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普通のカツ丼のポジティブな何か [Diary]

少し前、妻と某所の霊園にお墓参りに行ったとき。

その墓参にまつわるもろもろにはけっこう気の重いことが多いんだけど、ポジティブな要素もいくつかあって、そのひとつがカツ丼だった。



去年、その霊園にはじめて二人で行ったとき、まずお昼を食べようと駅前をいろいろ探し回って、こじゃれた店もファーストフードもどこもピンと来ない上に、歩いてるうちに身体が冷えてしまった。

そんなときどちらからともなく「カツ丼が食べたい」という話になり、カツ丼が食べられそうな店を探した。共通のイメージは「特に立派ではない普通のカツ丼」。

でも、今の時代にカツ丼に限らず「特に立派ではない普通の外食」ができる場所を見つけることは簡単ではない。

昔、そういう店は駅ビルやデパートのレストランフロア(というか「食堂街」)にあったのだが、ここ十五年くらいでほとんどは「立派でおいしいんだろうけどむやみに高い店」か「立派でもおいしくもないくせにむやみに高い店」に変わってしまった。

「安くておいしい店」や「適正価格のリーズナブルな店」は今でもちゃんとあるけど、そういうものは地上を時間をかけて足で探して、その上失敗を繰り返さないと見つからない。

霊園に行くために訪れた埼玉某所でそれをする時間も根性もぼくらにはなかった。

と思っていたら、駅前にいかにも昭和の雰囲気を醸し出しているデパートがあった。自分たちの生活圏ではもう絶滅してしまった、古き良き時代のデパート。

直感があり、そのデパートに入ってみたところ、案の定八階レストランフロアの特に立派ではない普通の蕎麦屋に、特に立派ではない普通のカツ丼があった。

それなりに景色のいい窓際の席で食べたカツ丼はなんというか、鮮烈さなどどこにもない、いかにもカツ丼という見た目通りの味なんだけど、甘くて香ばしくて冷えた身体も冷えた心も温まる、普通のカツ丼だった。たくあんだってついている。

(井之頭五郎なら「うん、こういうのでいいんだよ」とつぶやくだろう)

来年もお墓参りに来たらまたここでお昼を食べよう。そう二人で決めて、墓参にともなうもろもろの気の重さは少し軽くなった。



今年もその特に立派ではない普通の蕎麦屋の、特に立派ではない普通のカツ丼は去年と同じように存在していた。

そして自分たちも去年と同じように存在していて、去年決めた通りやってきて、去年決めた通り窓際の席で今年もカツ丼を食べた。

それはちょっと思うほど簡単なことじゃないということを、今では二人とも知っている。

でも、それを実感できる(そして共有できる)ということも、きっとポジティブな何かなのだ。


あ、それから「なんてことない普通の味」というのは実はかなりおいしいという意味なのだと知ったことも。

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