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自分の基準でタスクを「考える」機能、あるいは汎用の自由 [アウトライナー]

今どきのタスク管理/To-Do管理アプリの多くには、「Inbox」と呼ばれる機能がある。

アプリによって少しずつ名前が違っていたりはするけれど、要は頭の中にある「やらなければならないこと」「気になっていること(問題)」を、後で検討し、処理するためにいったん受け止めておく場所。

もちろんこれは、デビッド・アレンのGTD(Getting Things Done)に由来する。

専用のタスク管理アプリを使わない人、たとえばアウトライナーやEvernoteなどの汎用ツールでタスクを管理している人の多くも「Inbox」的なものを設けていることからも、その影響の大きさはうかがえる。

本来のGTDでは、Inboxに入ってきた「気になること」について、ひとつひとつ「これは何か?」と自分に問いかけるプロセスがある。その結果が、次のアクションやプロジェクトなどのリストに振り分けられるわけだけど、それはここでは置いておく。



ここで、ちょっとだけ考えてみる。

汎用のツールを使っているなら、できあいのシステムに合わせる必要はない。全体の構造から細かい枝葉の部分まで、好きなようにカスタマイズし、チューニングし、場合によってはオリジナルのシステムを組み立てることができる。

たとえば、アウトライナーでタスクを扱っているとする。その中に「Inbox」を設けているとする。

この「Inbox」を、「欲しいもの」というタイトルに変えてみる。

もちろん、もともとがInboxなので、今日入ってきた「今週中にやっておかなければならない面倒な上に意味のない事務手続き」とか「会いたくもない人に会わなきゃならない用事」とかがその下に入っている。

つまり、「欲しいもの」の下位に「面倒な上に意味のない事務手続き」や「会いたくもない人に会う用事」が入ることになる。あるいは「面倒な上に意味のない事務手続き」や「会いたくもない人に会う用事」の上位階層が、強制的に「欲しいもの」になってしまうということでもある。

一見したところ、アウトラインとして成立していないように見える。



でもそれは、「アウトライン」というものの捉え方次第だ。

ここでは、「どのように考えたら、この(一見矛盾した)アウトラインが成立するだろう」と考えてみる。

この場合なら、「面倒な上に意味のない事務手続き」を、「面倒な事務手続きを完了した後のすっきりした気分」に変えてしまう。あるいは「会いたくもない人との面談を終えて、心置きなく飲むビール」に変えてしまう。

これで、両方とも「欲しいもの」だ。アウトラインとして矛盾しなくなった。

子供だましだと思うだろうか。

でも、アウトラインの使い道は、論理的に矛盾しない「階層構造」を作ることだけではない。

上位階層と下位階層の矛盾の解消を試みることで、思考を発動する。これは「考える」ためのアウトラインの使い方のひとつだ。

そして、そのことによって生まれたほんの少しの言葉の違いが、実際の行動に影響を与えることがある。

言葉には、そういう力がある。



これは単なる例だ。でも、その意味は決して単純ではない。

ちょっと言葉を変えるだけで、受動的に「入れる」だけだったInboxに新たな機能が加わる。内容を、自分にとって(好ましい)意味のある物ごとに変換する機能、つまり「自分の基準で考える」機能だ。

自分の基準でタスクを「考える」こと。本来それは、タスクを扱うツールに備わっているべきものだと思う。

ただし、考える基準はみんな違うから、できあいのツールにそれを組み込むことは難しい。「Inbox」は「Inbox」なのだ。

でも、汎用ツールなら、自由に変えることができる。汎用とは、自由ということなのだ。

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制御された飛躍、超越する飛躍 [アウトライナー]

アウトラインはリニアな一本の流れであり、しかも階層(ツリー)構造になっている。だから、アウトライナーを使うと思考の飛躍が生まれにくい。

ときどき、そんなふうに言われることがある。

でも、個人的には「だからこそ」飛躍が生まれやすいと思っている。



思考というのは、放っておいても勝手に飛躍するものだ。だからわざわざ「飛躍させる」必要はない。

むしろ、必要なのは「有効な飛躍」を作ることだ。あるいは「制御された飛躍」と言いかえてもいい。変な言葉だけど、アウトプットを目的とした発想の場で求められる飛躍とは、そういうものではないかと思う。

人に何かを伝えるために、ハッとさせたり、違いを際立たせたり、空中に放り出して劇的な効果を生んだり、というような意味あいでの飛躍(この場合の「人」には自分も含むんだよ)。

そのためには、飛躍がリニアな流れの中に配置され、位置づけられる必要がある。

アウトライナーの大きな特徴のひとつは、構造の中から要素を抜き出し、また組み込むことが容易にできることだ。

かちっとした構造のどまん中に、その構造の外から来たものを差し込む。逆になめらかに流れるフローの中間をごっそり引き抜く。全体を俯瞰し、その結果(効果)を確認する。

だから「制御された飛躍」が作りやすいのだ。



いや、自分が求めている「飛躍」はそういうのじゃないんだ、という人がいるかもしれない。

思いもつかなかった斬新なアイデア。自分の能力の限界を超越するかのような:劇的な「飛躍」。そうしたものをサポートする機能もまた、発想技法やアイデアプロセッサーというようなものに求められるものかもしれない。

でも、くり返すけど、思考は放っておいても勝手に飛躍するものだ。

むしろ飛躍を邪魔しているのは、思いつきを構造の中に安定して組み込もうとする心理ではないか。矛盾なく、気持ちよく構造化しようとする心理ではないか(仮説ね、仮説)。

思考は勝手に飛躍する。だから気持ちよくアウトラインの中に収まってくれたりはしない。必ず矛盾し、はみ出すものが出てくる。それでいいのだ。

アウトラインは、かりそめの存在だ。いつでも、いくらでも組み替えることができるからだ。

かりそめの存在に、思いつきがしばられる必要はない。逆に思いついたことに合わせて、アウトラインを変えるのだ。「矛盾に合わせて構造の方を変える」と言いかえてもいい。

思いつくことと、構造を変えることを同時にやうとするとうまくいかないことが多い。だから、分ける。それを手法化したのが「シェイク」だ。

「シェイク」とは、アウトライナー上でトップダウン思考(≒構造を考えること)とボトムアップ思考(≒個別の思いつき)を交互にくり返すこと。コツは、一度に一方だけをやることだ。

トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(1)
トップダウンとボトムアップを「シェイク」する(2)



ところで不思議なことに、アウトラインを「シェイク」し続けた結果として、当初は思いもよらなかったことを書いてしまったり考えてしまったりすることがある。

いつの間にか、本当に自分の限界を超越するかのような飛躍をしてしまうことがあるのだ。

これは決して、アウトライナーが思考の飛躍をサポートする機能を持っていたからではない。

ここが重要なところだ。



アウトライナーで「文書を書き、考える」技術についての本、発売中。
アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~
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7月9日『アウトライナー実践入門』が発売されます! [アウトライナー]

ようやくの告知です。
去年から取り組んできたアウトライナー本が、7月9日に発売されます。

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アウトライナー実践入門
〜「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術〜

Tak. 著
2016年7月9日発売
技術評論社

Amazonで見る
技術評論社の新刊案内ページで見る

Kindle版も「ほぼ同時」発売されます(今のところ紙版から「数日遅れ」で発売されるようです)。
電子書籍版も同時配信されます(Amazon Kindle、Gihyo Digital Publishing、楽天Kobo、honto、ヨドバシ・ドット・コム)。



2015年の5月にセルフパブリッシングで出版したKindle本『アウトライン・プロセッシング入門』は、本当にありがたいことに、当初想像もしなかったほどたくさんの方の手に取って(?)いただくことができました(ありがとうございます)。

でも、やっぱりKindle本だけでは届かない人がいる。アウトライナーを必要としている人はもっとたくさんいる、その人たちに届けたい、という気持ちがありました。

そんなわけで、紙の本です(でもKindle版も出ますよ!)。

『アウトライン・プロセッシング入門』をベースにしていますが、全面的に改定し、新コンテンツを追加してボリュームは約2倍になっています。

目次はこちらを参照



本書は、今最高に旬なWorkFlowyに代表される、プロセス型アウトライナーを使いこなすための本です(プロセス型アウトライナーとは、本書で紹介する技法の前提となる「1ペインで見出しと本文を区別しないタイプのアウトライナー」です)。

ただし本書は「WorkFlowyの本」ではありません。その他のアウトライナーの本でもありません。

広い意味での「書くこと」「考えること」を日常的にしている人々のための、個別のアプリに依存しない、アウトライナー一般の使い方、汎用的な技法としてのアウトライン・プロセッシングの本です。

『アウトライン・プロセッシング入門』を読んでくださった方、また普段このブログを読んでくださっている方はご存じの通り、それはいわゆる「アウトラインを作って文章を書く」というイメージとは、ずいぶん違います。

「アウトラインをつくる」という発想を捨てることが、アウトライナーの可能性を解き放つと思っています。それを知ってもらうというのが、本書の第一の目標です。

だから、いつかWorkFlowyがなくなった世界でも(!)、本書は役に立つはずです。そこにアウトライナーがある限り。



とか言いながら、本書では初めてアウトライナー/アウトライン・プロセッシングに触れる方のために、アウトライナーの簡単な導入ガイドをつけました。

WorkFlowyを導入し、基本的な機能を使えようになるまでのステップを解説しています。

また、クラウドサービスが使えない環境の方のために、Microsoft Wordのアウトラインモードを擬似的にプロセス型アウトライナーとして設定する方法も紹介しています。

しんせつだ!



本書は、『アウトライン・プロセッシング入門』でやり残したこと、やりきれなかったことをぶち込んだ本でもあります。

以下、増量ポイントをランダムに。
たとえば……

大量の図版の追加。『アウトライン・プロセッシング入門』では、もっと見本が見たい、図版がほしいというコメントをいくつかいただきました。本書には、たくさんのアウトライン見本が入っています。多くを、スクリーンショットではなく図版として起こしています。

新たなアウトライン・プロセッシングの技法。コアとなる〈シェイク〉に加えて、その前提となるアウトライン操作の5つの「型」について、アウトライン見本とともに解説。

アウトライナーによるタスクの扱いと「ライフ・アウトライン」。執筆開始時に作成中だった電子書籍『ライフ・アウトライン(仮)』のコンテンツが一部流入したものです。

アウトライナーと知的生産についてのインタビュー。倉下忠憲(@rashita2)さん、ぱうぜさん(@kfpause)という、いずれも「文章を書き、考えること」を仕事にされている(そしてぼくが尊敬する)おふたり仕事の中に、アウトライナー(WorkFlowy)がどのように組み込まれていったか、そしてどのように運用されているか、詳細にうかがいました。

「アウトライナーフリーク的アウトライナー論」に新エッセイ。内容が古くなった「アウトライナーフリーク的Evernote論」を外した代わりです。

アウトライン・プロセッシングの全行程を掲載。フリーライティング結果をアウトライン化し、〈シェイク〉をくり返して1つの文章として完成するまでのアウトラインの変遷を無謀にも全て掲載。アウトライン・プロセッシングと〈シェイク〉のイメージをつかんでいただくための試みです。



そんなわけで、本書がアウトライナーとアウトライン・プロセッシングの深遠な世界への入り口になれれば幸いです。

昔からのアウトライナーユーザーの方も、WorkFlowyからアウトライナーに触れた方も、まだ使ったことないけど興味があるという方も、ぜひ。
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表現したいことがあるときに使う大人のための道具 [アウトライナー]

アウトライナーに対する情熱がどこから来たか、その原型をずーっとたどっていくと、おそらくデボラさんのカードに行き着く。デボラさんとカードの話は、以前に書いたことがある。

知的生産と能率の風景

デボラさんのカードの使い方は、パーツを組み合わせて文章の骨子と流れを組み立てていくもので、文字通り「アウトライン」のレベルだったと思う。

それが学校の事務室という、面白くもなんともなさそうな場所に見事に調和して存在していたあの風景が、ぼくとっての「アメリカ」の、そして「知性」の原風景だ。

そしてぼくにとっては「構造が手に触れられる」ということがとても重要だった。それは組み立てて、操作していくことができるものだという感覚が。

なぜかそのとき「自分にも文章が書ける」と勝手に確信して開けた視界は、日本語学校の作文の時間に原稿用紙を前に硬直してしまったときの絶望的な感じと対になっている。



その後、ことあるごとにデボラさんのオフィスを訪れては、デスクに散らばったインデックスカード(青いのと黄色いのと赤いのがあった)を眺めていた。いくら見ていても飽きなかった。

文章を書くために使うのは青いカードだった。黄色はメモ用紙代わり、赤の用途は最後までわからなかった(きっと大事な場面で使うに違いない)。

以前に見たときはカードを並べてそのままタイプを打っていたけど、もっと長い文章を書くときなどには黄色いメモパッド(リーガルパッドというのだと後で知った)にカードの内容をいったんペンで書き写してからタイプを打っていることにも気づいた(あれはアウトラインだったのかパラグラフの下書きだったのか)。

あるとき、ぼくがオフィスのカウンターに貼り付いて仕事の様子(というよりもカードを操作する様子)を食い入るように眺めているのに気づいたデボラさんは、黄色いカードを何枚かくれた。

そして「何か表現したいことがあるようね?(I guess you have something to say, huh?)」と言ってにっこり笑った。

そうか、これは「something to say(言いたいこと、伝えたいこと、表現したいこと)」があるときに使う大人のための道具なのだ、と思った。

大人ではなかったのでぼくにはそれを使う用事がなかったし、どう使っていいのかもわからなかった。ただ、このカードを使えるようになれば「something to say」を自由に手の中で操作して思いどおりに書くことができるんだ、という感覚だけが強い憧れとして残った。

リーガル・パッドのリーガルとは、経線のあり方よりもはるかに、物事のとらえかた、ものの考えかた、論理の展開のさせかたなどを、意味する。自分の論理を強めたり補完したりする可能性のあるものは、ひとつ残らず書き出して列挙し、それらを作戦的にいろんな方向から観察し、取捨選択しつつ修正をほどこし、論理の筋道を作り、それに沿って論理を組み上げていく。リーガル・マインドの基本はこれであり、これはアメリカ社会のあらゆる細部にまで、徹底して浸透している。自分の頭の中にあるもの、資料のなかにあるもの、あるいは他の人たちから手に入れるものなど、使えそうなものはすべて書きとめておき、机の上に広げて何度も観察しては、論理の筋道を探すための基礎材料となるもの、それがびっしりと手書きされた何枚ものリーガル・パッドの紙なのだ。

インデックス・カードが断片を書きとめておくものなら、そのいくつかを使って組み立てたひとつのパラグラフを書くのが、ジュニア・リーガル・パッドの一ページではないか。そしてそのワン・パラグラフを推敲していくためのスペースが、リーガル・パッドという大きなスペースだ。
——片岡義男『文房具を買いに』


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そこにわずかでも意思があるかぎり [アウトライナー]

この記事の前にあたる記事:
アウトライナーフリーク的タスク管理論・序説

「他人の要求に自分の時間を乗っ取られるような感覚」について。

一生懸命タスクリストを作ってみても、実行するタスクが自分の基準に基づいていなければ、時間は他人の優先順位に従ってすべて消えてしまう。これは真実です。

いくらプライオリティや重要度を設定してみたところで、その基準が自分になければ同じことです。

レオ・バボータさんのいうように、「(タスクリストを一生懸命作っても)あなたはどこにも行けない」のです。この感覚は、気持ちのいいものではありません。というか、とてもいやーな感じです。



現代の生活の中で、降りかかってくるタスクをすべてこなすのは不可能です。だから何を残すかということが重要になる。その基準は自分になければならない。そうしなければ、私たちは幸せにはなれない。

でもそれは、簡単なことではありません。それどうやってタスクの選択に反映すればいいのか。そもそも「自分の基準」って何なのか。

レオさんのように「いちばんエキサイティングなことをひとつだけ」選べれば理想ですが、それができない場合(普通できないでしょう)、どうしたらいいのでしょうか。

タスクのアウトラインを延々と作りながら、ふとヒントになるのではと思ったのは、一日が自分の思うように進まなくても、比較的満足できる日とそうでない日があるということです。



何年か前のことです。

その日は翌週に提出予定のレポートの作業を進めるつもりでした。午後はたまたまアポイントもなかったので、時間をその作業のために空けてありました。

朝からレポートのことが頭にあったので、いろいろとアイデアが浮かび、電車の中で、そして朝食を食べに入ったカフェでメモを作ったり仮アウトラインを書き出したりしていました。午後はそれを元にレポートのドラフトを書くつもりでした。

しかし職場に着くと、先に出社していた同僚がばたばたと走り回っています。聞けば、朝一番で大きなトラブルの連絡が入ったとのこと。

結局その日はトラブル対応に深夜まで忙殺されて終わりました。空けておいた午後の時間も、もちろん飛びました。

それでも、この日「他人の要求に自分の時間を乗っ取られるような感覚」はさほどなかったし、ストレスもありませんでした(いや、少しはありましたが、さほどではありませんでした)。

むしろ、予想のつかない現実と自分の意思をそれなりに両立できた日、という感覚でした。

それは、朝の電車とカフェで、レポートの作業を(少しではありますが)進めていたことと無関係ではありません。

「今日はレポートの作業を進める」というイメージ、つまり自分の「意思」は、今日という一日の中に既に反映されていたのです。



重要なのは、「今日はレポートを進める」というイメージがなかったら、たぶん電車でもカフェでも何か他のことをしていた(あるいは寝ていた)だろうということです。

そしてその日は、降りかかってくるタスクに押し流されるだけの一日になっていたかもしれません。

今日という日のイメージをあらかじめ持っていたことで、その日のタスクの選択にわずかながら「意思」がこもったわけです。

一日が終わった後の気分に違いをもたらしたのは、そのわずかな違いです。そう、そこにわずかでも意思があるかぎり



もちろん、これはたまたまうまくいった例にすぎません。でも、ここには確かにヒントがあります。必要なのは「イメージ=意思を持つこと」、そして「意思を一日に反映する」ことです。

でも多分、「今日は絶対にレポートを進める」「そのために早く出てカフェで下書きをしよう」などと決めてあったとしたら、おそらくうまくいかなかったでしょう。そこまで決めてしまうと、それ自体がタスクになってしまうし、できなかったときストレスになります。

現実は思い通りにはならない。それが大前提です。その上で、自分の意思との折り合いをつけること。それが、今日的なタスクリストの出発点ではないでしょうか。

イメージに現実を、タスクリストに意思を。アウトライン・プロセッシングを通じて、その方法を考えてみます。

「ライフ・アウトライン(仮)」より

この記事の続きに当たる記事:
イメージに現実を、タスクリストに意思を
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記録することと考えることの分離、あるいはアウトライナー・Evernote問題 [アウトライナー]

自分がEvernoteを思うように使えない理由のひとつは、「記録」することと「考える」ことをうまく分離できないからではないかという仮説を持っている。

昔、情報カード(京大型)を使っていて困ったのも、記録としてカードを取っているとき、途中から自分の考えていることに転移してしまい、区別がつかなくなることだった。

もちろんカードを分ければいいのだが、記録中に何か思いつくと芋づる式にいろんなことを思いついてしまい、それを忘れないように書きとめようとすると最初のカードに戻れなくなってしまう(これが複数回起こると、致命的に迷子になる)。

後にカードもある程度実用できるようになったのだが、その方法は「1枚にまとまった内容を書くのではなく、断片、フレーズごとにカードを変えていく」というもので、つまり『知的生産の技術』でいえばカードではなく「こざね」的な使い方だったと後で気がついた。

(好きなだけ書いた後で、「記録」として扱うべきことと「考えたこと」として扱うべきことを分け、それぞれの山の中でソートする)

結局、本来の情報カードとしての使い方は今までできたことがない気がする。そしてこの傾向がそのままEvernoteとの関係にも反映されている。

Evernoteに何か記録しようとしても、どうしても何か別のことを思いついてしまうのだが、それを同じノートの中に書いてしまうと後から区別できなくなる(そして、自分はそれを区別したい)。

といって、こざね的に断片レベルでノートを作ろうとすると、「Evernoteはノートの順番を自由に入れ替えられない」という大問題にぶつかる。

おそらくこういう場合は、ノートを分けてタグで分類しておくのがいちばんいいのだろうが、その「ノートを分ける」ことがうまくできない。

これは生まれついての傾向もあるし、「引用」を扱う訓練をきちんと受けていないということもある、かもしれない(引用を客体として扱えない、とでも言ったらいいだろうか)。

つまりEvernoteの問題ではなく、使う側の問題が大きい。



とにかくそういう理由で、その気になればフレーズ単位で操作できるプロセス型アウトライナー(WorkFlowyやOmniOutlinerのような、見出しと内容を区別しないタイプのアウトライナー)が自分には合っている。

Evernoteは情報カード的な道具であり、プロセス型アウトライナーは「こざね」的な道具なのだ。

ただし、アウトライナーが「こざね」と決定的に違うのは、階層を活かすことで「こざね」としての役割を果たしつつ、まとまった情報の単位を扱うこともできる、つまりカードとしての性質を同時に果たせるということだ。

「こざね」はあくまでも考えをまとめたり、文章化する段階で利用するものだったけど、アウトライナーの用途はそれだけではない。

とはいえ、記録したことを後から拾い出す能力はEvernoteが圧倒的に優れている。アウトライナーのトピック単位の検索では、その機能は代替できない(※注)。もちろん、記録したい内容にはテキスト以外の情報もあり、Evernoteならそれらも同時に扱うことができる。

だから、Evernoteをうまく使いこなせず、その恩恵をなかなか受けられないことは、やっぱり残念なのだ。

(※注)この点に関しては、検索にヒットした項目が、その上位項目とともに一覧表示されるWorkFlowyの方式が、ひとつの回答にはなっていると思う。

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アウトライナーフリーク的タスク管理論・序説 [アウトライナー]

タスクリストとは何か

タスクリストを本気で作ってみたことのある人はよくわかると思うのですが、その量にしばしば圧倒されることになります。これはどんなツールを使おうと同様です。

率直に言って、タスクリストを作っていると、他人の要求で人生の時間が全て埋まってしまうような感覚を抱きます。ちちろん、やりたいことばかりして暮らすわけにはいかないことは、大人だから知っています。それでも、釈然としないものが残ります。これは現代人の幸福に対する大きな挑戦だとさえ思います。

そして、昔から深く考えさせられてしまうのは、どんな手法を使うにしても、毎日たくさんのタスクが未完了のまま残るということです。与えられた時間の中では到底こなしきれない量の作業があるので、当たり前といえば当たり前です。

タスクリストには、書き出したまま終わらなかったものが大量にたまっています。その多くは手を付けることさえできていません。しかもその中に「重要」とか「優先度A」とかマークされたものがあったりします。

それにもかかわらず、仕事も人生は崩壊したりしないのです。ジタバタはしているけれど、なんとかなっている。そして重要だったはずの項目が、日を置いて確認すると、既に必要なくなっている。だとすると、あんなにがんばって作っているタスクリストとはいったい何なのだろう、という疑問です。

To-Doリストを捨てろ

『減らす技術』の著者であるレオ・バボータさんがブログZenHabbitsで興味深いエントリーを公開しています。「To-Doリストを捨てろ」というものです。私のサイトで拙訳を公開していますので、ぜひ読んでみてください。

(ここでいう「To-Doリスト」はそのまま「タスクリスト」に読み替えて問題ないでしょう)

まず(ZenHabbitsを読むような)人の多くはなんらかのTo-Doリストを作っているはずだ、とレオは指摘します。もし作っていないとしたら、「本当は作っていなければならない、作るべきだと感じているはず」。それほど、To-Doリスト(タスクリスト)は常識化しています。

レオはそれに待ったをかけるわけです。彼はTo-Doリストの問題点を以下のように指摘します。⁠
To-Doリストはあなたの時間を食いつぶし、モチベーションを消失させる。To-Doリストを作っている人の多くは、コンスタントにメンテナンスをしている。でなければリストはほこりをかぶって錆びつき、使い物にならなくなり、リストの管理に失敗した者は罪悪感にさいなまれ続ける。逆にリストを使い続けられる人は、多くの時間を――何か大切なことをする時間を――そのメンテナンスに割くことになる。

そして、肝心のリストはといえば、長大で、全て完了することは永遠になく、それどころか書き出されたタスクの半分は達成されることがない。完了した項目にチェックマークをつけることは気分のいいものだが、永遠にチェックされない項目がずっと残っている気分は最悪だ。こんな全てが、精神的エネルギーの無駄遣いだ。なぜなら、そうしてもあなたはどこにも行けないからだ。

レオの言うとおり、To-Doリスト(タスクリスト)を維持するためには、コンスタントなメンテナンスが必要です。

「タスクリストに終わっていないタスクがたまる」という状況は、タスクを登録した後に優先度や必要性が変化してしまい、メンテナンスが追いついていないということなのです。

一方で「でも仕事も人生も崩壊していない」というのは、私たちが現実の状況変化に(それなりに)対処しているということなのでしょう。そしてそれはおそらく正しいのです。リストをメンテナンスすることよりも現実に対処する方が重要だからです。

ここに、タスク管理の大きな矛盾があります。タスクリストを有効なものとして維持するためには、膨大な時間と手間が必要になります。しかし実際には目の前の現実に対処する方が優先するので、リストのメンテナンスは後手に回ります。

生真面目にそれを維持しようとすれば、膨大なタスクに加えてそのための時間を費やすことになります。そうまでして維持しても、リストの中身は永遠に終わることはなく、達成感を味わうことはできません。なにしろ実行するより早いペースで新しいタスクが供給されるのです。

タスクリストの維持は常に自分にプレッシャーをかけ続け、やがてはモチベーション自体を低下させてしまう、とレオは言います。だから「To-Doリストなど捨ててしまえ」というのです。
To-Doリストを捨てよう。そして、「やらなければならない」ことも忘れよう。必要なのは、今この瞬間にあなたが情熱を持てる「ひとつのこと」だけだ。

To-Doリストの代わりにレオが提案するのは「ひとつのこと」システムです。朝起きて、自分がいちばんエキサイトすることをひとつ選び、ひたすらそれをやる。残りのことはその「ひとつのこと」が終わってからやればいい。それが「ひとつのこと」システムです。

全てを取ることはできない

どう思ったでしょうか。私は「言いたいことはわかるけれど、現実には無理だ」と思いました。多くの人も同じように思ったのではないでしょうか。

確かに、レオの主張は若干過激すぎるかもしれません。実際にこの通りに実行できる人は、多くはないでしょう。普通の会社員が、自分の情熱を傾けられるタスクだけに集中するということは現実的に無理です。

しかし、非常に示唆的な提案でもあります。タスク管理をする人の多くが内心で感じている問題とつながっているからです。それに私自身「できることならこのように生きたい」と思うことも事実です。

そしてよく考えてみると、この提案は印象ほど突飛なものではありません。一見過激に見えるものの、よく見ると「ひとつのこと」システムは、タスク管理でよくある「プライオリティ」の考え方を先鋭化したものです。

プライオリティとは優先度です。いろいろありますが、たとえばタスクを「A(今日中にマストで行うこと)」、「B(できれば今日中に行うこと)」、「C(今日でなくてもいいこと)」に分類し、プライオリティの高い順に実行するというような方法です(システム手帳のリフィルなとによくありますね)。「ひとつのこと」というのは「今日中にマストで行うこと」をひとつに絞っているにすぎないのです。

示唆的というのは、この提案がプライオリティというものの意味を教えてくれるからです。

プライオリティ型のタスク管理には、ひとつ大きな問題があります。「重要なこと」をどうやって選ぶのかという問題です。一口に「重要」といっても、それは会社にとって重要なことなのか。家族にとって重要なことなのか。自分がやりたいことなのか。それは全て「重要なこと」です。しかも多くの場合それらは対立し、矛盾します。この問題を解決してプライオリティを適切に設定できているという人は、どのくらいいるでしょうか。

レオは「ひとつのこと」を選ぶ根拠を一言「エキサイティングなこと」と表現しています。つまり自分がワクワクするかどうかを唯一の基準として選定しているのです。タスクを「ひとつ」に絞るだけでなく、基準を「ひとつ」に絞っているのです。

「そんなの無理でしょ」という言葉をぐっと飲み込んで素直に考えると、ここで示されているのは、意味のある優先順位を決めるには「基準」が必要だということです。そしてその基準は自分が決める、ということです。

他人の要求に人生を乗っ取られるような感覚は、「自分で決めた基準」がないことから来ています。自分の中の基準がはっきりしていない場合、他人の要請は常に自分の気持ちに優先します。自分自身が設けた基準で重要なことを選択し、プライオリティを与え、実際にそれを行う。そうしなければ、時間は他人の優先順位に従ってすべて消えてしまいます。これは真実です。まさに「(タスクリストを一生懸命作っても)あなたはどこにも行けない」のです。

現代の生活の中で「やるべきこと」と「やりたいこと」のすべてを行うことは不可能です。全てをやることはできない。全てを手に入れることはできない。全てを自分の時間の中に押し込めることはできない。それがスタート地点です。

今日的なタスクリスト

「To-Doリストを捨てろ」というレオのメッセージは、逆説的ですがタスクリストが(本当は)必要なことを示唆しています。

スペースが有限ならば、重要なのは何を残すかということです。つまり選ぶことです。選ぶとは、それ以外を切り落とすということです。それでは何を基準に、何を残し、何を切り落とすか。今日的なタスクリストとは、本当はそれを「考える」ためのものでなければならないのではないか。

そのことを意識しさえすれば、きっとやり方があるはずです。私自身、ずいぶん長いことそれを考えてきました。今は、上下に無限に連なるアウトラインの階層性にヒントがあると考えています。

そのためのアウトラインを「ライフ・アウトライン」と呼んでいます。生活(ライフ)と人生(ライフ)を扱うためのアウトラインです。その途中経過が、『アウトライン・プロセッシング入門』の中で「生活のアウトライン」と呼んでいたものです。

——『ライフ・アウトライン(仮)』より

関連記事:イメージに現実を、タスクリストに意思を

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古くて新しいツール、あるいはアウトライナー史の中のWorkFlowy [アウトライナー]

実はWorkFlowyは自らを「アウトライナー」とは名乗っていません。WorkFlowyのサイト上にもブログにも、どこにもアウトライナーという言葉は使われていないのです。

正直言うと、アウトライナーフリークとして、これには若干のもやもやを感じます。WorkFlowyは明らかにデイブ・ワイナーのThinkTankから始まるプロセス型アウトライナーの系譜にあるからです。

でも、その気持ちもよくわかります。

私自身も、「アウトライナー」もしくは「アウトラインプロセッサ」という名前は、このソフトにはあまりふさわしくないと長い間思っていました。アウトライナーは決して「アウトラインをつくるソフト」ではないからです。

関連記事:アウトライナーの新しい呼び名

WorkFlowyのタームでは、WorkFlowyは「Zoomable Document」(伸縮自在な文書、とでも訳せばいいでしょうか)です。WorkFlowyもアウトライン、アウトライナーという用語が固定化してしまう何かを嫌ったのかもしれません。

でも、WorkFlowyは確かにアウトライナーの歴史の中でとても重要な存在です。そして、アウトライナーを現代的な形で再生するとともに、その本質に光を当てることにも成功しています。



ひとつの文章であると同時に複数の文章の集合体でもあるというのは、プロセス型アウトライナーが本質的に持っている特性です。プロセス型アウトライナーの定義は「項目を等価に扱い、見出しと本文を区別しないアウトライナー」ですが、それは必然的に「タイトル(≒ファイル名)も区別しない」ことにつながるからです。

しかし、私は長いことこの特性に気づいていませんでした。

プロセス型アウトライナーであっても、従来型のデスクトップアプリである限り、通常のワープロやエディタと同じようにアウトラインをファイルとして保存することになります。

それでは、理論上はアウトライナーの誕生当初から変わらなかったこの特性を、本当には体感できなかったということでしょう(当初から体感していた人はいたはずだと思います)。

私はかなり前からOPALやOmniOutlinerなどを使って複数の文章(の断片)をひとつのアウトラインに入れていましたが、そのきっかけは苦し紛れのようなものでした。書きかけの断片をうまく管理することができず、やむを得ずひとつの巨大なアウトラインに入れるようになったのです。

しかし、ひとつのアウトラインの中で断片が自由に結合し、分離しながら育っていく様子を目にして、これが(プロセス型)アウトライナーの本質なんだと気づきました。同時に「見出し」だけでなく「タイトル」も思考をしばっていたことを実感しました。



この「ひとつの文章であると同時に複数の文章の集合体」という特性を、仕様レベルで突き詰めたのは、私が知る限りWorkFlowyがはじめてです(なにしろひとつのアカウントにつきひとつのアウトラインしか作れないのです)。

それはWorkFlowyがクラウドサービスであること、つまりもともとローカルにファイルを保存する必要がないことと無関係ではないでしょう。

クラウドと結びつくことで、プロセス型アウトライナーがもともと持っていた特性が浮かび上がってきたと言えるかもしれません。

(これは倉下忠憲さんとWorkFlowyについて話しているときに気づかされたことです)



「ひとつのアウトライン」を実用的に使うための機能が、任意の項目を一時的に最上位の階層(≒タイトル)として表示する機能、WorkFlowyでいえば「Zoom」と呼ばれる機能です。

この機能自体は決して新しいものではありません。ThinkTankやMOREといった初期のアウトライナーは「Hoist(ホイスト=巻き上げ)」という名前で同様の機能を備えていました。

現在でも、同様の機能を備えたアウトライナーはいくつかあります。OmniOutlinerやOPALでは「フォーカス」、NeOでは「巻き上げ」、Treeでは「項目を別タブで表示」と呼ばれる機能がそれです。

しかし私も含めて、この機能の意味を本当には理解していなかった人が多いのではないかと思います。

その意味では、プロセス型アウトライナーはクラウドが実現して(そしてWorkFlowyが形にして)はじめてその本質をはっきり表した、古くて新しいツールと言えるのかもしれません。

もちろん、シンプルで柔軟なタグ機能や項目のシェアなど、WorkFlowyが新しくアウトライナーにもたらした可能性もたくさんあります。



プロセス型アウトライナーのもともとの発想。それを現代的に再生したWorkFlowy。ツールをつくる人。手を入れる人。すすめる人。本を書く人。工夫する人。

やはり、今の状況は5年前には想像もつかなかったし、素晴らしいことだと思います。


(※「タイトル未定」こぼれテキストより)

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「未使用」見出しはどこにいくつ作ってもいい [アウトライナー]

バレンタインなので(?)、ひさしぶりにアウトライン・プロセッシングのテクニカルな(実用的な?)話。

「未使用」見出しとは、アウトライン・プロセッシングで文章を書くためのテクニックのひとつ。

アウトラインにあらかじめ「未使用」という見出しを立てておいて、思いついたけれどどこに入れていいかすぐには決められない断片や、編集中に不要だと思った断片はその下にとりあえず移動しておくというもの。

アウトラインを作っていて(≒文章を書いていて)乗ってくると、自然にいろんなことを思いつく。

それは頭が活性化しているということなんだけど、そういうときの思いつきの多くは、今目の前にあるアウトラインの中でどう活かしたらいいかすぐには思いつかないようなことだったりする。

その処遇を考えることは意外に頭の負担になるし、せっかくの筆の勢いが削がれてしまう原因にもなる。

思いついたことを「未使用」の下にとりあえず入れておくことによって、そうした問題を回避することができる。

あるいは文章を引き締めるためには不要な部分を削除することが不可欠だけど、せっかく書いたものを削除するには勇気がいる。

ならばいきなり削除するのではなく、「未使用」の下に「とりあえず移動」することで、その勇気とコストを限りなくゼロに近づけることができる。

「未使用」の中にたまった断片は、アウトライナーの機能を使ってあらためて整理・検討して、あるものは生命を吹き込まれてアウトラインの中に戻っていく。

〈シェイク〉をうまく行うために欠かせないテクニックのひとつでもある。



『アウトライン・プロセッシング入門』の中で、直接的な反響がいちばん大きかったもののひとつがこの「未使用」見出しだった。

で、ひとつ気になったのは、「いい考えだと思うけど、いちいち「未使用」まで移動するのが面倒」という感想を何回かいただいたこと。

たしかに『アウトライン・プロセッシング入門』の中で、「未使用」はアウトラインの末尾に置くと書いたし、通常はそうする(それがいちばん自然な気がするから)。

でも、それは原則であって決まりではない。「未使用」を冒頭に置いてもちっともかまわない。それどころか「未使用」はひとつしか作ってはいけないという決まりもない。

特に文章を書いている最中は、いちいち末尾まで移動するのは面倒だし(特に文章が長くなってくると)、思考の流れが中断される。

ぼくはそういうときは、その場にどんどん「未使用」を作ってしまうことにしている。これで削るということの精神的負荷がいっそう軽くなる(折りたたんでしまえばそんなに邪魔にならないし、気になるなら作業が一段落したときにまとめて末尾に移せばいい)。

以下は、何年か前に書いた「タスク管理できないこと」という記事のアウトラインの現物(クリックすると拡大します)。

未使用がたくさんあるアウトライン.jpg

末尾の他に、途中にも2箇所の「未使用」がある。ちなみに末尾の「未使用」の下にも「未使用」があるのは、作業が一段落したときに、その時点で文中に散らばっていた「未使用」を移動したものだ。



アウトライン・プロセッシングに決まりはない。
自由に、やわらかく、大胆に。

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はじめての「WorkFlowyの本」が生まれた [アウトライナー]

『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』が出版された。

日本のWorkFlowyコミュニティのリーダーと言ってもいい存在になった彩郎さんの初の著書、そして日本初のWorkFlowy本。

去年の5月にぼくが『アウトライン・プロセッシング入門』を出したときの目標は、「汎用的な技法としてのアウトライン・プロセッシング」について知ってもらうことだった。とてもありがたいことに、同書は予想をはるかに超える数の人に手に取ってもらうことができた。

で、同書の中で「2015年時点ではじめてプロセス型アウトライナーを使うなら、おすすめなのはWorkFlowy」だと書いた。ただし同書の中では、個別のアプリやサービスの具体的な使い方や説明は、最小限にとどめていた。「汎用的な」というところにこだわりたかったからだ。

そして、残念ながらWorkFlowyについての日本語のまとまった情報は、当時ほとんどなかった。それでも使えてしまうのはWorkFlowyの大きな美点だけれど、でも情報はあった方がいい。

唯一の例外は彩郎さんのブログ「単純作業に心を込めて」だった。本当を言うと、彩郎さんがいてくれたから、ぼくは『アウトライン・プロセッシング入門』の中からWorkFlowyの説明を大胆にカットすることができたのだ。

「単純作業に心を込めて」は、その後もおそろしい勢いでWorkFlowyの情報を充実させ、日本語でWorkFlowyを使うならここを見ろという存在になっていった。そして冒頭でも書いたように、彩郎さんは日本のWorkFlowyコミュニティのリーダー的存在になっていった。

でも、圧倒的な充実度ということは、逆に言えばただただ圧倒されてしまう情報量、ということでもある(そして彩郎さんは決してミニマリストとは言えない……こほん)。

『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』(以下「本書」)は、その圧倒的なボリュームのブログ記事をベースに、WorkFlowyの入門のために必要になる情報を抜き出し、まとめたものだ。

海の中をかき分けていかなければ得られなかった情報が、ひとつにまとまっている。まず、それだけで価値がある。

かつ、彩郎さん自身も書かれている通り、執筆開始時点での既存記事をくっつけただけではなく、半分以上は(同時進行でブログに公開しつつ)新たに執筆されたものだ。



「入門」とはいえ、本書にはWorkFlowyの導入方法から一般的な使い方から「ひとつのアウトライン」に代表される思想、注意点、そして(一般から見れば)相当にマニアックな使い方までが含まれている。

同時に彩郎さんの(自伝的?)知的生産エッセイとでも言うべき側面もあり、それらすべて含めれば、やっぱり充分に圧倒される(こほん)ボリュームではある。

(最初に開いたとき「読了まで5時間以上」って出て思わずにやりとしてしまったぜ)

でも心配することはない。丁寧に作られた目次と構成(電子書籍であることもあり)で、実用的な情報だけが欲しい人も、迷うことなく当面必要な情報を得られるはずだ。そしてWorkFlowyに触れて、より深く使い込みたくなったとき再読すれば、そのとき必要な情報もちゃんとある。

その構成にも示されているとおり、前書きから後書きから読書案内まで、徹底的に丁寧で誠実な著者の人柄が伝わってくる。



個人的には、アウトライン・プロセッシングに興味がある人に、「もしWorkFlowyについて知りたいのならこれを読めばいい」と言える本が生まれたことを心から歓迎したい。

そして、(偉大な先達の本と並べて何度も言及してくれたので思わず恐縮してしまったけど)本書の誕生に『アウトライン・プロセッシング入門』がほんの少しでも寄与しているとしたら、たくさんの人から受け継がれてきた知的生産のフローを、自分も受け渡すことができているのだとしたら、こんなにうれしいことはない。

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