族でサンフランシスコに引っ越したのは、小学校に入学直前の三月だった。帰国して日本の小学校に編入したのは五年生の二学期。

だからサンフランシスコに住んでいたのは小学校時代なのだが、実は数ヶ月間だけアメリカの中学校(ジュニアハイスクール)に通ったことがある。

何のマジックかというと、五年生までが初等教育(エレメンタリースクール)、六年生から八年生までが中等教育(ジュニアハイスクール)だったから。つまり小学校が一年短い。加えて学期の境目が九月ということで、数ヶ月間だけぼくは「中学生」だったのだ。

(ちなみに初等教育の年数は州や学区によって異なり、六年生まであるところもある)



近所を歩いている中学生はものすごくかっこよく見えて、憧れの的だった。

中学生は、授業でボールペンを使うのが素敵だった。中学生になったら(場合によっては小学校の高学年、四年生から五年生くらいになったら)ペンを使うようにと教えられるからだ。鉛筆は子どもが使うものという感覚があった。

中学生は、紙製のフォルダーを小脇に抱えて歩いているのが素敵だった。学校のエンブレムが印刷されたオリジナルのものだ。

フォルダー全体がスクールカラーのネイビーブルー、そしてエンブレムは黄色。ビニールでコーティングしたような厚紙でできていた。紙だからすぐしわしわになるけど意外に丈夫で、よれよれになったのも味がある。

(日本の学校で校章入りのノートを使えなんて言われたら確実に拒絶反応を起こすのに、実に不思議だ)

ボールペンやノートパッドやバインダーやフォルダーが大好きだったので(今と同じだ)、学校でそれが使える中学生がとてもうらやましかった。

小学生は手ぶらで学校に行くのがかっこ悪いと思っていた。ぼくの通っていた公立の小学校では、教科書や問題集の類を家に持って帰るということはなかった。ぜんぶ学校に置きっぱなし。宿題だってなかった。だから、手ぶら。

しかも、ぼくはクラスメートたちよりも中学生から一年遠い場所にいた。入学したとき英語がまったくできなかったために、本来の学年よりも一つ下、つまり幼稚園(キンダーガーデン)に編入されたためだ。だから、学校の友だちはみんな一歳年下だった。



と思っていた四年生の夏のある日、授業中に呼び出されて学校のオフィス(事務室)に行くと、事務のデボラさんに「あなたは今日から五年生よ」と言われた。

意味がわからず呆然としているうちに別の校舎の五年生の教室に連れていかれた。

五年生は授業中だった。デボラさんは太った白人の女の先生と二言三言話をした。先生はうなずき、ぼくに向かって窓際の開いた席に座るようにと言った。

ぼくはその日から五年生になった。何の予告も説明もなかった。

後から聞いたところでは、これは「スキップ(飛び級)」というもので、成績優秀者が上の学年に移る(ことによってより高い教育を早期に受けつつ、学費を節約する)という制度だそうだけど、ぼくの場合は英語が問題なくなったので本来の学年に戻したということですね。

四年生の夏から、五年生の夏にスキップ。ということは数ヶ月後から六年生。つまりジュニアハイスクール。ぼくは突然、中学生になることになった。



もちろん喜々として。

中学校は、土曜日だけ開催される地域の日本語学校が間借りしていたので、校舎に出入りしたことはあった。でももちろん気分はぜんぜん違う。

あのオリジナルフォルダーは校内の売店に売っていたので、さっそく買った。それからボールペンと、黄色いリーガルパッドも。それを小脇に抱えて学校に通った。

カフェテリアがあるのも素敵だった。ちょっとしたフードコート風になっていて、ハンバーガーとかホットドッグとかピザとかコーラとかコーンブレッドとかマカロニアンドチーズとかカップケーキとか、そういうアメリカ的な食べ物を売っている。

あんまり健康面に配慮してあるようには見えない(70年代末の話だから、今は違うのかもしれない)。

ランチは食堂のテーブルで食べてもいいし、校庭のベンチで食べてもいい。

ベンチに座ってハンバーガーを頬張りながらフォルダーを開いて課題に目を通し、ボールペンでメモを書き込んでみたりもする。ちょっといい感じに仲のいい女の子とかと課題について情報交換したりも。



「ねえ、キスってしたことある?」
「へっ?」



そのまた数ヶ月後の十二月、父の駐在期間は終わり、一家で日本に戻った。編入した小学校五年生は、ランドセルと半ズボンの世界だった。

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外側のフラグメント [Talks]



最初に就職した会社がまるで学校のように思えたことは、「大人にさえなれば」と思いながら学校時代をやり過ごしてきた自分にとっては衝撃的だった。

そのときの気持ちは失望でもなく絶望でもなく、やっぱり外側はないのかという諦めと表現するのがいちばん近い。

もちろん、そうではないことを後から知ることになる。

ハタチそこそこで見えている世界というのは、本当に狭いものだ。



自分にとって切実な何かを外側に向けて言葉にしたとして、どこかに自分と同じような切実さでそれを受け止める人がいるかもしれないという感覚が危険なものであるということは、忘れないようにしなければならない。

もちろんそのことを承知で言葉を放つのだし、放った言葉は自分の手を離れて広がるし、誰に広がってもいいし、どのように受け取られてもいい。

そしてその言葉の何かに反応する外側の誰かが存在することはやっぱり奇跡的なのだということも、忘れないようにしなければならない。



((( ˘ .˘ )))♪
Life is made of fragments.
So is love.

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希望(みたいなもの) [Thoughts]

あなたは、わたしの知らないことを知っている。
そのうちのあるものを、わたしは永久に知り得ない。

わたしは、あなたの知らないことを知っている。
そのうちのあるものを、あなたは永久に知り得ない。

わたしもあなたも知らないことを知っている人がいる。
そのうちのあるものを、わたしもあなたも永久に知り得ない。



わたしたちはいつか出会うかもしれない。
知り得ることと出会うことは、あまり関係がないとしても。

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無駄と枯渇 [Thoughts]

フリーライティングから始まるライティングでは、アウトプットした多くの内容を捨てることになる。

フリーライティングは、その結果の大半を捨てる前提での行為だ。これを「無駄」「非効率」と捉えることはとても正しいと思う。

その意味ではきわめて今日的ではない行為だという気がする。

でも、効率性を無視してフリーライティングを続けていると、自分の中にたくさんの未発見の何かが存在することが見えてくる。

フリーライティングはアウトプットのようでいながら、感覚としてはインプットでもある。

その無駄と非効率がなければ、たぶん(わたしの)人生は枯渇する。



ここでフリーライティングと言っているのは、例です。

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再確認、安心感、ゆるやかな共感と連帯 [Thoughts]

実務的なことや技術的な知識は別にして、結婚とか恋愛とかついて他人の意見やアドバイスが直接的に「役に立った」ことは一度としてない、と思う。

せいぜい反面教師も含めた広い意味で「参考になることもなくはない」という程度。

それは、自分(たち)で考えて自分(たち)で選択しなければならないことだ。

たとえ他人の意見やアドバイスと結果的に同じ選択をするとしても、それは自分(たち)で考えて自分(たち)で選択した結果でなければ意味がないし、有効でもない。



それでも、実際に自分(たち)で考えて自分(たち)で選択している人たち、少なくともそうしようという意思を持っている人たちの話を聞くことには、とても価値がある。

たとえその人(たち)のやり方が、自分(たち)のそれとは明白に異なるものだったとしても、価値があるという点は変わらない。

それは、参考になるかどうかとか、その人(たち)の選択が最終的にうまくいくかどうかとか、そういうこととは違うレベルの問題だ。

そこには、物ごとのあり方はみんな違うしそこに正解などないという、当たり前すぎることについての再確認がある。

正解のないことを考え続けている人(たち)がいるという、安心感がある。

そしてゆるやかな共感と連帯。



考えてみれば、結婚や恋愛に限らず生き方に関わる全てについて同じことが言えるんだけど、結婚や恋愛について特別強くこのことを感じるのだよね。

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