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言葉の毒にやられてだめになる [Thoughts]

※ずいぶん前に別のブログに書いて、そのブログごと闇に葬った内容を加筆訂正して復活※

深夜のスナック菓子&ビールと並んで、やるべきでないとみんながわかっているのに、ついやってしまうことの代表は、人のかげ口や悪口。

かげ口や悪口を言っている姿ほど美しくないものはないから、一見、かげ口や悪口には見えないものも含めて、言わないようにしようと努力しているけれど、それができているとは言いがたい。今でもふと気がついたらちゃんと言っている。

意図して人の悪口を広めて回る人は、実はそんなにたくさんはいない(いや、皆無ではないけど、でもそんなにたくさんはいない、はず)。でも、そうではない人々が、ついついかげ口や悪口を口にしてしまう状況を考えると、数人で人のうわさ話をしているという場面が多い。

誰かのうわさ話で盛り上がっている場面で、そこにかげ口や悪口が含まれていたとして、自分だけがそこに加わらないためには、かなりの意志と勇気が必要になる。結局、その場で、その瞬間に集団の内側に入りたいという無意識の欲求の問題なのだ。

だけどその欲求の結果、誰かが口にした人の悪口に対して相づちでも打ったりすると、いつの間にかその話が「自分が言った」こととして本人に伝わってたりするのが集団というものの仕組みだ(覚えあるでしょう?)。

それだけの犠牲を払って、その集団の内側に入りたいという一瞬の欲望を満たして、どれだけいいことがあるだろう。

もしそこで「外側」にいつづけることを意識的に選んだとしたら、瞬間的にそれはちょっと孤独だったり寂しかったりするかもしれないけど、大好きな人についてつい口にした悪口が、知らないうち本人に伝わってることを思えば、そんなことはたいしたことじゃない。

少しだけ笑みを浮かべながら、その集団の外側に自分は立っている。心の中で自分にそう言い聞かせ続けるしかない、のかもしれない。



何よりも、かげ口や悪口には、愚痴や文句や「いかに自分が大変か話」と同じく、繰り返しているうちにそれなしでやっていけなくなってくるところがある。

それを長く繰り返していると、やがてその言葉の毒にエネルギーを奪われ、自分自身を徐々に弱らせていく。そして気持ちを高めるためにますますかげ口や悪口に頼るようになっていく。かげ口や悪口だけでは飽きたらず、より悪意を持って立ち回るようになる人もいる。薬物と同じように、そこには一過性の快楽と中毒性があり、長期的には人間を内側から壊していく。

そこに例外がないことは、恐ろしいくらいだ。そうやって自分の言葉の毒にやられてだめになっていく人を目にするたびに、彼らはいったい何を求めてたんだろうと思う。
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