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明快な文章さえあれば伝わることを図解することについて [アウトライナー]

「GUIにこだわりすぎたことが、すべてをだめにした。GUIが悪いと言っているわけではなく、GUIでできないことを無理矢理おこなった弊害がでている、ということである。第一の批判は、文字でできることをわざわざグラフィックスでおこなうことで、明晰性を失い、またコンピュータのメモリーも無駄遣いするようになる点だ。」

これは、奥出直人の言葉。何度も書いてる通り、奥出さんの「思考のエンジン」を読んだことが、ぼくがアウトライナーフリークになるきっかけだった。1990年頃のことだから、月日の経つのは早いものですね。

「思考のエンジン」では、(文章を書くことを通して)思考することについて、当時パーソナルコンピュータ上で使えるようになった各種ツール(アウトライナーとか人工知能を利用したアイデアジェネレーターとかハイパーテキストとか…)の話と、デリダをはじめとする現代思想を絡めながらの考察がすごく魅力的だった。

その奥出さんが「季刊・本とコンピュータ (1999年冬号)」誌上で発表した「コンピュータは本当に思考の道具か」という文章の一節が、冒頭の引用。

「アイコンをマウスで操作するGUIへの過度な依存が、思考の道具としてのコンピュータの発展を阻害してしまった」という内容は、ちょうどその頃、自分自身の中でコンピュータがつまらなくなってた理由を説明してくれてるような気がして、納得感があったのを覚えている。

で、最近この文章を読み返してみて改めて面白いと思ったのは、上の引用の「GUI」という言葉を「PowerPoint」に置き換えてみてもそのまま通用するような気がしたこと。

「PowerPointにこだわりすぎたことが、すべてをだめにした。PowerPointが悪いと言っているわけではなく、PowerPointでできないことを無理矢理おこなった弊害がでている、ということである。第一の批判は、文字でできることをわざわざグラフィックスでおこなうことで、明晰性を失い、またコンピュータのメモリーも無駄遣いするようになる点だ。」

そう、これってまさに自分が常々感じていることだ。



明快な文章さえあれば済む場面でPowerPointを使い、時間をかけて図解(のようなもの)を整えることで無駄に費やされている時間と労力がどれだけあるか、ということ。そして、多くの人にとってそれが「無駄」と認識されていないこと。

その背景にはたぶん「文章はわかりにくく図解はわかりやすい」という先入観がある。

もちろんある種の情報は文章で表現するよりも図解した方がわかりやすい。でも、明快な文章で表現した方がはるかにわかりやすいケースもたくさんある。

そして、本当にわかりやすい図を作ることは、簡単ではない。その労力をかける時間や気力がないときに無理に図解しようとすることで、あるいは図解するスキルが伴わない人(←私です)が無理に図解しようとすることで、逆効果になっているケースがあまりにも多い、と思う。

もちろん「明快な文章」を書くことだって簡単じゃないけど、きちんとした図解を作るほどの時間と労力はかからない。

ぼくも決して文章が明快な方じゃないけど(むしろくどい)、「てにおは」による論理関係を意識すること、箇条書きを適切に使うことなどで、ずいぶんマシになる。

そして、通常は図解されるような論理性・構造性も、かなりの程度テキストで表現できる。そのための方法が、立体的な箇条書きとも言える「アウトライン」だ。


ちなみにここで言ってるのは、人に何かを伝えるための資料の話。自分が考えるためにいろいろスケッチしてみるというのは、また別の話です。
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