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はじめての「WorkFlowyの本」が生まれた [アウトライナー]

『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』が出版された。

日本のWorkFlowyコミュニティのリーダーと言ってもいい存在になった彩郎さんの初の著書、そして日本初のWorkFlowy本。

去年の5月にぼくが『アウトライン・プロセッシング入門』を出したときの目標は、「汎用的な技法としてのアウトライン・プロセッシング」について知ってもらうことだった。とてもありがたいことに、同書は予想をはるかに超える数の人に手に取ってもらうことができた。

で、同書の中で「2015年時点ではじめてプロセス型アウトライナーを使うなら、おすすめなのはWorkFlowy」だと書いた。ただし同書の中では、個別のアプリやサービスの具体的な使い方や説明は、最小限にとどめていた。「汎用的な」というところにこだわりたかったからだ。

そして、残念ながらWorkFlowyについての日本語のまとまった情報は、当時ほとんどなかった。それでも使えてしまうのはWorkFlowyの大きな美点だけれど、でも情報はあった方がいい。

唯一の例外は彩郎さんのブログ「単純作業に心を込めて」だった。本当を言うと、彩郎さんがいてくれたから、ぼくは『アウトライン・プロセッシング入門』の中からWorkFlowyの説明を大胆にカットすることができたのだ。

「単純作業に心を込めて」は、その後もおそろしい勢いでWorkFlowyの情報を充実させ、日本語でWorkFlowyを使うならここを見ろという存在になっていった。そして冒頭でも書いたように、彩郎さんは日本のWorkFlowyコミュニティのリーダー的存在になっていった。

でも、圧倒的な充実度ということは、逆に言えばただただ圧倒されてしまう情報量、ということでもある(そして彩郎さんは決してミニマリストとは言えない……こほん)。

『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』(以下「本書」)は、その圧倒的なボリュームのブログ記事をベースに、WorkFlowyの入門のために必要になる情報を抜き出し、まとめたものだ。

海の中をかき分けていかなければ得られなかった情報が、ひとつにまとまっている。まず、それだけで価値がある。

かつ、彩郎さん自身も書かれている通り、執筆開始時点での既存記事をくっつけただけではなく、半分以上は(同時進行でブログに公開しつつ)新たに執筆されたものだ。



「入門」とはいえ、本書にはWorkFlowyの導入方法から一般的な使い方から「ひとつのアウトライン」に代表される思想、注意点、そして(一般から見れば)相当にマニアックな使い方までが含まれている。

同時に彩郎さんの(自伝的?)知的生産エッセイとでも言うべき側面もあり、それらすべて含めれば、やっぱり充分に圧倒される(こほん)ボリュームではある。

(最初に開いたとき「読了まで5時間以上」って出て思わずにやりとしてしまったぜ)

でも心配することはない。丁寧に作られた目次と構成(電子書籍であることもあり)で、実用的な情報だけが欲しい人も、迷うことなく当面必要な情報を得られるはずだ。そしてWorkFlowyに触れて、より深く使い込みたくなったとき再読すれば、そのとき必要な情報もちゃんとある。

その構成にも示されているとおり、前書きから後書きから読書案内まで、徹底的に丁寧で誠実な著者の人柄が伝わってくる。



個人的には、アウトライン・プロセッシングに興味がある人に、「もしWorkFlowyについて知りたいのならこれを読めばいい」と言える本が生まれたことを心から歓迎したい。

そして、(偉大な先達の本と並べて何度も言及してくれたので思わず恐縮してしまったけど)本書の誕生に『アウトライン・プロセッシング入門』がほんの少しでも寄与しているとしたら、たくさんの人から受け継がれてきた知的生産のフローを、自分も受け渡すことができているのだとしたら、こんなにうれしいことはない。

人生の初心者 [Thoughts]

当たり前のことだけど、人生の中で人はいつまでたっても初心者だ。

どれほど大人になっても、あるいは経験を積んでも、たとえば47歳の自分を体験することは初めてだからだ。

文字どおりの意味で、なんの誇張もなく、人生を前にすれば人は常にそして永遠に初心者だ。

読んだことのない本は無数にある。
読んだことがある本を読んだ自分は今の自分と別の自分だ。
勉強するほど知らないことが増えてくる。
積んだ場数は狭い世界だ。
はじめて書く文章は書いたことがない。
はじめて会う人とは会ったことがない。
知っているあの人は自分の目を通したあの人にすぎない。
(わたし)は(あなた)を知らない。

初心者であり続けられるというのは、素晴らしいことのはずだ。少なくとも「自分は既に多くを知っている」と思っている人より幸福なはずだ、と思う。

それでも、初心者であることの怖さは年々増してくる。

なぜだろう。
やり直す時間が減ってくるからだろうか。

かいま見た何かの素敵サイド [Diary]

中学生になったばかり80年代初め、近所の本屋さんでは子どもの手の届く棚に普通にエロ本が売られていて、店主と他のお客さんの目を盗みながら(実際はバレバレだったと思うけど)、ビニールの切れ目や袋とじの間から何かをかいま見るというのが、男の子の通過儀礼のようなところがあった。

通学路沿いの電柱には、駅裏の映画館で上映されるポルノ映画のポスターが貼られていて、その毒々しい写真とフォント(なぜか筆文字っぽい)から横目で凝視しつつかいま見る何かもまたそうだった。

じゃあその何かが素敵だったかというとそんなことはなく、多くの場合歪んでいて偏っていて、おじさんたちのヤニ臭い不健康な欲望の匂いしかしなかった。



その年齢のときは、いろんなところからそれをかいま見る。そういうものが子どもの目に簡単に触れるのが良いことだとは思わないし、世界に自慢できたことでもないけれど、それでもいろんなところからかいま見る。

そのひとつひとつではなく、そこに含まれる不健全なものや健全なものや素敵なものやロクでもないものの総合的なあり方を少しずつ。



本屋さんや通学路でいろいろかいま見ていたのとちょうど同じ頃。

友人のKにはきれいなお姉さんがいた。誰もが密かにお姉さんに会えることを期待してKの家に遊びに行っていた。ぼくもそうだった。

お姉さんは当時大学二年生だった。

今思うと、共働きでいつもいなかった両親にかわって、Kの親代わりを果たしていたのだと思う。でもとっつきにくいところはどこにもなく、遊びに行けばまるで友だちのように話したり、お茶やお菓子を出してくれたり、ときにはゲームに付き合ってくれたりした。

ある日曜日、いつものように友人たちとKの家に行くと、お姉さんの彼氏という人が来ていた。彼氏さんもとても気さくでやさしい人で、みんなでコタツに入ってやっぱりいっしょにお菓子を食べたりテレビを見たりゲームをしたりして過ごした。

お姉さんと彼氏さんはこたつに並んで座っていた。二人とも楽しそうにしていたけれど、ふとしたときに彼氏さんと視線を交わすのお姉さんの表情に、見たことのない何かが含まれていることにぼくは気づいていた。

夕方になって、Kとぼくらはゲームセンター(だったか模型屋さんだったか)に行くためにKの家を出た。お姉さんと彼氏さんは、わざわざ玄関まで出てきて見送ってくれた。

自転車をちょっと走らせてふと振り返ると、ちょうどお姉さんと彼氏さんが玄関に入っていくところだった。

二人はちょっと目を合わせ、それから軽く手を取り合って玄関の中に消えた。



たとえばそれが、かいま見た総合的な何かの素敵サイドの一例だ。

意思を持った変化 [Diary]

ひさしぶりに、ふたりで散歩する。

住宅街を越えて猫を探し
途中の神社で初詣して
おみくじ引いて
山を越えて
向かい合ってごはんを食べて
お茶を飲む。

1年前に前職を離れたときには、もう少し頻繁にこういうことができるようになるような気がしていたけど、もちろんそれは甘い考えで。

期待なんてたいてい甘い考えだ。でもとにかく穏やかに晴れた冬の日に散歩した。それはやっぱり貴重なことだ。

(つまり普通の一日)



去年はいくつかの良いことといくつかの悪いことがあり、そしてそれらのうちのいくつかが今年も継続中だ。

自分なりに変化を起こせたと感じたこともあるし、自分のあまりの変わらなさにうんざりしたこともあるし、変化を先送りしたまま長い年月が経つことの悲しさを実感したこともある。

(つまり普通の年)



去年いちばん強く自覚したのは、生きていればものごとは変化していくということだ。そして変化には意思を持った変化と意思を持たない変化がある、ということだ。

当たり前だけど、人生に起こる変化の多くは選ぶことができない。選ぶことができない変化の中には、残酷だったり無慈悲だったりするものがある。

(変化の多くを選べると思っていることを若いという)

でも、変化の中には確かに自分の意思で選べるものがある。完全には選べなくても、その一部を選べるものがある。選べなくても、少なくともそこに意思を持てるものがある

できることなら、自分に起こる変化は意思を持った変化でありたい。それが可能であるかぎり。



これは「自ら変化を起こす」なんていうこととは少し違う次元のものごとだ。

ある種の誤算 [Diary]

計画は実現しなかった。
考えたことはその通りにならなかった。
予測は違っていた。
目標は見当違いだった。
宣言すれば翌日に気が変わった。
意気込んで始めた習慣は続かなかった。
学んだ手法は身につかなかった。
変化はいつの間にか起きていた。
知らずに達成していた。
ポジティブなこともネガティブなことも予想外だった。
あらゆることは無駄ではなかった。
それは愛と生活だった。

アウトライン操作の〈型〉 (7)〈型〉を意識すること [アウトライナー]

前の記事:
アウトライン操作の〈型〉 (6)ソーティング(並べ替え)

ここまでアウトライン操作の五つの〈型〉を見てきました。

実践的なアウトライン・プロセッシングの思考は、トップダウン思考とボトムアップ思考を行き来する〈シェイク〉によって行われますが、トップダウンにしてもボトムアップにしても、アウトラインの操作を伴います。

参考:
トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(1)
トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(2)

その「操作」とは具体的に何をすることか。それを類型化したのが、リスティング、ブレイクダウン、グルーピング、レベルアップ、ソーティングというアウトライン操作の五つの〈型〉です。



注意しなければならないのは、これらの〈型〉単独で何かできるわけではないということです。たとえばブレイクダウンされた項目は、一連の作業の中でソーティングされ、グルーピングされ、レベルアップされることが前提です。

アウトラインを動かしながら、今自分がしていることはグルーピングなのかレベルアップなのかと意識することもないでしょう (「さあこれからレベルアップするぜ」とか「今日は最高のブレイクダウンができたぜ」とか)。タッチタイプを身につけた人が、キーを叩くタイミングをいちいち意識しないのと同じことです。

アウトラインの操作とは、リスティング、ブレイクダウン、グルーピング、レベルアップ、ソーティングという五つの〈型〉を自由自在に変形し、組み合わせることなのです。

それを意識せずにできるほど、アウトライン上で自由に〈文章を書き、考える〉ことができます。



それでも〈型〉を知り、意識しておくことには意味があります。アウトライン・プロセッシングの最中に行き詰まったとき、あらためて〈型〉を意識してみることで、ブレイクスルーできることがあるからです。

〈型〉を意識しておくことで、アウトライン・プロセッシングの自由度と可能性が広がるはずです。

(終わり)

アウトライン操作の〈型〉 (6)ソーティング(並べ替え) [アウトライナー]

前の記事:
アウトライン操作の〈型〉 (5)レベルアップ(上位階層への移動)

ソーティングとは、項目を並べ替えることです。

ソートというと数値を基準にデータを並べ替えることを思い浮かべると思いますが、アウトライナーでのソーティングは、数値とは関係なく自分の意志で恣意的に並べ替えることです。たとえば料理のリストを好きな順に並べ替えるようなことです。

ソーティングとは、たとえば以下のような場面です。

ロジックの組み立て

人を説得するために、あるいは論理的に成立するように並べ替えることです。

ストーリーの組み立て

面白く、魅力的に流れるように内容を並び替えることです。これはロジックとは必ずしも一致しません。だから、ロジックを組み立てた後、ストーリーに変換することだってあります。

プライオリティ

なんらかの価値に基づいて並べ替えることです。重要度や優先度などです。多くの場合、その価値の基準は恣意的で、数値化できません。

先ほどの「料理を好きな順に並び替える」などもそのひとつです。むしろ現実世界では数値でソートできないものの方が多いのではないでしょうか。

時系列・順序

時間の流れやステップに従って並べ替えることです。タスクを実行順に並び替えることなどがこれにあたります。

ロジックに対するストーリーの関係と同様、プライオリティとは必ずしも一致しません。タスク管理で「プライオリティ」を設定してもうまく機能しないことが多いのはこのためです。



恣意的な行の並べ替えは通常のワープロでもエディタでも(そしてExcelでも)できますが、その入れ替えが、キーボードショートカットやマウスで実に簡単に手軽にできるのがアウトライナーです。

この手軽さが〈考える〉場面では大きな意味を持ちます。手軽にできるということは、何度でもやり直し、試行錯誤ができるということだからです。

そしてアウトライナーが強力なのは、末端の項目レベルではもちろん、「アウトラインを折りたたむ」ことによって、巨大なアウトラインを好きな抽象レベルでソーティングできることです。

他の四つのアウトライン操作の〈型〉とソーティングが組み合わさったとき、アウトラインの操作は文字どおり思考を編集していることになります。アウトラインの操作を通じて考えたことが、意味を持つ順番に位置づけられる=有機的に連結されるからです。

五つの〈型〉のうちソーティングが最後に来るのはそのためです。

(続く)

アウトライン操作の〈型〉 (5)レベルアップ(上位階層への移動) [アウトライナー]

前の記事:
アウトライン操作の〈型〉 (4)グルーピング(分類)

レベルアップは、上位の階層を作ることです。

これはグルーピングと似ているようで異なります。グルーピングが単純な「分類」なのに対して、レベルアップはその項目を含む新たな階層を見つけることです。つまり「階層を上がる」ことです。

レベルアップは、アウトライン・プロセッシングによって〈文章を書き、考える〉際に、非常に重要な働きをします。

レベルアップが行われるのは、たとえば以下のような場面です。

統合

複数の項目を統合して一つの項目にすること。要するにブレイクダウンのところで出てきた「要素分解」の逆です。

場合によっては単に下位項目を連結するだけで済んでしまうこともあるし、その後に大幅に修正することもあります。

私はセンテンスの要素を項目として書きだしていって、後から統合(結合)して文章にすることをよくやります。ここではセンテンスの要素が下位階層、できあがったセンテンスが上位階層です。

概要・要約

下位項目について、「これらを一言でいうとどういうことか」を考えることです。

総括

下位項目について、「これらは何を意味するのか」を考えることです。

概要・要約と似ていますが、こちらは結果として下位項目には(見た目上)含まれていない内容が出てくる可能性があるところが違います。

上位概念の検討

ある項目(複数でもいい)について、「これらの項目を含む上位の項目があるとしたら何か?」を考えることです。

おそらくアウトライン操作の中でいちばん難しく、またいちばん劇的なものかもしれません。



アウトライナーによるボトムアップ思考で〈考える〉とき、不可欠なのはこのレベルアップです。レベルアップによって、それまでのアウトラインに無かった要素が生まれてくるからです。

言葉で説明すると難しいのですが、たとえばこの一ヶ月間でやらなければいけないタスクを書きだして、該当するプロジェクトで整理したとします。これはグルーピングです。

一方「これらのタスクを実行することは何を意味するのか」と考えて、実はこれらのタスクによって、今月の時間の過ごし方が規定されるのだと気づき、「今月の生き方」という上位階層を作ったとします。

すると、そのことによって「ここに書きだしたタスクは果たして妥当なのか。自分はこれで満足なのか」という新たな視点が生まれます。これがレベルアップです。

(続く)

アウトライン操作の〈型〉 (4)グルーピング(分類) [アウトライナー]

前の記事:
アウトライン操作の〈型〉 (3)ブレイクダウン(細分化)

グルーピングは、文字通り項目をグループに分類して整理することです。

グループのタイトルとなる項目をつくり、その下に該当する項目を振り分けていきます。あるいは既存の項目の下に振り分けていきます。

グルーピングを行うのは、たとえば以下のような場面です。

カテゴライズ

カテゴリーやジャンルで分類することです。

たとえば好きなレストランをフランス料理、中国料理、日本料理などに分類したりするようなことです。

共通性・類似性・親和性

カテゴライズに似ていますが、その場面での必要に応じて恣意的に分類することです。

言葉で根拠を示せなくても「これとこれは関係がありそうだ」とか、この項目はあそこに含まれそうだという恣意的な分類をする場面は数多くあります。

条件分類

ある条件に当てはまる/当てはまらない、満たす/満たさないなどで分類することです。



アウトライナーによるボトムアップ思考というとき、ほとんどの人がこのグルーピングを想像するようです。

確かに、アウトライナーでメモや発想を整理分類していくことで、簡易KJ法的に使うことができます。そこで行われているのはグルーピングです。これは強力な方法です。

でも、グルーピングだけで〈考える〉ことをしようとすると、多くの場合行き詰まります。分類や整理をしただけでは、把握の助けにはなっても、新しいものは生まれていないからです。

これはアウトライナーをボトムアップ的に使うときに、意外と陥りがちな盲点です。

(続く)