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測ろうとすれば価値は伸び縮みする [Thoughts]

さんざん元の文章をひねくって、
だんだん元とは違うものになってきて、
でも気に入らなくて、
さらにさんざんひねくって、
気がつくと元の文章にとても近いものに戻っている。

ひと月かかって付け加えたところは、
ほとんど無駄だったということになる。

でも、ひとつだけ、
元の文章にはなかったフレーズが残っている。
さんざんひねくったひと月の時間と労力がなければ
存在しなかったフレーズ。



「うん、時間と労力というのはそういうふうに使うものだよ」(通りすがりの男A)



「そのフレーズは、費やされた時間と労力に見合った価値のあるものなんだな?」(通りすがりの男B)



測ろうとすれば価値は伸び縮みする。

でもたぶん、そのフレーズを残して先に進むことにした、そのこと自体に答えはある。

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自らに対する脳内でのささやかな称賛 [Thoughts]

何か問題や課題を抱えているとき、いつも頭の中で「そうじゃないやり方があるはずだ」とつぶやいているような気がする。

あまりにも当たり前でほとんど意識することもないけど、たぶん子どもの頃から。

「人と同じことはしたくない」とか「常識を疑ってみる」などと言えばすごくかっこいいけど、そういうのとはちょっと違う。

もっとずっと余裕がなくて、切実なニュアンスを持ったフレーズだ。

それは、昔から「普通(とされる)のやり方」や「指示されるやり方」にどうしても適応できなかったり、違和感があったりしたことと対応している。

つまり、元々はネガティブな感覚だった。

でも、最近気づいたのは、「そうじゃないやり方がきっとあるはずで、それを見つけなければならない」という感覚自体が、自分にとって何かを考えたり、前に進めようとしたりするモチベーションになってきたということだ。

「そうじゃないやり方があるはずだ」という言葉に伴う感覚は、人生のある時点で少しだけポジティブなものに変化した。心の中で起こったほんの小さなニュアンスの変化だけど、結果は小さくはない。

それがなかったら、生きることは今よりずいぶん(より一層)難しくなっていた気がする。

変化のきっかけが何かは知っているけど、誰にも言わない。ただそこに自分の「意志」が関わっていることについて、自らに対する脳内でのささやかな称賛を惜しまない。

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ビューポイントの残留物 [Thoughts]

自分の中に「ひょっとしたら自分は冷たいのではないか」「自分は傲慢なのではないか」という感情があったとして、それが内省的なようでありながら、単に他人からそう見えることを気にしているという面があることは否めないだろう。

人からどう見えるかを判断の基準にすると、後で絶対に後悔する。たとえ多少不愉快な思いをしたり残念な思いをすることがあるとしても。

でも、自分が今どちらに立ってものを見ているのか。どうしたらそれがわかるのか。



「メモはポイントだけ書け」と教わった。

でも、たとえばインタビュー中にメモをとるとして、そのとき「ポイントだけ」まとめないことの重要性をずっと感じてきた。たとえばその人の言葉の使い方や語尾。

「この製品は良いと思います」
「いやあ、これはいい」
「いや、ちょー最高ですよ!」
「いいと思います」

データ的にはいずれも「評価5」なのだが、何かが大きく違う。そのニュアンスはレポートからはもちろん削られている。

その大きな違いを表現する必要はないし、表現するべきではない。でもその空気や気配は自分の中に不思議なほど残る。



たとえばたまたま座れた職場に向かう電車の中。
待ち合わせの場所に早く着いた20分。
会議で全員が揃うまでの5分。

ある時期から、そういう名前のない時間に「隙間時間」と名前をつけて活用することが奨励されるようになった(その言葉を最初に使ったのが誰か知らない)。

でも、名前をつけて「活用」しようとした瞬間に、名前のない時間だった何かは、別のものへと変質する。

そしてあるとき、名前がない時間の大切さを痛感する。

電車の中で、特に意味のあることをせず、人を眺めたり景色を眺めたりしているとよくわかる。そういう時間に目にしたものや耳にしたものや感じた物ごとが、意外なほど自分の中に残っている。



元気に前向きにやっていくしかない。
この言葉の力と意味がわかるようになってきた。
いつかどこかで誰かが口にした、月並みな言葉。

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(痛み)とその提出 [Thoughts]

不思議なことに、人は自分の知っている何かを他人に知ってもらいたいと思うし、知ることを要求しさえする。その何かに痛みが伴う場合は特にそうだ。
→「わたしの(痛み)が、あなたにならわかるはず」

一方でこれも不思議なことに、人は自分の知っている何かを他人は知らないし、また知り得ないと思いがちだ。その何かに痛みが伴う場合は特にそうだ。
→「わたしの(痛み)が、あなたにわかるはずがない」

両者はたぶん、同じ意味なのだろう。



ある種の(痛み)については、他人に理解を求めようとしない方がいい。それが自分にとってどれほど切実な問題だとしても、あるいは切実な問題だからこそ、他人はそれを同じように切実な問題とは受け取らないだろう。

同時に、ある種の(痛み)については、他人よりもよく知っていると思わない方がいい。それは個人の内部で完結するものだ。それは他人とは関係なく、自分が「ただ知っている」ことなのだ。



それでも、ある種の(痛み)を形にすることにはやっぱり意味があると思う。矛盾するようだけど。

(痛み)を、他人が手を触れられる、感じられる、形あるもの——広い意味で——に変換して提出することは、芸術的行為のひとつの形でさえあるはずだし、何よりも人との関わりの中でそれをすることは、生活(=生きる活動)の重要な要素のひとつでもある。

それはたぶん、表現の問題だ。



(痛み)は、たぶん別の何かとも置き換え可能だ。

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優先順位の基準の一部 [Thoughts]

気持ちいい道と近い道で迷ったら気持ちいい道。

意外としたたかな方を選ぶ。

意外と欲望ドリブンな方を選ぶ。

許可を待つか待たないか迷ったら待たない。
(ただし、それを自分に強要しない)

人を待つか待たないか迷ったら待つ。
(ただし、それを自分に強要しない)

強か弱か迷ったら強。
(ただし、それを自分に強要しない)

人のいない方へ。

好きな人の方へ。

願いはかなう前提。
(ただし、かなわなくても終わらない)

何が楽しいかは自分が決める。

優先順位の基準は自分が決める。

※Clear2016

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意味と接続 [Thoughts]

(._. )

ときどき、自分にとって重要な、でもその理由をうまく説明できないものたちを書き出してみる。

そして「これは何か?」と考える。共通点でもいいし、その奥にある意味でもいい。それはもしかすると、極めて重要な何かに関連しているかもしれない。そんな予感。

( ._.)

偶然であるはずのいろんな出来事に、隠された意味があるかのように感じることがある。それはポジティブである場合もあればネガティブである場合もある。

(._. )

ある人に2時間もインタビューさせてもらってまとめた原稿がある。

よくまとまっていると自分で思うけど、だからこそこれは果たしてリアルなのかという不安がぬぐえない。

筋が通った議論は、気持ちのいい展開は果たして本当なのか。一連の流れは本当に関連があるのか。編集の毒に侵されていないか。

いつからそんなに恐がりになったのだろう。

( ._.)

アウトラインの中からあるキーワードで釣りあげた、お互いまったく関連がない断片を集めて、なんとなくつながる(気がする)ように並べ替え、接続してみる。

そこに確かに浮かび上がってくる(気がする)、自分のある要素について考える。そこには確かに簡単には言葉にできない重要な何かがある(気がする)。

指先にほんの少し触れる上位階層。

( ._. )

そしてこの記事もまた。

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ただ「決める」しかないことの根拠(ループ) [Thoughts]

誰も教えてくれず、考えてもわからず、話し合っても結論は出ないというものごとがある(たくさんある)。それはただ「決める」しかないことなのだ。

でも、ただ「決める」ことの背景には、
関わった人とか
読んだ本とか
感じたこととか
愛とか
分からなくても考えてきたこととか
間違ってきたこととか
切り捨てたこととか
じたばたしながらなんとか生きてきたこととか
そういうものの蓄積がある。
ああ、それから自分の「意思」が。

根拠はちゃんとある。
言葉で説明できないだけだ。

その種のことを誰かに「決めてもらう」ことを繰り返していると、きっと後悔する。後悔しないとしても、そうと知らずに少しずつ不幸になる。
そのことを忘れないようにしよう。

それでもなお、「決めた」ことが正しいかどうかはわからない。誰も教えてくれない。考えてもわからない。話し合っても結論は出ない。

(最初に戻る)

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春のリスト [Thoughts]

理由を問わず
説明しようとせず
証明しようとせず
心配せず
答えを探さず
勝とうとせず
損得を考えず
懐かしまず
好かれようとせず
謝ろうとせず
わかってもらおうとせず
ひとりで
しずかに
注意ぶかく
確実に

→ 結果的に →

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フリーライティングからある基準で抜粋した何か [Thoughts]

選べばひとつは手に入る(もしかすると)。
選ばなければひとつも手に入らない(確実に)。
選んでも選ばなくても人は老いる。
そして選ぶことは捨てることだ。



もうワクワクするという理由だけで何かを始めることは困難だ。
だからと言ってこれから何も始めずに生きていくという意味ではない。
始めるということは選択するということであり、捨てるということだ。
そして捨てることにはいろんな形がある。
見た目は変わらなくても、
そのことを強く意識するようになった自分とそれ以前の自分は違う。



不向きなことはしない姿勢と
新しい何かを求める姿勢は
見た目ほど矛盾していない。
新しい挑戦を避けるということではないし、
苦手なことを避けるということでもない。



はじめて曲がってみた川沿いの道は、
想像していたよりずっと気持のちのいい道だっただけでなく、
ずっと行ってみたいと思っていた
(けれどもどこにあるのかわからなかった)
お店は実はその道沿いにあった。



知り合いの名言「おれは坂道があったら下る」
そこに同居しているある種の意思と姿勢。

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弱さと口笛 [Thoughts]

Aさんに対して精一杯誠実であろうとした結果として「傷つけられた」とAさんに言われたとき、どのように振る舞い得るか。



ところでその誠実さは本当に誠実さだろうか。



大切な人Aと大切な人Bが憎み合っている場合、どのように振る舞い得るか。



その場にいないCついて何の気なしに話題にしたところ、いつの間にかCの悪口大会になってしまった場合、どのように振る舞い得るか。



(容易に予想される通り)そのことがCの知るところとなったとき、どのように振る舞い得るか。



露見した自分の弱さを大切な人に受け入れてもらえなかったとき、どのように振る舞い得るか。



これらの問いはまるで青年期のそれだが、では年齢を重ねた人でこれらに正面から向き合い消化してきたという人はどのくらいいるだろうか。



( ˘_˘ )



自分と他人の弱さに正面から向き合っている人がどのくらいいるだろうか。



それは可能なことなのだろうか。



(人生はオープンエンド)



( ˘ .˘ )~♪

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