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【書評】『「目標」の研究』(倉下忠憲) [Thoughts]



来年の「目標」を立てようとしている人(きっとたくさんいるだろう)に朗報。

ありそうでなかった「目標」についての「研究」だ。ぜひ読んでみてほしい。本書を読めば、上手な目標の立て方や、目標を効率的に実現するためのステップが学べるだろう。

……とか書きたいところだけど、本書はたぶんそういう本ではない。



本書はこんな構成になっている。
・はじまりの物語
・Chap.1 三つのお話
・Chap.2 目標とは何か
・Chap.3 目標の弊害
・Chap.4 機能する目標に向けて
・Chap.5 人生にとっての夢や目標
・おわりの物語

Chap. 1で、私たちが当たり前のように口にする「目標を立てる」ということが実は簡単ではないこと、私たちが実は「目標」というものを理解していない、ということを示しつつ、
本書が目指すのは、読み終えた人が目標とうまく付き合えるようになることだ。目標についての雑学を増やすためではなく、自らの人生で実践できるようになることが目標である。

という「目標」が示されている。

Chap. 2からは、「目標」についての徹底的な考察が展開される。

まずは「目標」という言葉の定義。「目標」と「目的」の違いを示しつつ、目標とは何なのか(そして何でないのか)を考える。当然知っていると思っていた「目標」という言葉の意味を、実はよくわかっていなかったことに気づかされる。

Chap. 3では、安易な「目標」がもたらす弊害について指摘する。これは、おそらく誰にでも(特に自己啓発本や成功本をよく読む人なら)覚えがある(耳が痛い)ことばかりだ。

その上で、ではどんな目標なら機能するのかが、Chap. 4で考察される。「目標を立てるステップ」として以下が挙げられている。
目標を立てる。
目標を振り返る。
全体を俯瞰する。
もう一度目標を立てる。

ビジネス書に馴染んでいる人なら「ああ、PDCAを回すんですね」というかもしれない。このようにすれば、来年の目標はうまく立てられそうだし、目標の実現に向けて効果的にステップを踏んでいくことができそうだ。

ここまでの考察には文句なく納得感がある。「目標」についてよく理解できた。

でも、その知識を使って目標を立てて(ついでに「夢」も書き出して)どんどん実現させましょう、と本書は言わない。本書はそのようには終わらない。

冒頭に引用した本書の「目標」を思い出してみよう。

「目標について雑学を増やすためではなく、自らの人生で実践できるようになることが目標である。」

このセンテンスでいちばん重要なキーワードは、おそらく「目標」ではなく「実践」でもない。文中にもうひとつ残ったキーワード、つまり「目標」や「実践」の上位階層にあるものだ。「目標」や「夢」と付き合うためにいちばん重要なものだ。

そして、「目標」や「夢」を上位階層につなぐというのはどういうことか。本書の中に、そのヒントを見つけることができるだろう。

だから、本書は決して上手な目標の立て方や、効果的に目標を実現するステップを学ぶことが「目的」の本ではないけれど、これから来年の「目標」を立てようとしている人は、やっぱり一読してみるといいと思う。

(その上、上手な目標の立て方や、目標を実現するためのステップについてだって、実はちゃんと学べるのだ)



本書に関しては、できれば頭から順を追って、最後まで読んでみてほしい。各チャプターの末尾に挿入されている「断片的挿話」が面白いだけでなく、大きな意味を持っている。それ以外にも、あちこちに細かい構成上の工夫がこらされていて、構成の面白さも含めて楽しめる。

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ぜんぶ頭に入れるから [Thoughts]

書こうとする文章が一定以上に長くなると、全体像を頭の中で組み立てることはできなくなる。

以前、倉下忠憲さんにインタビューさせてもらったときには、2000字くらいなら頭の中で組み立てられるけれど、4000字を超えると厳しくなってきて万単位になったら難しい、とおっしゃっていた。

ぼく自身は、400字を超えると心許なく、1000文字を超えるとまず無理。これはかなり短い方だと思うけど。

長さ自体よりも、要素間の関係が急速に複雑さを増すことが問題だ。

文字数が増えれば要素が増え、要素が増えれば要素間の関係が複雑になり、その一貫性・統一性を頭の中に保持しておくことは不可能になる。

どの地点に「頭の中で考えられる」限界があるかは人によるけれど、どこかに限界があることだけは間違いない。モーツァルトみたいな人は別として。

対策としては、「とりあえず書く」しかない。とりあえず書くことを格好良く表現した言葉が「下書き」や「ドラフト」だ。

とりあえず書いてみて、はじめて何をどう書けばいいのがわかる。より正確にいうと、何をどう書けばいいのか考える素材を手に入れることができる。

カードや付箋やアウトライナーは、素材を操作しやすくするツール、とも言える。



文章と同じで、やるべきことがあまりに複雑になると、頭の中は処理できなくなる。要素が増えれば要素間の関係が複雑になり、その一貫性・統一性を頭の中に保持しておくことは不可能になる。



ずっと昔勤めていた会社の上司は「書かない」人だった。

ぜんぶ頭に入れるからいい、という。

唯一の例外は能率手帳に書きとめるアポイントで、それすらも「頭に入ってるから書かなくてもいいんだけどね」と言う。

自分のやるべきことぐらい、ぜんぶ頭に入れられるようじゃなきゃダメだ、というのが口癖だった。

仕事をする上で、頭に入れておくべきことというのは、もちろんあると思う。でもね。

最初はとても驚いたのだが、後に上司と同世代で、同じようなことを言う人に何人か会って、もっと驚いた。

一般化はできないけれど、もしかすると「ぜんぶ頭に入れる」ことに価値を見出す(もっとはっきり言えば能力の指標とする)考え方が、かつてあったのかもしれない。

もちろん、上司はぼくより頭がいい。でも、今の時代の仕事の、量と速度と要素間の関係の複雑さからすれば、当然限界はある。

限界点が多少高いか低いかの違いだ。



作業Aをやるためには作業Bができていることが必要で、作業BをやるためにはC社の承認が必要で、でもC社は作業Aの完成を待って判断するつもりで、あらら無限ループだ。そしてC社からは、なぜAがまだできていないんだとクレームが入っている。

相互に依存しあう物ごとが同時に動いていて、しかも時系列的な依存関係と立場上の依存関係が一致していない。状況は見た目よりもずっとずっと複雑だ。

だから、大判のポストイットに要素を書き出して、並べ替えて、どうすればいいか考える(残念ながら、その会社でアウトライナーを使うことは不可能だった)。

まず手順を。
そしてC社への説明を。
失敗したときのリカバー策を。

作業の計画ができる。
なんとか間に合うだろうぎりぎりのスケジュール。
上司に報告する。

スケジュールひとつ決めるのにいつまでかかってるんだと言いながら、上司はスケジュールに目を通す。そして「ここは3日じゃなくて2日でいこう」と言う。

それをすると、万一作業Bで問題が生じたときにリカバーできなくなって、より致命的な事態になる可能性がある、とぼくは言う。

「あ、そうかもな」と上司は言う。



上司は「ぜんぶ頭に入って」いたのだろうか。

わからない。

わからないけど、ひとつ言えるのは、これは90年代半ばの話であり、その量も速度も複雑さも「今」から見れば古き良き時代のそれだったということだ。

そして、どんなに頭が良くても、量と速度と要素間の関係の複雑さに対しては、当然限界はあるということだ。



「複雑なものを複雑なまま理解するのではなく、複雑なことをクリアに」(通りすがりの男)
「クリアとは単純という意味ではない」(通りすがりの男の弟)

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測ろうとすれば価値は伸び縮みする [Thoughts]

さんざん元の文章をひねくって、
だんだん元とは違うものになってきて、
でも気に入らなくて、
さらにさんざんひねくって、
気がつくと元の文章にとても近いものに戻っている。

ひと月かかって付け加えたところは、
ほとんど無駄だったということになる。

でも、ひとつだけ、
元の文章にはなかったフレーズが残っている。
さんざんひねくったひと月の時間と労力がなければ
存在しなかったフレーズ。



「うん、時間と労力というのはそういうふうに使うものだよ」(通りすがりの男A)



「そのフレーズは、費やされた時間と労力に見合った価値のあるものなんだな?」(通りすがりの男B)



測ろうとすれば価値は伸び縮みする。

でもたぶん、そのフレーズを残して先に進むことにした、そのこと自体に答えはある。

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自らに対する脳内でのささやかな称賛 [Thoughts]

何か問題や課題を抱えているとき、いつも頭の中で「そうじゃないやり方があるはずだ」とつぶやいているような気がする。

あまりにも当たり前でほとんど意識することもないけど、たぶん子どもの頃から。

「人と同じことはしたくない」とか「常識を疑ってみる」などと言えばすごくかっこいいけど、そういうのとはちょっと違う。

もっとずっと余裕がなくて、切実なニュアンスを持ったフレーズだ。

それは、昔から「普通(とされる)のやり方」や「指示されるやり方」にどうしても適応できなかったり、違和感があったりしたことと対応している。

つまり、元々はネガティブな感覚だった。

でも、最近気づいたのは、「そうじゃないやり方がきっとあるはずで、それを見つけなければならない」という感覚自体が、自分にとって何かを考えたり、前に進めようとしたりするモチベーションになってきたということだ。

「そうじゃないやり方があるはずだ」という言葉に伴う感覚は、人生のある時点で少しだけポジティブなものに変化した。心の中で起こったほんの小さなニュアンスの変化だけど、結果は小さくはない。

それがなかったら、生きることは今よりずいぶん(より一層)難しくなっていた気がする。

変化のきっかけが何かは知っているけど、誰にも言わない。ただそこに自分の「意志」が関わっていることについて、自らに対する脳内でのささやかな称賛を惜しまない。

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ビューポイントの残留物 [Thoughts]

自分の中に「ひょっとしたら自分は冷たいのではないか」「自分は傲慢なのではないか」という感情があったとして、それが内省的なようでありながら、単に他人からそう見えることを気にしているという面があることは否めないだろう。

人からどう見えるかを判断の基準にすると、後で絶対に後悔する。たとえ多少不愉快な思いをしたり残念な思いをすることがあるとしても。

でも、自分が今どちらに立ってものを見ているのか。どうしたらそれがわかるのか。



「メモはポイントだけ書け」と教わった。

でも、たとえばインタビュー中にメモをとるとして、そのとき「ポイントだけ」まとめないことの重要性をずっと感じてきた。たとえばその人の言葉の使い方や語尾。

「この製品は良いと思います」
「いやあ、これはいい」
「いや、ちょー最高ですよ!」
「いいと思います」

データ的にはいずれも「評価5」なのだが、何かが大きく違う。そのニュアンスはレポートからはもちろん削られている。

その大きな違いを表現する必要はないし、表現するべきではない。でもその空気や気配は自分の中に不思議なほど残る。



たとえばたまたま座れた職場に向かう電車の中。
待ち合わせの場所に早く着いた20分。
会議で全員が揃うまでの5分。

ある時期から、そういう名前のない時間に「隙間時間」と名前をつけて活用することが奨励されるようになった(その言葉を最初に使ったのが誰か知らない)。

でも、名前をつけて「活用」しようとした瞬間に、名前のない時間だった何かは、別のものへと変質する。

そしてあるとき、名前がない時間の大切さを痛感する。

電車の中で、特に意味のあることをせず、人を眺めたり景色を眺めたりしているとよくわかる。そういう時間に目にしたものや耳にしたものや感じた物ごとが、意外なほど自分の中に残っている。



元気に前向きにやっていくしかない。
この言葉の力と意味がわかるようになってきた。
いつかどこかで誰かが口にした、月並みな言葉。

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(痛み)とその提出 [Thoughts]

不思議なことに、人は自分の知っている何かを他人に知ってもらいたいと思うし、知ることを要求しさえする。その何かに痛みが伴う場合は特にそうだ。
→「わたしの(痛み)が、あなたにならわかるはず」

一方でこれも不思議なことに、人は自分の知っている何かを他人は知らないし、また知り得ないと思いがちだ。その何かに痛みが伴う場合は特にそうだ。
→「わたしの(痛み)が、あなたにわかるはずがない」

両者はたぶん、同じ意味なのだろう。



ある種の(痛み)については、他人に理解を求めようとしない方がいい。それが自分にとってどれほど切実な問題だとしても、あるいは切実な問題だからこそ、他人はそれを同じように切実な問題とは受け取らないだろう。

同時に、ある種の(痛み)については、他人よりもよく知っていると思わない方がいい。それは個人の内部で完結するものだ。それは他人とは関係なく、自分が「ただ知っている」ことなのだ。



それでも、ある種の(痛み)を形にすることにはやっぱり意味があると思う。矛盾するようだけど。

(痛み)を、他人が手を触れられる、感じられる、形あるもの——広い意味で——に変換して提出することは、芸術的行為のひとつの形でさえあるはずだし、何よりも人との関わりの中でそれをすることは、生活(=生きる活動)の重要な要素のひとつでもある。

それはたぶん、表現の問題だ。



(痛み)は、たぶん別の何かとも置き換え可能だ。

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優先順位の基準の一部 [Thoughts]

気持ちいい道と近い道で迷ったら気持ちいい道。

意外としたたかな方を選ぶ。

意外と欲望ドリブンな方を選ぶ。

許可を待つか待たないか迷ったら待たない。
(ただし、それを自分に強要しない)

人を待つか待たないか迷ったら待つ。
(ただし、それを自分に強要しない)

強か弱か迷ったら強。
(ただし、それを自分に強要しない)

人のいない方へ。

好きな人の方へ。

願いはかなう前提。
(ただし、かなわなくても終わらない)

何が楽しいかは自分が決める。

優先順位の基準は自分が決める。

※Clear2016

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意味と接続 [Thoughts]

(._. )

ときどき、自分にとって重要な、でもその理由をうまく説明できないものたちを書き出してみる。

そして「これは何か?」と考える。共通点でもいいし、その奥にある意味でもいい。それはもしかすると、極めて重要な何かに関連しているかもしれない。そんな予感。

( ._.)

偶然であるはずのいろんな出来事に、隠された意味があるかのように感じることがある。それはポジティブである場合もあればネガティブである場合もある。

(._. )

ある人に2時間もインタビューさせてもらってまとめた原稿がある。

よくまとまっていると自分で思うけど、だからこそこれは果たしてリアルなのかという不安がぬぐえない。

筋が通った議論は、気持ちのいい展開は果たして本当なのか。一連の流れは本当に関連があるのか。編集の毒に侵されていないか。

いつからそんなに恐がりになったのだろう。

( ._.)

アウトラインの中からあるキーワードで釣りあげた、お互いまったく関連がない断片を集めて、なんとなくつながる(気がする)ように並べ替え、接続してみる。

そこに確かに浮かび上がってくる(気がする)、自分のある要素について考える。そこには確かに簡単には言葉にできない重要な何かがある(気がする)。

指先にほんの少し触れる上位階層。

( ._. )

そしてこの記事もまた。

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ただ「決める」しかないことの根拠(ループ) [Thoughts]

誰も教えてくれず、考えてもわからず、話し合っても結論は出ないというものごとがある(たくさんある)。それはただ「決める」しかないことなのだ。

でも、ただ「決める」ことの背景には、
関わった人とか
読んだ本とか
感じたこととか
愛とか
分からなくても考えてきたこととか
間違ってきたこととか
切り捨てたこととか
じたばたしながらなんとか生きてきたこととか
そういうものの蓄積がある。
ああ、それから自分の「意思」が。

根拠はちゃんとある。
言葉で説明できないだけだ。

その種のことを誰かに「決めてもらう」ことを繰り返していると、きっと後悔する。後悔しないとしても、そうと知らずに少しずつ不幸になる。
そのことを忘れないようにしよう。

それでもなお、「決めた」ことが正しいかどうかはわからない。誰も教えてくれない。考えてもわからない。話し合っても結論は出ない。

(最初に戻る)

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春のリスト [Thoughts]

理由を問わず
説明しようとせず
証明しようとせず
心配せず
答えを探さず
勝とうとせず
損得を考えず
懐かしまず
好かれようとせず
謝ろうとせず
わかってもらおうとせず
ひとりで
しずかに
注意ぶかく
確実に

→ 結果的に →

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