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before [Thoughts]

さみしさがあなたを(  )する前に。
むなしさがあなたを(  )する前に。
うたがいがあなたを(  )する前に。
あきらめがあなたを(  )する前に。
やさしさがあなたを(  )する前に。
あなたがわたしを(  )する前に。



「こんげんてきなのぞみをだいじに」(妻)

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隣の芝生2017 [Diary]

以前の職場の後輩から「転職経験が豊富だから」という理由で転職に関する相談を受けた。

でもぼくは、みんなの想像しているような、いわゆる「転職」をしたことは今まで一度もない(イメージに反して)。残念ながら、具体的にアドバイスできることは何もない。



「やっぱり隣の芝生って青く見えるんですかね?」と彼は言う。



自分の経験からも、職場の上司や同僚と「離職」「転職」について会話を交わすシチュエーションがあれば、必ずと言っていいほど出てくるフレーズが「隣の芝生は青く見える」というものだ。主に、転職を止める/阻止する立場の人によって口にされる。

「隣の芝生」の話だったら、ちょっとできる。



隣の芝生というのは、確かに青く見える。これは比喩ではなく、実際の芝生の話だ。

昔も書いたことがあるけど、子どもの頃住んでいた家の前庭は芝生だった。芝生に水をやるのはぼくの仕事だった。子どもの手に余る太くて固いホースに四苦八苦しながら、ぼくは両隣の家の芝生と自分の家の芝生をいつも見比べていた。

隣の芝生

隣の家の芝生は、いつも不思議なほど青く見える。

でもそれは当たり前の話で、隣の芝生は横から見ているせいで青い部分だけが見えるのに対して、自分の家の芝生は庭は真上から見下ろすために土が見えるのだ。

だから、隣の家から自分の家の芝生を見てみれば、やはり青く見える。



隣の芝生というのは、確かに青く見える。

でも、もしそうしたことがないのなら、実際に隣の家に行って自分の目でそれを確認してみることも、意外に重要なんじゃないかと思う。

常套句のように「隣の芝生は青く見えるものだ」と唱えて済ませていると、いつの間にか足下の芝生が枯れてきていることに気づかないことがある。

浅はかな子どもだったぼくは、水やりをごまかして(芝生の周辺の地面だけ濡らして水をやったふりをして)芝生を枯らしてしまった。

芝生が枯れてきていることにぼくはずいぶん長い間気づかなかった。

隣の芝生は、常にうちの芝生より青く見えていたから。

隣の芝生(2)



足下の芝生が枯れ始めていることに気づかないまま「隣の芝生は青く見える」と言いつづける人を見るのは、なかなかに切ないものだ。

これは、比喩だ。

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考え抜いたシンプルな言葉に関する実用上の真実 [Thoughts]

あなたは大切な人に言葉で大切なことを伝えようと思う。

いろんな言葉をさまざまに組み立ててみるけれど、うまく伝わる気がしない。

結局、最低限の言葉だけが残る。飾りのない現実的でシンプルな言葉。

受け取りようによっては素っ気なく、乾いていて、冷たい。

でも、その考え抜いた結果としてのシンプルな言葉が、もしも誤解を生んだり冷たく受け取られたりするとしたら、どれだけ言葉を重ねてみたところで結果はおそらく同じだろう。

これは実用上の真実だ。

だから、封をしたならもうそのことを気に病む必要はない。

(魂のプラグマティスト)

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ひさしぶりのひとびと [Diary]

ひさしぶりに会う人。



元気になってる人。
大胆になってる人。
活躍してる人。
意外性の人。
相変わらず声が大きい人。
恨んでる人。
後悔してる人。
笑ってる人。
健康になってる人。
もう太ってない人。
変わってる人。
今さらあの話をする人。
恥ずかしそうな人。
踏みとどまってる人。
仕方ない人。
言い訳する人。
諦めた人。
まだ待ってる人。
先に進んだ人。
失った人。
偉そうになってる人。
空白の人。
成長してる人。
筋トレしてる人。
目をそらす人。
孫ができてる人。
なんかグローバル化した人。
自慢する人。
今でも時間を守れない人。
今でも人の話を聞かない人。
人のせいにする人。
バンダナ?
噂話をする人。
角が取れてる人。
最初から酒臭い人。



もう会わない人。
もう会えない人。

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peace / piece [Thoughts]

すこしやること。
ひとつやること。
行為に集中すること。
すぐ動かなくていいこと。

活用しないこと。
得しないこと。
愛おしむこと。
愉しむこと。

説明しないこと。
証明しないこと。
忘れること。

決めつけないこと。
結論を急がないこと。
結論を変えてもいいこと。

( ˘ .˘ )~♪

好まれるより好むこと。
うまくやるより楽しむこと。
近い道より気持ちいい道を選ぶこと。

疲れを自覚すること。
疲れをリスペクトすること。
こころに疲れを入れないこと。

人生はオープンエンドであること。

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「今年のイメージ」と現実のシェイク [アウトライナー]

新しい年。

アウトライナーの中に、今年の目標、じゃなくて「今年のイメージ」を書く。

こういうとき、ついつい箇条書きにしてしまいがちだけど、そうするとどうしてもタスクっぽくなる。そして個別の項目に手を付けたとか完了したとか、そういうレベルで捉えてしまう。

だから「今年のイメージ」は、箇条書きではなく簡潔な「文章」にする。なるべく短く簡潔に。一段落が理想だ。難しければ、ラフにフリーライティングしてみてから圧縮する。

頭の中には「やりたいこと」がある。願望や欲望がある。ありたい自分の姿がある。やるべきこともある。それらを思い描き、目に見えるようにするのが、「イメージ」を文章化する目的だ。

もちろん、人生は思い通りにならない。日々降りかかってくるタスクがある。思いもよらない障害が現れる。いくらイメージを描いたところで、その通りになることはまずない。

それでも「今年のイメージ」を描き、それを意識しておくことには意味がある。というか、だからこそ意味がある。



「イメージ」がない状態で、降りかかってくるタスクの雨にさらされていれば、人生はあっという間に他人の優先順位に乗っ取られてしまう。後には何も残らない。

イメージがあるからこそ、守るべきものがわかる。だから、行動ができる。

たとえ結果的に何も守れなかったとしても、少なくとも「守ろうとした」事実は残る。それは一見小さな違いかもしれないけれど、長い時間の蓄積の中でとてつもなく大きな違いになる(本当に本当に大きい)。

それに、こんな書き方をしているけど、「イメージ」さえクリアであれば、「何も守れなかった」なんていうことはまずない。

もし本当に何も守れなかったとしたら、それはそれで何かを大きく変える決断の理由になるだろう。ならば「イメージ」は充分役割を果たしたことになる。



「今年のイメージ」を、精神論ではなく日々に注入する方法。

たとえば、アウトライナーに書き出した「今年のイメージ」の下位階層に、今年現実的に「やるべきこと」のリスト(今度は箇条書き。年単位だから、あまり細かく書く必要はない)をぶら下げてみる。物置を整理する、仕事に必要な○○の資格を取る、××プロジェクトを成功させる、実家の片づけを手伝う、などなど。

そして「今年のイメージ」と矛盾していないかチェックする。

「今年のイメージ」に書き出した願望や欲望の実現につながる具体的なプロジェクトやタスクは、リストに書かれているか。もしなければ追加する。

逆に、「今年のイメージ」には現実的に「やるべき」ことにつながる要素が反映されているか。もし反映されていなければ、せっかく描いたイメージは机上の空論、あるいは妄想である可能性が高い。だから、現実を反映するように書き直す。

こうして、イメージには現実を、現実にはイメージを注入し、整合させていく。

これは、以前書いた「今日一日のイメージ」と同じ考え方だ。



もうちょっとアウトライン・プロセッシングしてみる。

出来上がった「今年のイメージ」の段落をコピーする。そして一方の段落に改行を入れて、分割していく。文章から箇条書きを作るのだ(ブレイクダウン)。これを階層化すれば、そのままアウトラインになる。

先ほど「今年のイメージ」の下位にぶら下げた「やるべきこと」のリストを、このアウトラインの該当箇所に組み込む。これが今年の仮アウトラインということになる。タスク管理用語(?)で言えば、今年のマスタータスクリストだ。

日々生活しながら、新たなプロジェクトやタスク(降りかかってきたものも、ふと思いついた楽しそうな計画も)をここに書き加えていく。

当然アウトラインの形は崩れていくだろうから、ときどき見直して組み直す。終わったものはマークする。ときどき、アウトラインが、当初の「今年のイメージ」と矛盾していないかチェックする。これがいわゆる「レビュー」だ。

数か月もすれば、たいていイメージと現実に矛盾を感じるようになるだろう。そのとき、アウトラインの方をイメージに合わせて軌道修正するのか、イメージをの方現実に合わせて変えるのか。そのバランスを「生き方」という。

こうして「今年のイメージ」と今年のアウトラインを合わせてシェイクし、成長させていく。

一年が終わるとき、最初に書き出した「今年のイメージ」は大きく変わっているかもしれない。あるいは変わっていないかもしれない。どちらでも構わない、と思う。そこに意志と現実が反映されているかぎり。



行動(=タスクやプロジェクト)には背景、理由、感情、条件などがある。それらをタスクと同レベルで扱えるというのは、いわゆる「タスク管理ツール」と比較したときのアウトライナーの圧倒的な強みだ。こんな作業をしていると、そのことがよくわかる。



今年もよろしくお願いします。
Happy Outlining ! ( ._.)b*

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何かを照らす言葉の置き方、あるいは『目を閉じて、みえるもの』 [Thoughts]



るうさんの、『目を閉じて、みえるもの』を読む。

あることを伝えたり表現したりしたいのだけど、簡単に言葉にすることができない。そんなときは、周囲をそっと回るように何かを置いていくしかない。

この本の感想を書こうとして(「書評」はなぜか似合わない気がする)抱いたのは、そんな感覚だ。

そしてそれは、この本について語ろうとするときの自分の感覚でもあるし、この本の内容についての印象でもある。



(著者の言葉を借りれば)「あからさま」な文章たちが並んでいるにもかかわらず、この本は周囲をそっと回るように何かを置いていくという行為を思わせる。

簡単に言葉にすることができない何かを、別の言葉を使って照らす。その影について思い、その思いをまた別の言葉で照らすような行為。



何かを照らす言葉を、どんな順でどんな形に置いていくか。その置き方(構成、というべきなのかもしれないけど「置き方」の方がしっくりくる)に正解はない。

でも、「置き方」はとても重要だ。「置き方」ひとつで、いろんなことががらっと変わる。

角度が変われば影も変わるのだ。



そんな印象を経て読後感として残ったのは、継続するライフ(人生と生活)への意志(のようなもの)だった。

その読後感を生み出した言葉たちとその「置き方」に、ひっそりと個人的に共感する。

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【書評】『「目標」の研究』(倉下忠憲) [Thoughts]



来年の「目標」を立てようとしている人(きっとたくさんいるだろう)に朗報。

ありそうでなかった「目標」についての「研究」だ。ぜひ読んでみてほしい。本書を読めば、上手な目標の立て方や、目標を効率的に実現するためのステップが学べるだろう。

……とか書きたいところだけど、本書はたぶんそういう本ではない。



本書はこんな構成になっている。
・はじまりの物語
・Chap.1 三つのお話
・Chap.2 目標とは何か
・Chap.3 目標の弊害
・Chap.4 機能する目標に向けて
・Chap.5 人生にとっての夢や目標
・おわりの物語

Chap. 1で、私たちが当たり前のように口にする「目標を立てる」ということが実は簡単ではないこと、私たちが実は「目標」というものを理解していない、ということを示しつつ、
本書が目指すのは、読み終えた人が目標とうまく付き合えるようになることだ。目標についての雑学を増やすためではなく、自らの人生で実践できるようになることが目標である。

という「目標」が示されている。

Chap. 2からは、「目標」についての徹底的な考察が展開される。

まずは「目標」という言葉の定義。「目標」と「目的」の違いを示しつつ、目標とは何なのか(そして何でないのか)を考える。当然知っていると思っていた「目標」という言葉の意味を、実はよくわかっていなかったことに気づかされる。

Chap. 3では、安易な「目標」がもたらす弊害について指摘する。これは、おそらく誰にでも(特に自己啓発本や成功本をよく読む人なら)覚えがある(耳が痛い)ことばかりだ。

その上で、ではどんな目標なら機能するのかが、Chap. 4で考察される。「目標を立てるステップ」として以下が挙げられている。
目標を立てる。
目標を振り返る。
全体を俯瞰する。
もう一度目標を立てる。

ビジネス書に馴染んでいる人なら「ああ、PDCAを回すんですね」というかもしれない。このようにすれば、来年の目標はうまく立てられそうだし、目標の実現に向けて効果的にステップを踏んでいくことができそうだ。

ここまでの考察には文句なく納得感がある。「目標」についてよく理解できた。

でも、その知識を使って目標を立てて(ついでに「夢」も書き出して)どんどん実現させましょう、と本書は言わない。本書はそのようには終わらない。

冒頭に引用した本書の「目標」を思い出してみよう。

「目標について雑学を増やすためではなく、自らの人生で実践できるようになることが目標である。」

このセンテンスでいちばん重要なキーワードは、おそらく「目標」ではなく「実践」でもない。文中にもうひとつ残ったキーワード、つまり「目標」や「実践」の上位階層にあるものだ。「目標」や「夢」と付き合うためにいちばん重要なものだ。

そして、「目標」や「夢」を上位階層につなぐというのはどういうことか。本書の中に、そのヒントを見つけることができるだろう。

だから、本書は決して上手な目標の立て方や、効果的に目標を実現するステップを学ぶことが「目的」の本ではないけれど、これから来年の「目標」を立てようとしている人は、やっぱり一読してみるといいと思う。

(その上、上手な目標の立て方や、目標を実現するためのステップについてだって、実はちゃんと学べるのだ)



本書に関しては、できれば頭から順を追って、最後まで読んでみてほしい。各チャプターの末尾に挿入されている「断片的挿話」が面白いだけでなく、大きな意味を持っている。それ以外にも、あちこちに細かい構成上の工夫がこらされていて、構成の面白さも含めて楽しめる。

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『Piece shake Love』について2(配列と創作と構造) [Diary]

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『Piece shake Love』の話の続き。

「本書はアウトライナーの本ではありません」と書きました。でも、実はアウトライン・プロセッシングの実験という面があります。いや、そんなに大げさなことじゃないんですが。



ブログのセレクション本を作るにあたって決めたのは、「構造化しようとしない」ということです。

「構造」のことはいっさい考えず、「配列」として気持ちよくなるまでひたすらアウトラインを操作すること。

「構造化」というと大げさなら「分類」または「整理」と言いかえてもいいかもしれません。

たとえば、いちばん単純なのは公開時期による構造化です。これは2008年の記事、これは2009年の記事……という具合です。まあ、ブログ自体がもともとそういう構造をしてるので、これは構造化とも言えないわけですが。

同じ時間による構造化でも、書かれた(描かれた)時期による構造化もできます。これは学生時代の話、これは子どもの頃の話、これは現在の話……という具合。

内容による構造化もできます。これは理屈系、これは物語系、これは情緒系、これはエロ系みたいな。

で、人情として、うまく「構造化」できると気持ちよくなっちゃうのです。内容が「理解」できたような気がする。

でも、こうした作った構造に従って記事を並べてみても、面白くもなんともないし(←やったんじゃないか)。



で、いっさい構造化をしないことに決めました。

アウトライン・プロセッシングの5つの型で言えば、ソーティングだけを、ひたすら繰り返したことになります。

具体的には、テーマに合った記事を抽出し(最初の段階では84記事ありました)、それを気持ちいい順番に「配列」することだけを考えました。

最初は記事の配列をしていたのですが、通して読んでみるとまったくダメなので、途中から元の「記事」の枠を外すことにしました。

つまり、エピソードやフレーズを元の文脈から切り離して並べ替えてもいい。元記事の原型がなくなるくらい書き直したり切り落としたりしてもいい。

やっているうちに気づいたのは、これは実質的にはブログの記事を素材にした「創作」なのだということです。

もちろん、「実話」を書いてるつもりの記事だって、フレーズを選び、リズムを整えてる時点で厳密にいえば創作なわけですが。

それならばと、昔書いた黒歴史的創作の一部を組み込む。この段階で自分でも何の本なのかよくわからなくなったけど、気にせず続ける。

説明するな。
後から照れろ。



そんなことを延々と続けているうちに、やがて「これちょっといい感じかも、読んでて気持ちいいかも」という「配列」ができました。

とても不思議なことに、そこにはちゃんと「構造」がありました。「配列」だけを考え続けた結果、「構造」ができたわけです。

「構造化」しようとしたなら、決して生まれなかっただろう構造です。

後はいつもと同じようにトップダウン(構造の操作)とボトムアップ(個別のフレーズ)を行き来しながら加筆修正する、つまり〈シェイク〉するだけです。

結果として、細かいところはずいぶん変わりましたが、このときできた「構造」は、基本的には変わりませんでした。

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『Piece shake Love』について [Diary]

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11月18日に電子書籍『Piece shake Love』を地味に出版しました。KDPによるセルフ・パブリッシングです。

詳細と目次

Amazonで見る



本書はアウトライナーの本ではありません(というのも変な話ですが、まあ一応)。

正確にいうと「直接的には」アウトライナーの本ではありません。その辺はまた改めて書きます。



で、じゃあいったいなんの本なのかというと、とても困ってしまうわけですが、ストレートに書けば、Amazonの紹介文に書いた通り、過去にブログ「WordPiece」その他で公開した記事の中からセレクトしたものを、創作的に再構成したものです。

セレクトの基準となった単語は、本書のタイトルに含まれていますと、これもAmazonの紹介文で書きました。まあ、ここは自分のブログなのでもったいぶらずに書きますが、Loveです。愛です。

例によって、Amazonで「ジャンル」を決めなければならず、大変困りました。これは「エッセイ」なのか。それとも「創作」なのか。

まあ仕方ないので両方チェックしましたが、たぶん「エッセイ」でも「創作」でもありません。いちばん近い説明が、「ブログ記事(等)の創作的再構成」というものです。あるいは創作的シェイク(このブログを読んでくださってる方向けの説明)。



本当のジャンルは、「自分が読みたい本」です。そうとしか言いようがありません。これは倉下忠憲さんから拝借した言葉です。

これは自由を感じさせる言葉であると同時に、とても厳しい言葉でもあります。だって、自分で「これなら読みたい」と感じるものにならなければならないのです。そして、自分を誤魔化すことはできません。

そんなわけで、思っていたよりずっと時間がかかりました。



『アウトライナー実践入門』の作業が終わった後、諸事情で進捗70%で中断したままになっている『ライフ・アウトライン(仮)』の作業を再開する予定でした。

でも、なぜかブログ記事のセレクションを始めてしまいました。たぶん、アウトライナーについて考えすぎて、一時的に頭が飽和しちゃったんだと思います。

で、ちょっと息抜きも兼ねてアウトライナーじゃないことをやって9月中くらいに仕上げたらその後は『ライフ・アウトライン』がんばる、つもりでしたが、すべてのつもりがそうであるように、以下略。



(アウトライナー関係ではない)ブログ記事のセレクションというのは、いずれやってみたいことではありました。でも、優先順位としては高くありませんでした。だって、まあ、売れる見込みがアレだから。

でも、自分が過去に書いたものを読み返してみたとき(ふだんそういうことはほとんどしません)、この作業は今やらないと二度とできないかもしれない、という思いにとらわれました。

記事たちのうちのあるものが、自分にとって急速にリアリティを無くしつつあることに気づいたわけです。書いたときにはきわめてリアルだったにも関わらず。

「今現在」のことを書いたものが、時間の経過とともにリアルでなくなってくるのはわかります。でも、それらの記事は、書いた時点ですでに「昔」のことを書いていたのです。

自分にとっての「昔」が、それもかなり重要な「昔」が、変質し始めている。

端的に言えば、歳をとっているのです。

もちろん、まだ「老いる」年齢だと自分では思っていません。しかし自分にとっての過去(に対する見方)の変質は、変化をはっきりと示していました。少なくとも自分でそのように感じました。

そしてそれは、自分が想像していた「歳をとること」とはずいぶん違うものであり、うまく言葉にすることができないものでもありました。

過去記事を読み返しながら、考えたのはそんなことでした。

そしてふと、ならばセレクトした過去記事を(ある場合には解体して)再構成することで、その変化自体を形にしてみよう、と思いました。

それが、『Piece shake Love』の動機うちの、ひとつです。



ふむ。



たぶん、続きます。
(『ライフ・アウトライン』もちゃんとがんばります)

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