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「今年のイメージ」と現実のシェイク [アウトライナー]

新しい年。

アウトライナーの中に、今年の目標、じゃなくて「今年のイメージ」を書く。

こういうとき、ついつい箇条書きにしてしまいがちだけど、そうするとどうしてもタスクっぽくなる。そして個別の項目に手を付けたとか完了したとか、そういうレベルで捉えてしまう。

だから「今年のイメージ」は、箇条書きではなく簡潔な「文章」にする。なるべく短く簡潔に。一段落が理想だ。難しければ、ラフにフリーライティングしてみてから圧縮する。

頭の中には「やりたいこと」がある。願望や欲望がある。ありたい自分の姿がある。やるべきこともある。それらを思い描き、目に見えるようにするのが、「イメージ」を文章化する目的だ。

もちろん、人生は思い通りにならない。日々降りかかってくるタスクがある。思いもよらない障害が現れる。いくらイメージを描いたところで、その通りになることはまずない。

それでも「今年のイメージ」を描き、それを意識しておくことには意味がある。というか、だからこそ意味がある。



「イメージ」がない状態で、降りかかってくるタスクの雨にさらされていれば、人生はあっという間に他人の優先順位に乗っ取られてしまう。後には何も残らない。

イメージがあるからこそ、守るべきものがわかる。だから、行動ができる。

たとえ結果的に何も守れなかったとしても、少なくとも「守ろうとした」事実は残る。それは一見小さな違いかもしれないけれど、長い時間の蓄積の中でとてつもなく大きな違いになる(本当に本当に大きい)。

それに、こんな書き方をしているけど、「イメージ」さえクリアであれば、「何も守れなかった」なんていうことはまずない。

もし本当に何も守れなかったとしたら、それはそれで何かを大きく変える決断の理由になるだろう。ならば「イメージ」は充分役割を果たしたことになる。



「今年のイメージ」を、精神論ではなく日々に注入する方法。

たとえば、アウトライナーに書き出した「今年のイメージ」の下位階層に、今年現実的に「やるべきこと」のリスト(今度は箇条書き。年単位だからあまり細かいものではなく、を書く必要はない)をぶら下げてみる。物置を整理する、仕事に必要な○○の資格を取る、××プロジェクトを成功させる、実家の片づけを手伝う、などなど。

そして「今年のイメージ」と矛盾していないかチェックする。

「今年のイメージ」に書き出した願望や欲望の実現につながる具体的なプロジェクトやタスクは、リストに書かれているか。もしなければ追加する。

逆に、「今年のイメージ」には現実的に「やるべき」ことにつながる要素が反映されているか。もし反映されていなければ、せっかく描いたイメージは机上の空論、あるいは妄想である可能性が高い。だから、現実を反映するように書き直す。

こうして、イメージには現実を、現実にはイメージを注入し、整合させていく。

これは、以前書いた「今日一日のイメージ」と同じ考え方だ。



もうちょっとアウトライン・プロセッシングしてみる。

出来上がった「今年のイメージ」の段落をコピーする。そして一方の段落に改行を入れて、分割していく。文章から箇条書きを作るのだ(ブレイクダウン)。これを階層化すれば、そのままアウトラインになる。

先ほど「今年のイメージ」の下位にぶら下げた「やるべきこと」のリストを、このアウトラインの該当箇所に組み込む。これが今年の仮アウトラインということになる。タスク管理用語(?)で言えば、今年のマスタータスクリストだ。

日々生活しながら、新たなプロジェクトやタスク(降りかかってきたものも、ふと思いついた楽しそうな計画も)をここに書き加えていく。

当然アウトラインの形は崩れていくだろうから、ときどき見直して組み直す。終わったものはマークする。ときどき、アウトラインが、当初の「今年のイメージ」と矛盾していないかチェックする。これがいわゆる「レビュー」だ。

数か月もすれば、たいていイメージと現実に矛盾を感じるようになるだろう。そのとき、アウトラインの方をイメージに合わせて軌道修正するのか、イメージをの方現実に合わせて変えるのか。そのバランスを「生き方」という。

こうして「今年のイメージ」と今年のアウトラインを合わせてシェイクし、成長させていく。

一年が終わるとき、最初に書き出した「今年のイメージ」は大きく変わっているかもしれない。あるいは変わっていないかもしれない。どちらでも構わない、と思う。そこに意志と現実が反映されているかぎり。



行動(=タスクやプロジェクト)には背景、理由、感情、条件などがある。それらをタスクと同レベルで扱えるというのは、いわゆる「タスク管理ツール」と比較したときのアウトライナーの圧倒的な強みだ。こんな作業をしていると、そのことがよくわかる。



今年もよろしくお願いします。
Happy Outlining ! ( ._.)b*

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アウトライナーについての2つの質問 [アウトライナー]

『アウトライナー実践入門』で、ぱうぜさん(@kfpause)こと横田明美先生にインタビューさせてもらった縁で、千葉大学アカデミック・リンク・センター主催の「あかりんアワー」という学内イベントに登壇してきました。

イベントといっても、毎週火・金曜日のお昼に、同大図書館に併設されたプレゼンテーションスペースで開催される、こぢんまりした定期イベントです。

タイトルは「論文をシェイクする〜アウトライナーのすすめ」。30分のうち、ぼくがお話ししたのは約15分で、後はぱうぜさんによる説明、そして質疑応答でした。

メインのオーディエンスが学生、しかも4年生が卒論を本格的に書き始めるシーズンということで、「シェイク」の話を中心に、レポートや卒論に少し寄せた感じで話をしました。

アウトラインを先に作ってから文章を書くのではなく、トップダウン(アウトライン)とボトムアップ(詳細)を行き来しながらアウトラインを育てていく、という話。

時間が短いこともあって、本の中で紹介したような「実例」は見せられなかったのですが、そこはばうぜさんの「学生の卒論のアウトライン」や、ご自身が勉強に使った情報カード(超貴重)など、貴重な現物の紹介でカバーしてもらいました。

終了後に何人かの先生や、熱心な学生さんとお話させてもらい、これはとても嬉しかったです。

で、アウトライナーに関するとても良い質問をいくつかいただいたので、2つ紹介しつつ、現場では話しきれなかったことも含めて回答してみます。



Q1)
課題などで、比較的短い、字数制限(1200字とか2000字とか)のある文章を書く機会があります。こうした場合のアウトライナーの使い方って、あるでしょうか?(※質問のニュアンスがちょっと違ったらごめんなさい)

A1)
これ、実はぼく自身得意ではありません。なので、得意でない人間がアウトライナーでそれをカバーする方法として見てくださいね。

文字数が定められているときって、どうやってその文字数を稼ぐかという問題と、どうやってその文字数に収めるかという問題の2つがあると思います。で、この質問で問題になってるのは後者でしょう。

もし、与えられたテーマについてどうしても1200文字書けないとしたら、アウトライナーの使い方とは別の問題があるはずです。

なので、ここではどうやって字数に収めるかということを考えます。

文字数制限に慣れていない場合は、字数のことはあまり考えずにとにかく書いてしまうのがいちばん楽です。

最初から1200字に収めようとせず、2000字とか2500字になってもかまわないので、とにかく書いてしまう。導入部と結論部も一応つけておきます。

だいたい形になったら、読み返しながら見出しをつけて、アウトライン化します(細かめに見出しを付けるのがコツです)。

見出しをつけたらアウトラインを折りたたみ、見出しだけ眺めながら、優先度が低いと思われる項目を削っていきます(すぐに削除せず、末尾に「未使用」という見出しを立てて、その下に落としていくと後で後悔しません)。

優先度が低いとは、決して重要度が低いという意味ではなく、与えられた内容とスペースにそぐわないもの、という意味です。あと、同じくらいの大きさのネタが2つ入っていたりした場合、片方を削るということもあるでしょう。

制限に収まるまで削ったら、全体の流れに齟齬が生じていないかどうか確認しつつ、細部を整えて仕上げます。

手書きと違って、1200字と2000字に、それほど労力の差はありません。個人的には、書きながら同時に字数を収めようとするよりも、この方がずっと楽です(ただし限度はあります。10000字になるまで書き続けてはいけません)。

もちろん、書き慣れてくれば、1200字だとだいたいこんな感じかな、と当たりをつけることができるようになります。また、そういう訓練をすることは役に立つと思います。

ちなみに、Wordのアウトラインモードだと、アウトラインを折りたたんだ状態で項目を選択すると、下位に含まれる文字数がステータスバーに表示されるので便利です(何も選択しないと、アウトライン全体の文字数が表示されます)。


Q2)
自分はアウトラインを作ることも、アウトラインに沿って書いていくことも比較的得意なのですが、ときどきアウトラインに縛られて、アウトラインに書かれたことしか書けない感じがすることがあります。そういうときはどうすればいいですか?(※またまた、質問のニュアンスが違ってたらごめんなさい)

A2)
アウトラインの縛りから抜け出すためにいちばんいいのは、いったんアウトラインの外に出ることです。

作ったアウトラインは脇に置いておいて、真っ白い画面に書いてみる。

アウトラインが作れるくらいだから、テーマや関連する知識は頭に入っているはずです。

だから、アウトラインを見ないで頭の中身だけで自由に書いてみる。構成は考えず、抑制せず、気持ちよく、テーマについて自由に書けることを書く。これをフリーライティングといいます。

アウトラインはアウトラインでちゃんと残してあるので、いくら自由に書いてみても大丈夫です。

しばらくフリーライティングしてみた後で、書き出した内容に見出しを立て、既存のアウトラインの中で該当すると思う部分に振り分けてみます(必ずコピーを取ってください)。

そのとき、もし既存のアウトラインに収まらない断片があったら、それがアウトラインの縛りから抜け出すヒントになります。

どれだけ精密にアウトラインを作っていても、アウトラインを見ずに自由に書いてみると、何かしらアウトラインに収まらない内容が出てくるものです。

使える内容だと思ったら、その内容に絞って更にフリーライティングしてもいいし、その内容を組み込めるようアウトラインを修正してもいいでしょう。

自分でも、これがブレイクスルーになった経験が何回もあります。



いかがでしょうか。回答になってるといいのですが。といいつつ、以上はもちろん「アウトライナーの使い方の一例」であり、唯一の回答ではありません。



「あかりんアワー」当日は冷たい雨、その上電車が遅延し(向かう方向の電車が次々に止まっていくという悪夢)、どうなることかと思いましたが、なんとかギリギリで間に合いました。

1時間前に着くように出ていた俺、えらい。

案内してもらった千葉大の図書館はとても素敵な場所で、思わず「ここで仕事がしたい」と思ったり。

うん、楽しかった。

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アウトライン・プロセッシングが教えてくれること [アウトライナー]

アウトライン・プロセッシングは、単なる「文章作法」ではない。

アウトライン・プロセッシングの技法は、文章を書くためにとても有効なだけでなく、人生のいろんな場面で「考える」ことにほとんどそのまま使えるからだ。

そして、文章を書くためのアウトライン・プロセッシングの技法が教えてくれることは、本当にたくさんある。



たとえば、あらかじめ作ったアウトラインに沿って文章を書こうとしても、たいていうまくいかない。何をどう書くべきかは書いてみてはじめてわかるからだ。だから、アウトラインは書きながら変えていかなければならない。

書きながら変えていくことで、アウトラインは初めて有効な道具になる。そしてそれをサポートする道具がアウトライナーだ。

同じように、あらかじめ作ったアウトラインに沿って生きようとしてもたいていうまくいかない。どう生きるべきかは、生きてみてはじめてわかるからだ。だから、アウトラインは生きながら変えていかなければならない。



「あらかじめ作ったアウトラインに沿って生きようとする」なんていうと「?」と思うかもしれない。それは一般的には別の言葉で呼ばれている。

たとえば「計画」や「プラン」。
あるいは「ミッション」や「価値観」。
あるいは「夢」や「目標」。
あるいは「教えられてきたこと」や「学んできたこと」。

もちろん、そういうものには意味がある。

ただそれは、日々の現実、予期しない出来事、この瞬間の気持ち、そして何よりも日々生きる中での自分の変化「シェイク」することで、はじめて意味を持つ。

日々の現実を生きながら思いついたことや考えたことをフィードバックし、アウトラインを常に組み替えること。組み替えた新しいアウトラインに沿って生きること。そしてまた思いついたことをフィードバックし、アウトラインを組み替えること。アウトラインと現実を常にリンクしておくこと



古くなったアウトラインにしばられて身動きが取れなくなっている人を見かけると、とても悲しくなる。いや、そんなこと言ってる自分だって、ふと気づけばそうなっていることがある。

アウトラインは常に「仮」のものであること。それが、アウトライン・プロセッシングが教えてくれるいちばん大切なことだ。

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アウトラインと目次 [アウトライナー]

『アウトライナー実践入門』の中で少しだけ触れ、先日のイベント「夏の知的生産&ブログ祭り」でのプレゼンでもちらっと出てきた、「アウトライン」と「目次」との関係について。



アウトライン・プロセッシングに慣れていない人が、文章を書くためにアウトライナーを使おうとすると、ほとんど必ずと言っていいほど「目次案」を作ってしまう。文章を書くことに慣れている人ほど、そうかもしれない。

でも、いろんなところで書いてる通り、アウトラインは決して「目次案」ではない。そして、アウトライナーで文章を書く作業とは、アウトラインを元に文章を書くことではない。

とはいえ、「アウトライン」と「目次」は見た目上よく似ている(すごーく似ている)。そして、世の中では、「目次案」や「構成案」というものがすでに市民権を得ている。誤解が生じるのも無理はない。

その上ややこしいことに、アウトラインと目次が一致する瞬間も、確かにあるのだ。



「アウトライン」とは、書き手がその上で「考える」ためのものだ。つまり「書き手のためのもの」だ。一方の「目次」は、読み手をナビゲートするためのガイドだ。つまり「読み手のためのもの」だ。

これが両者の違いだ。

アウトライナーの中で、発想の断片は集合離反しつつ成長し、最終的なアウトプットへと育っていく。

このプロセスを「アウトラインの性質」という観点から見ると、書き手のための「アウトライン」から、読み手のための「目次」へと、徐々に接近していく過程と捉えることができる。

頭に浮かんだこと、流れていくことを、アウトライナー上に自由に書き出す。

リスティングし、グルーピングし、ブレイクダウンし、レベルアップし、ソーティングしながら「考える」。思考を形にし、あるいは理解しようと試みる。「アウトライン」というカタチ(そしてアウトラインの折り畳みと入れ替えというアウトライナーの機能)が、この作業の助けになる。

やがて、それを人に伝える段階がくる。形にした思考が人に伝わるように、流れを工夫し、魅力的な語り口を考える。その過程で、アウトラインは書き手が考えるためのものから、読み手の理解を助けるためのものへと変化していく。最後には「目次」と完全に一致するはずだ。

(実際には、読み手のための「語り口」の影響を受けて新しいことを思いついちゃったりするので、この流れは一方通行ではないけれど)



長い文章を書く時、ぼくは作業の前半(発想〜ドラフト)にはWorkFlowyやOmniOutlinerのようなプロセス型アウトライナーを使い、後半はWordなどのプロダクト型アウトライナーを使うことが多い。

これは、上記のプロセスにそのまま対応している。アウトラインが一定以上「目次」へと接近した後に有効なのが、プロダクト型アウトライナーなのだ。そして、この段階でのプロダクト型アウトライナーは、極めて強力だ(信じない人がいるかもしれないけど、Wordは正しく使えば役に立つ)。

(プロセス型アウトライナーとは、「見出し」の概念がなく、階層関係だけで構造を表現するアウトライナー。プロダクト型アウトライナーとは、文書の「見出し」とアウトラインが対応しているアウトライナー。詳しくはこちらの記事を参照)



以上の話は、あくまでもアウトライナーを中心として考えているけど、「書き手が考えるためのガイド」から「読者をナビゲートするための目次」への接近という観点から、いろんなツール(たとえばUlyssesやScrivener)について考えてみると面白いかもしれない。

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『夏の知的生産 & ブログ祭り』のスライドをチラ見せ(Tak.バージョン) [アウトライナー]

Lifefacking.jpの堀正岳さん、R-styleの倉下忠憲さんとともに登壇する、以下のイベントの開催が一週間後に迫っております。

Lifehacking.jp:夏の知的生産&ブログ祭り2016年8月28日–こくちーずプロ(告知’sプロ)



冒頭で、各登壇者が15分ずつスライドを使ったプレゼンテーションをします。今のところの予定では、ぼくが筆頭です(たぶん)。

当然、アウトライナーの話をするのですが、当日はアウトライナーについてよく知っている方もそうでない方もいるでしょう。

なので「そもそもアウトライナーとは?」という基本的な話から入って、自由なアウトライン・プロセッシングについて、ちらっとかいま見ていただくくらいまでの話をしたいと思います。

(えっ、15分で??)

もちろん、その後の堀さん、倉下さんとのクロストークでは、さらにディープな話になるかもしれません。



倉下さんがこちらの記事でスライドのチラ見せをされてるので、ぼくも作成中のスライドを何枚か(作成中なので変わるかもしれませんが)。

チラ見せb.001.jpeg

チラ見せ.002.jpeg
左上の方にいる人のことは、気にしないでください。

チラ見せ.004.jpeg

チラ見せ.005.jpeg

自由なアウトライン・プロセッシングについてちらっとかいま見るくらいと言いつつ、最後のスライドでは『アウトライナー実践入門』で触れなかった話にもちょっと踏み込みそうな気配です。

倉下さんのスライドでも、「断片」というキーワードが提示されていました。「断片」の捉え方がどう違うか、楽しみです。

ちなみに、今ちょっと試したところ、ものすごく早口で18分かかったので、まだちょっとアレです。はい。



今のところ、10人ちょっとほど席が残っておりますので、知的生産、ブログ、書くこと、考えること、そのためのツールやテクニックに興味がある方は、ぜひぜひ。

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自分の基準でタスクを「考える」機能、あるいは汎用の自由 [アウトライナー]

今どきのタスク管理/To-Do管理アプリの多くには、「Inbox」と呼ばれる機能がある。

アプリによって少しずつ名前が違っていたりはするけれど、要は頭の中にある「やらなければならないこと」「気になっていること(問題)」を、後で検討し、処理するためにいったん受け止めておく場所。

もちろんこれは、デビッド・アレンのGTD(Getting Things Done)に由来する。

専用のタスク管理アプリを使わない人、たとえばアウトライナーやEvernoteなどの汎用ツールでタスクを管理している人の多くも「Inbox」的なものを設けていることからも、その影響の大きさはうかがえる。

本来のGTDでは、Inboxに入ってきた「気になること」について、ひとつひとつ「これは何か?」と自分に問いかけるプロセスがある。その結果が、次のアクションやプロジェクトなどのリストに振り分けられるわけだけど、それはここでは置いておく。



ここで、ちょっとだけ考えてみる。

汎用のツールを使っているなら、できあいのシステムに合わせる必要はない。全体の構造から細かい枝葉の部分まで、好きなようにカスタマイズし、チューニングし、場合によってはオリジナルのシステムを組み立てることができる。

たとえば、アウトライナーでタスクを扱っているとする。その中に「Inbox」を設けているとする。

この「Inbox」を、「欲しいもの」というタイトルに変えてみる。

もちろん、もともとがInboxなので、今日入ってきた「今週中にやっておかなければならない面倒な上に意味のない事務手続き」とか「会いたくもない人に会わなきゃならない用事」とかがその下に入っている。

つまり、「欲しいもの」の下位に「面倒な上に意味のない事務手続き」や「会いたくもない人に会う用事」が入ることになる。あるいは「面倒な上に意味のない事務手続き」や「会いたくもない人に会う用事」の上位階層が、強制的に「欲しいもの」になってしまうということでもある。

一見したところ、アウトラインとして成立していないように見える。



でもそれは、「アウトライン」というものの捉え方次第だ。

ここでは、「どのように考えたら、この(一見矛盾した)アウトラインが成立するだろう」と考えてみる。

この場合なら、「面倒な上に意味のない事務手続き」を、「面倒な事務手続きを完了した後のすっきりした気分」に変えてしまう。あるいは「会いたくもない人との面談を終えて、心置きなく飲むビール」に変えてしまう。

これで、両方とも「欲しいもの」だ。アウトラインとして矛盾しなくなった。

子供だましだと思うだろうか。

でも、アウトラインの使い道は、論理的に矛盾しない「階層構造」を作ることだけではない。

上位階層と下位階層の矛盾の解消を試みることで、思考を発動する。これは「考える」ためのアウトラインの使い方のひとつだ。

そして、そのことによって生まれたほんの少しの言葉の違いが、実際の行動に影響を与えることがある。

言葉には、そういう力がある。



これは単なる例だ。でも、その意味は決して単純ではない。

ちょっと言葉を変えるだけで、受動的に「入れる」だけだったInboxに新たな機能が加わる。内容を、自分にとって(好ましい)意味のある物ごとに変換する機能、つまり「自分の基準で考える」機能だ。

自分の基準でタスクを「考える」こと。本来それは、タスクを扱うツールに備わっているべきものだと思う。

ただし、考える基準はみんな違うから、できあいのツールにそれを組み込むことは難しい。「Inbox」は「Inbox」なのだ。

でも、汎用ツールなら、自由に変えることができる。汎用とは、自由ということなのだ。

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制御された飛躍、超越する飛躍 [アウトライナー]

アウトラインはリニアな一本の流れであり、しかも階層(ツリー)構造になっている。だから、アウトライナーを使うと思考の飛躍が生まれにくい。

ときどき、そんなふうに言われることがある。

でも、個人的には「だからこそ」飛躍が生まれやすいと思っている。



思考というのは、放っておいても勝手に飛躍するものだ。だからわざわざ「飛躍させる」必要はない。

むしろ、必要なのは「有効な飛躍」を作ることだ。あるいは「制御された飛躍」と言いかえてもいい。変な言葉だけど、アウトプットを目的とした発想の場で求められる飛躍とは、そういうものではないかと思う。

人に何かを伝えるために、ハッとさせたり、違いを際立たせたり、空中に放り出して劇的な効果を生んだり、というような意味あいでの飛躍(この場合の「人」には自分も含むんだよ)。

そのためには、飛躍がリニアな流れの中に配置され、位置づけられる必要がある。

アウトライナーの大きな特徴のひとつは、構造の中から要素を抜き出し、また組み込むことが容易にできることだ。

かちっとした構造のどまん中に、その構造の外から来たものを差し込む。逆になめらかに流れるフローの中間をごっそり引き抜く。全体を俯瞰し、その結果(効果)を確認する。

だから「制御された飛躍」が作りやすいのだ。



いや、自分が求めている「飛躍」はそういうのじゃないんだ、という人がいるかもしれない。

思いもつかなかった斬新なアイデア。自分の能力の限界を超越するかのような:劇的な「飛躍」。そうしたものをサポートする機能もまた、発想技法やアイデアプロセッサーというようなものに求められるものかもしれない。

でも、くり返すけど、思考は放っておいても勝手に飛躍するものだ。

むしろ飛躍を邪魔しているのは、思いつきを構造の中に安定して組み込もうとする心理ではないか。矛盾なく、気持ちよく構造化しようとする心理ではないか(仮説ね、仮説)。

思考は勝手に飛躍する。だから気持ちよくアウトラインの中に収まってくれたりはしない。必ず矛盾し、はみ出すものが出てくる。それでいいのだ。

アウトラインは、かりそめの存在だ。いつでも、いくらでも組み替えることができるからだ。

かりそめの存在に、思いつきがしばられる必要はない。逆に思いついたことに合わせて、アウトラインを変えるのだ。「矛盾に合わせて構造の方を変える」と言いかえてもいい。

思いつくことと、構造を変えることを同時にやうとするとうまくいかないことが多い。だから、分ける。それを手法化したのが「シェイク」だ。

「シェイク」とは、アウトライナー上でトップダウン思考(≒構造を考えること)とボトムアップ思考(≒個別の思いつき)を交互にくり返すこと。コツは、一度に一方だけをやることだ。

トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(1)
トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(2)



ところで不思議なことに、アウトラインを「シェイク」し続けた結果として、当初は思いもよらなかったことを書いてしまったり考えてしまったりすることがある。

いつの間にか、本当に自分の限界を超越するかのような飛躍をしてしまうことがあるのだ。

これは決して、アウトライナーが思考の飛躍をサポートする機能を持っていたからではない。

ここが重要なところだ。



アウトライナーで「文書を書き、考える」技術についての本、発売中。
アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~
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7月9日『アウトライナー実践入門』が発売されます! [アウトライナー]

ようやくの告知です。
去年から取り組んできたアウトライナー本が、7月9日に発売されます。

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アウトライナー実践入門
〜「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術〜

Tak. 著
2016年7月9日発売
技術評論社

Amazonで見る
技術評論社の新刊案内ページで見る

Kindle版も「ほぼ同時」発売されます(今のところ紙版から「数日遅れ」で発売されるようです)。
電子書籍版も同時配信されます(Amazon Kindle、Gihyo Digital Publishing、楽天Kobo、honto、ヨドバシ・ドット・コム)。



2015年の5月にセルフパブリッシングで出版したKindle本『アウトライン・プロセッシング入門』は、本当にありがたいことに、当初想像もしなかったほどたくさんの方の手に取って(?)いただくことができました(ありがとうございます)。

でも、やっぱりKindle本だけでは届かない人がいる。アウトライナーを必要としている人はもっとたくさんいる、その人たちに届けたい、という気持ちがありました。

そんなわけで、紙の本です(でもKindle版も出ますよ!)。

『アウトライン・プロセッシング入門』をベースにしていますが、全面的に改定し、新コンテンツを追加してボリュームは約2倍になっています。

目次はこちらを参照



本書は、今最高に旬なWorkFlowyに代表される、プロセス型アウトライナーを使いこなすための本です(プロセス型アウトライナーとは、本書で紹介する技法の前提となる「1ペインで見出しと本文を区別しないタイプのアウトライナー」です)。

ただし本書は「WorkFlowyの本」ではありません。その他のアウトライナーの本でもありません。

広い意味での「書くこと」「考えること」を日常的にしている人々のための、個別のアプリに依存しない、アウトライナー一般の使い方、汎用的な技法としてのアウトライン・プロセッシングの本です。

『アウトライン・プロセッシング入門』を読んでくださった方、また普段このブログを読んでくださっている方はご存じの通り、それはいわゆる「アウトラインを作って文章を書く」というイメージとは、ずいぶん違います。

「アウトラインをつくる」という発想を捨てることが、アウトライナーの可能性を解き放つと思っています。それを知ってもらうというのが、本書の第一の目標です。

だから、いつかWorkFlowyがなくなった世界でも(!)、本書は役に立つはずです。そこにアウトライナーがある限り。



とか言いながら、本書では初めてアウトライナー/アウトライン・プロセッシングに触れる方のために、アウトライナーの簡単な導入ガイドをつけました。

WorkFlowyを導入し、基本的な機能を使えようになるまでのステップを解説しています。

また、クラウドサービスが使えない環境の方のために、Microsoft Wordのアウトラインモードを擬似的にプロセス型アウトライナーとして設定する方法も紹介しています。

しんせつだ!



本書は、『アウトライン・プロセッシング入門』でやり残したこと、やりきれなかったことをぶち込んだ本でもあります。

以下、増量ポイントをランダムに。
たとえば……

大量の図版の追加。『アウトライン・プロセッシング入門』では、もっと見本が見たい、図版がほしいというコメントをいくつかいただきました。本書には、たくさんのアウトライン見本が入っています。多くを、スクリーンショットではなく図版として起こしています。

新たなアウトライン・プロセッシングの技法。コアとなる〈シェイク〉に加えて、その前提となるアウトライン操作の5つの「型」について、アウトライン見本とともに解説。

アウトライナーによるタスクの扱いと「ライフ・アウトライン」。執筆開始時に作成中だった電子書籍『ライフ・アウトライン(仮)』のコンテンツが一部流入したものです。

アウトライナーと知的生産についてのインタビュー。倉下忠憲(@rashita2)さん、ぱうぜさん(@kfpause)という、いずれも「文章を書き、考えること」を仕事にされている(そしてぼくが尊敬する)おふたり仕事の中に、アウトライナー(WorkFlowy)がどのように組み込まれていったか、そしてどのように運用されているか、詳細にうかがいました。

「アウトライナーフリーク的アウトライナー論」に新エッセイ。内容が古くなった「アウトライナーフリーク的Evernote論」を外した代わりです。

アウトライン・プロセッシングの全行程を掲載。フリーライティング結果をアウトライン化し、〈シェイク〉をくり返して1つの文章として完成するまでのアウトラインの変遷を無謀にも全て掲載。アウトライン・プロセッシングと〈シェイク〉のイメージをつかんでいただくための試みです。



そんなわけで、本書がアウトライナーとアウトライン・プロセッシングの深遠な世界への入り口になれれば幸いです。

昔からのアウトライナーユーザーの方も、WorkFlowyからアウトライナーに触れた方も、まだ使ったことないけど興味があるという方も、ぜひ。
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表現したいことがあるときに使う大人のための道具 [アウトライナー]

アウトライナーに対する情熱がどこから来たか、その原型をずーっとたどっていくと、おそらくデボラさんのカードに行き着く。デボラさんとカードの話は、以前に書いたことがある。

知的生産と能率の風景

デボラさんのカードの使い方は、パーツを組み合わせて文章の骨子と流れを組み立てていくもので、文字通り「アウトライン」のレベルだったと思う。

それが学校の事務室という、面白くもなんともなさそうな場所に見事に調和して存在していたあの風景が、ぼくとっての「アメリカ」の、そして「知性」の原風景だ。

そしてぼくにとっては「構造が手に触れられる」ということがとても重要だった。それは組み立てて、操作していくことができるものだという感覚が。

なぜかそのとき「自分にも文章が書ける」と勝手に確信して開けた視界は、日本語学校の作文の時間に原稿用紙を前に硬直してしまったときの絶望的な感じと対になっている。



その後、ことあるごとにデボラさんのオフィスを訪れては、デスクに散らばったインデックスカード(青いのと黄色いのと赤いのがあった)を眺めていた。いくら見ていても飽きなかった。

文章を書くために使うのは青いカードだった。黄色はメモ用紙代わり、赤の用途は最後までわからなかった(きっと大事な場面で使うに違いない)。

以前に見たときはカードを並べてそのままタイプを打っていたけど、もっと長い文章を書くときなどには黄色いメモパッド(リーガルパッドというのだと後で知った)にカードの内容をいったんペンで書き写してからタイプを打っていることにも気づいた(あれはアウトラインだったのかパラグラフの下書きだったのか)。

あるとき、ぼくがオフィスのカウンターに貼り付いて仕事の様子(というよりもカードを操作する様子)を食い入るように眺めているのに気づいたデボラさんは、黄色いカードを何枚かくれた。

そして「何か表現したいことがあるようね?(I guess you have something to say, huh?)」と言ってにっこり笑った。

そうか、これは「something to say(言いたいこと、伝えたいこと、表現したいこと)」があるときに使う大人のための道具なのだ、と思った。

大人ではなかったのでぼくにはそれを使う用事がなかったし、どう使っていいのかもわからなかった。ただ、このカードを使えるようになれば「something to say」を自由に手の中で操作して思いどおりに書くことができるんだ、という感覚だけが強い憧れとして残った。

リーガル・パッドのリーガルとは、経線のあり方よりもはるかに、物事のとらえかた、ものの考えかた、論理の展開のさせかたなどを、意味する。自分の論理を強めたり補完したりする可能性のあるものは、ひとつ残らず書き出して列挙し、それらを作戦的にいろんな方向から観察し、取捨選択しつつ修正をほどこし、論理の筋道を作り、それに沿って論理を組み上げていく。リーガル・マインドの基本はこれであり、これはアメリカ社会のあらゆる細部にまで、徹底して浸透している。自分の頭の中にあるもの、資料のなかにあるもの、あるいは他の人たちから手に入れるものなど、使えそうなものはすべて書きとめておき、机の上に広げて何度も観察しては、論理の筋道を探すための基礎材料となるもの、それがびっしりと手書きされた何枚ものリーガル・パッドの紙なのだ。

インデックス・カードが断片を書きとめておくものなら、そのいくつかを使って組み立てたひとつのパラグラフを書くのが、ジュニア・リーガル・パッドの一ページではないか。そしてそのワン・パラグラフを推敲していくためのスペースが、リーガル・パッドという大きなスペースだ。
——片岡義男『文房具を買いに』


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そこにわずかでも意思があるかぎり [アウトライナー]

この記事の前にあたる記事:
アウトライナーフリーク的タスク管理論・序説

「他人の要求に自分の時間を乗っ取られるような感覚」について。

一生懸命タスクリストを作ってみても、実行するタスクが自分の基準に基づいていなければ、時間は他人の優先順位に従ってすべて消えてしまう。これは真実です。

いくらプライオリティや重要度を設定してみたところで、その基準が自分になければ同じことです。

レオ・バボータさんのいうように、「(タスクリストを一生懸命作っても)あなたはどこにも行けない」のです。この感覚は、気持ちのいいものではありません。というか、とてもいやーな感じです。



現代の生活の中で、降りかかってくるタスクをすべてこなすのは不可能です。だから何を残すかということが重要になる。その基準は自分になければならない。そうしなければ、私たちは幸せにはなれない。

でもそれは、簡単なことではありません。それどうやってタスクの選択に反映すればいいのか。そもそも「自分の基準」って何なのか。

レオさんのように「いちばんエキサイティングなことをひとつだけ」選べれば理想ですが、それができない場合(普通できないでしょう)、どうしたらいいのでしょうか。

タスクのアウトラインを延々と作りながら、ふとヒントになるのではと思ったのは、一日が自分の思うように進まなくても、比較的満足できる日とそうでない日があるということです。



何年か前のことです。

その日は翌週に提出予定のレポートの作業を進めるつもりでした。午後はたまたまアポイントもなかったので、時間をその作業のために空けてありました。

朝からレポートのことが頭にあったので、いろいろとアイデアが浮かび、電車の中で、そして朝食を食べに入ったカフェでメモを作ったり仮アウトラインを書き出したりしていました。午後はそれを元にレポートのドラフトを書くつもりでした。

しかし職場に着くと、先に出社していた同僚がばたばたと走り回っています。聞けば、朝一番で大きなトラブルの連絡が入ったとのこと。

結局その日はトラブル対応に深夜まで忙殺されて終わりました。空けておいた午後の時間も、もちろん飛びました。

それでも、この日「他人の要求に自分の時間を乗っ取られるような感覚」はさほどなかったし、ストレスもありませんでした(いや、少しはありましたが、さほどではありませんでした)。

むしろ、予想のつかない現実と自分の意思をそれなりに両立できた日、という感覚でした。

それは、朝の電車とカフェで、レポートの作業を(少しではありますが)進めていたことと無関係ではありません。

「今日はレポートの作業を進める」というイメージ、つまり自分の「意思」は、今日という一日の中に既に反映されていたのです。



重要なのは、「今日はレポートを進める」というイメージがなかったら、たぶん電車でもカフェでも何か他のことをしていた(あるいは寝ていた)だろうということです。

そしてその日は、降りかかってくるタスクに押し流されるだけの一日になっていたかもしれません。

今日という日のイメージをあらかじめ持っていたことで、その日のタスクの選択にわずかながら「意思」がこもったわけです。

一日が終わった後の気分に違いをもたらしたのは、そのわずかな違いです。そう、そこにわずかでも意思があるかぎり



もちろん、これはたまたまうまくいった例にすぎません。でも、ここには確かにヒントがあります。必要なのは「イメージ=意思を持つこと」、そして「意思を一日に反映する」ことです。

でも多分、「今日は絶対にレポートを進める」「そのために早く出てカフェで下書きをしよう」などと決めてあったとしたら、おそらくうまくいかなかったでしょう。そこまで決めてしまうと、それ自体がタスクになってしまうし、できなかったときストレスになります。

現実は思い通りにはならない。それが大前提です。その上で、自分の意思との折り合いをつけること。それが、今日的なタスクリストの出発点ではないでしょうか。

イメージに現実を、タスクリストに意思を。アウトライン・プロセッシングを通じて、その方法を考えてみます。

「ライフ・アウトライン(仮)」より

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イメージに現実を、タスクリストに意思を
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