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最大限に研ぎ澄ました幸福に対する感覚 [Thoughts]

個人的に好きになれないもののひとつに「やっぱり好きな人より好いてくれる人といっしょになるのが幸せなのよ」的な物言いがあって、結構な若ものでさえそれで納得したり、あろうことか自分自身で口走ったりすることに心底驚くことが多い。

この手のものには「二番目に好きな人といっしょになるのがいい」とかいろんなバリエーションがあるけど、そんなわけないだろう。結果的にそうなることはあるだろうけど。

おそらくその背後には、いろんな事情から好きな人といっしょになれなかったとか、好きな人といっしょになったけどうまくいかなかったとか、そもそも自由に恋愛や結婚をすることができなかった時代に生まれたとか、そういう「先輩」たちの怨念があるんだと想像するんだけど(本当はどうなんだろう。専門的に知ってる方教えてください)。

背景はともかく、今耳にするその言葉に感じるのは「仕方がない」「しょうがない」という日本語に代表される、悪い意味での諦観だ。そしてもっと言うなら無責任さだ。

いいですか。恋愛とか結婚とかその手の物ごとについて人生の先輩のアドバイスなんかきいてはいけない。

最大限に研ぎ澄ました幸福に対する自分の感覚に従うしかない。

もちろんそれで失敗することはあるけど、それは一般化できるタイプの失敗ではないからいずれにしても人にアドバイスしたりされたりするような性質のものではない。

何よりもその失敗を受け入れる覚悟がないのが無責任だと言ってるんだ。



でも、よく考えてみれば「最大限に研ぎ澄ました幸福に対する自分の感覚」が必要なのって、何も恋愛や結婚ばかりじゃなくて生きること全てに当てはまる。

たとえば就職にも転職にも勉強にも。それだけじゃなくて食べることも寝ることも人と付き合うことも。

とすれば、上でさんざんけなしたのと同じ種類の無責任さに自分も陥ってないと言い切れるかというとそんなことはない。

最大限に研ぎ澄ました幸福に対する自分の感覚に従っていないことが、確かにある。

とても、恥ずかしいことだ。
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